鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調を聴く(その2)

Introduction

 いつもは作品の解説という位置付けであり、内容を記した「(その1)」を参照されたいのでその記事を貼るだけで済ませている。
 しかし、ただ記事を貼り付けるだけではもの寂しいので、なぜこの演奏を取り上げたのかという理由を最初に記すことにした。
 さて、今回取り上げる演奏は、オイゲン・ヨッフムロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団である。この演奏は音楽評論家の中野雄先生の推薦盤でもある*1Wikipediaでもこの演奏についても決定盤という旨が記載されているが、この記載は本演奏について言及されたものではない。

最晩年の1986年にはかつて首席指揮者を務めていたアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、交響曲第5番で自身のブルックナー演奏の総決算とも言える演奏を遺している。

 恐らく、1986年の録音について言及されたものと考えられるが、本演奏は1964年に録音されたものであるから注意されたい。
 さて、このオイゲン・ヨッフムという指揮者であるがブルックナーにおいて非常に名声の高い指揮者である。しかし、私自身このオイゲン・ヨッフムという指揮者は苦手なところがある。その理由が厳しすぎる金管楽器の音色と不自然な急加速とクレッシェンドである。フルトヴェングラーを彷彿させるがその違いは一目瞭然であり特にブルックナーのような重厚さが醍醐味の作品に厳しい金管楽器の音色は似合わないというのが私の持論である。
 しかし、オイゲン・ヨッフムロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は多くで高い評価を得ており、私自身も聴いてみようと思い取り上げた。
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ブルックナー交響曲第5番変ロ長調

オイゲン・ヨッフムロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

評価:6 演奏時間:約76分


第1楽章:Introduktion. Adagio - Allegro

 序奏部。遅いテンポで下降音階を奏でる。かなり遅いテンポでありこの後に何か巨大な何かが襲いかかるような予感である。その後、ヨッフムらしい厳しい金管楽器のコラールが鳴り響く。コンセルトヘボウ管のせいか、アメリカらしいドライなトランペットの音色である。
 呈示部。序奏部と比較してかなりテンポを上げている。前回のマゼールのテンポよりも快速的である。しかし、随所に気になる強烈なクレッシェンド。これが一体何を意図しているのか…。その後のピツィカートによる第2主題はテンポを一気に遅めて慎重に演奏しているようだ。そして、第3主題であるが、第2主題の流れをそのまま引き継ぐように大きう流れるような壮大さである。ただし、頂点部に近づくにつれてテンポを速めていく。このテンポを速める動きが演奏自体に勢いを齎している
 展開部。録音の影響かホルンやフルートの掛け合いよりも弦楽器のトレモロがはっきり聴こえる。しかし、金管楽器のコラールは迫力があるのだがどうも重厚さに欠けるのが気になってしょうがない。厳しい音色はヨッフムらしいのだが、どうもこの音は好きになれない。もっとも、トロンボーンといった低音金管楽器の音色は重厚感あって素晴らしい
 再現部。勇ましい第1主題はいつ聴いても壮観である。ただ、やや単純な第1主題であり、あまりに速いテンポで演奏すると実にあっけなく聴こえるものである。呈示部同様に第1主題と比較してゆったりなテンポで第2主題を奏でている。第3主題も相当速いテンポで演奏されている。
 コーダ。呈示部第1主題よりも速いテンポで一気に畳み掛けるような勢いである。あまりの速さに圧倒される。

第2楽章:Adagio. Sehr langsam

 第1楽章のように遅いテンポで幕をあける。ゆっくりと進んでいく主要主題である。弦楽器の音色も優しく穏やかな第2楽章を彩っている。第1楽章の時もそうだがコンセルトヘボウ管の弦楽器の音色は澄み切るようなサウンド
 第2主題も非常に遅いテンポで美しく弦楽器が清澄な音色を響かせている。どの交響曲もそうだがブルックナーアダージョは美しいものだ。その後の何回か第2主題が繰り返され、金管楽器が登場する箇所もあるのだが非常に硬質な音楽である。
 上記のように私自身がオイゲン・ヨッフムについて肯定的な立場ではないのでどうしても気になるところは気になる。しかし、前向きに聴いてみると硬質な金管楽器のコラールこそがブルックナーの重厚感ある音色に相応しいのではないかと再考することもある。
 第2楽章の中で注目すべきところは3回目の第1主題である。なんと、チェリビダッケを彷彿させるような極めて遅いテンポである。非常に息の長い第1主題が奏でられており、頂点部を形成すると厳しい金管楽器の音色であるが壮麗なコラールが鳴り響いている。この遅いテンポによって奏でられる頂点部はやがて朝を迎えるような輝かしいものである。
 そのまま静かに第2楽章を終結する。

第3楽章:Scherzo. Molto vivace (schnell) - Trio. Im gleichen Tempo

 第2楽章の頂点部とは対照的に速いテンポで一気に駆け上がる。一方で第2主題に入った途端に楽譜通りに急激にテンポを落としてしっかりとした三拍子を形成している。
 第1主題は快速的テンポで一気に駆け抜けて野生的さを全面的に押し出して演奏する方がよかろう。ブルックナースケルツォは些か野生的な方が望ましい。そのような意味でヨッフムのような強烈な第1主題はうってつけの演奏といえよう。そして、舞踏会の優雅さも垣間見える第2主題は第1主題とは真反対の演奏の方が良いように思う。この第1主題と第2主題は実に対照的に捉えた演奏の方が私好みである
 トリオ。主部の第2主題を継承したような演奏である。優雅さもあるのだが張り詰めた弦楽器の音色街印象的なのである。トリオ後半部の金管楽器の場面は今までの演奏と比較して若干抑えめの演奏である。

第4楽章:Finale. Adagio - Allegro moderato

 第1楽章同様に緊張感のある序奏部を演奏する。
 呈示部。第1主題(フーガ主題)はどっしりとしたテンポで勇ましく奏でられているブルックナーの対位法が駆使された第1主題である。その後、第2主題も比較的ゆったりとしたテンポで穏やかに演奏されている。それにしても何度も繰り返し述べているが張り詰めた弦楽器が印象的である。そういった意味でこの第2主題はコンセルトヘボウ管の弦楽器を堪能できる箇所でもある。そして、再び厳しい第3主題が奏でられる。思ったよりも金管楽器が前面的に出されておらず、それよりも緊迫した弦楽器の音色が印象的である。しかし、第3主題全体と通してかなりの急加速であり、勢いを与えている。その後、金管楽器のコラールは教会のような荘厳さに近しいところがある。しかし、厳しい音色である。第3主題〜展開部前はヨッフムの繊細な音楽作りが垣間見える場面でもあった。
 展開部。上記金管楽器のコラールの主題と第1主題(フーガ主題)の二重のフーガとなっており、複雑さを極めている。ヨッフムとコンセルトヘボウ管はこの複雑な二重フーガをじっくりとしたテンポで進められている。張り詰めた弦楽器の折り重なる第1主題と厳しい音色を響かせる金管楽器が折り重なった複雑なフーガだ。しかし、なんとなく立体的構造が見出せないのだが…。
 それもしても、急激なテンポの変化がなく直線的な展開部である。急激なテンポの変化で目まぐるしい演奏を展開する演奏もある*2のだが、やはり直線的な演奏の方が似合っている。
 再現部。第1主題は極めて短く、気がついたら第2主題の再現となっている。再現部第2主題も呈示部同様に軽快に奏でられている。そして再び厳しい第3主題の再現が始まる。少しずつテンポを速めて第3主題に突入。厳しい金管楽器が吠えるような強烈な音色と強烈なテンポによって一気に追い上げるヨッフムの強烈な煽りが印象的である。今後そのままかなり速いテンポで続いていく。
 そして、いよいよコーダとなる。テンポを緩めることなく壮大なコーダを展開する。尤も、コーダに入った後はテンポを落として(標準的)壮大で厳しい金管楽器のコラールが鳴り響く。しかし、金管楽器の中d目おトランペットの音色が強烈な音色だ。ギンギラギンとしたコーダを形成し終えた後に、強烈にテンポを落として締めくくる。最後のティンパニのクレッシェンドも強烈だ

*1:宇野功芳ほか『クラシックCDの名盤』(文春新書、1999年)116頁〔中野〕

*2:例えばペータ・マーク指揮・東京都交響楽団の演奏。

追悼:小澤征爾【読響】第635回定期演奏会 in サントリーホール

introduction

 今回は、【読響】第635回定期演奏会である。そして、山田和樹先生(以下、「ヤマカズ先生」*1)の読響首席客演指揮者としてラストステージでもある。
 さて、今回のプログラムは些か独創的なプログラムである。東側諸国であるハンガリー出身の作曲家であるベラ・バルトーク、そして、西側諸国であるドイツのボン出身の作曲家であるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン我が日本が誇る作曲家である武満徹。東西が混合されたプログラムであり、前半がバルトーク武満徹といった近現代音楽であり、後半は古典派音楽ベートーヴェンの作品である。世界史的に見ても音楽史的に見ても縦横無尽のプログラムであって非常に興味深いものとなっている。この構成だけでも興味津々である。
 しかし、私も現代音楽はどちらかというと得意な方であるが、武満先生の作品は今でも理解に苦しんでいる…。そこで、私なりに武満徹先生の『ノヴェンバー・ステップス』を研究してみたい。武満徹先生の作品は以下の六期に分けられるようである*2

  • 第一期(1950年代):オーケストラ作品以外のジャンルの創作中心であった時代
  • 第二期(1960年代前半):ヨーロッパの前衛的な手法でオーケストラを開拓した時期
  • 第三期(1960年代後半〜1970年代半ばにかけて):独創学期を通してオーケストラを開拓した時期
  • 第四期(1980年代前半):第三期の延長にあって、選ばれる独創学期に変化が見られる時期
  • 第五期(1980年代後半):点としての音をオーケストラに敷衍する時期
  • 第六期(1990年代):新しい旋律の方法論による時期

 この『ノヴェンバー・ステップス』は1967年に作曲されたものであるので、「第三期」に該当する。この時期は、独奏楽器を演奏する演奏家の名人芸を想定して書かれており、この作品はその典型例であるとされている*3『ノヴェンバー・ステップス』の特徴は、わずかな声部に収斂したり、五十声部まで膨らんだ利するしなやかさで敏捷性豊かな動きにあるようである*4。確かに、スコアを見ると何十段になっていることもあれば、尺八のみの一段しかない場面もある。弦楽器をいくつものパートに細分化する手法はどことなく、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥすらは各語りき」や「メタモルフォーゼン」の精緻さを連想させられる。また、。『ノヴェンバー・ステップス』はいくつもの作品の延長線にあると位置付けられており、オーケストラは左右2グループに分けられて、パートを細分してマイクロ・ポリフォニーの書法がとられている点で《テクスチュアズ》の延長にあるとされる*5。他にも《エクリプス》についても琵琶、尺八を使った映像作品より延長にあるとされている(前掲注2・89頁))。上記のようにオーケストラは左右2グループに分けられて、パートを細分してマイクロ・ポリフォニーの書法を採用しているなど精緻な音楽作りは実際のホールでどのように響くのだろうか。また、独奏楽器を演奏する演奏家の名人芸を想定しているとのことであるから、尺八の藤原道山と琵琶の友吉鶴心の名人芸も気になるところである。

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 順番が前後してしまったが、バルトーク弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽バルトークらしい音楽で好きな作品である。「管弦楽のための協奏曲」と並んで好きな作品でもある。このバルトーク弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽と出会ったのは以下の動画である。下記動画は第4楽章冒頭からの演奏でるが、快速的で疾走するような弦楽器と民族音楽的な要素に惹かれた記憶がある

 やはりブーレーズの音楽は勉強になるし、自分の中で作品について再構築されるような気がする。明晰な音楽作りは難解な作品も容易に聴かせることができる。この作品は、1930年代の前半からアメリカに亡命する前年の1939年の間に作曲されたものである(1936年)。この時期はバルトークの最盛期と言われていた*6
 そして、ベートーヴェン交響曲は全て名曲であると思う。中でもこの交響曲第2番ニ長調作品36」ニ長調の朗らかな陽気と第2楽章の甘美な美しさが備わった作品である。交響曲第2番ニ長調作品36」は1801年〜02年に作曲されたとされているが、ベートーヴェンが自分の聴覚の以上に気がついたのは1789年頃とされている*7。この交響曲第2番ニ長調作品36」と深い関係があるのが「ハイリゲンシュタットの遺書」である。「ハイリゲンシュタットの遺書」1802年10月6日と10日に、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットから弟子たちに宛てた手紙である。しかし、「遺書」といっても自らの生命を断つことを前提にしたものでもなく、ベートーヴェンが死後に他の書類と共に彼の書斎机の引き出しの奥から発見されたものであり、弟子たちがベートーヴェン生存中に呼んだ可能性も少ないと考えられている*8。主な内容としては、弟子二人の幸せを祈り友人たちの愛と感謝を述べたり、死による死による救済を求めるかのような弱音、死の恐怖と戦いながら強く生き抜くこうとする意思表明がある*9。尤も、10日の手紙では精神的な乱れの中で描かれた様子が窺えるものである。文末には、自分の遺した財産などを公平に分け、兄弟仲良く互いに助け合いながら生きることなどベートーヴェンの死後に実行するよう内容も記されている*10。また、楽家として誰にも打ち明けられない難聴の病のゆえに、それを覚えられるのではないかという恐怖からの社交の場を避けざるを得なかったを人々に正しく伝えるようなことも記されている*11。特に交響曲第2番ニ長調作品36」は全体的に明るいが、その要因は、経済的に順風に乗り始めたり、対女性関係もあったとされる。そうした明るい感情がその時期にの作品に反映したと考えられている*12
 朝比奈先生もこの交響曲第2番ニ長調作品36」については比較的好印象を抱いており、じっくりとしたテンポで演奏されたいことも述べている*13。特に第1楽章序奏部は長くニ長調ながらの明るさと共にベートーヴェンらしい荘厳さもある。中でも、下降音階はベートーヴェン交響曲第9番第1楽章第1主題のようである。もっとも好む場面は第4楽章大コーダである。弦楽器がppの状態で繊細な音色を奏でた後にffのD音が強烈に鳴り響いて締めくくるのである。朝比奈先生は新日本フィルとのリハーサルの際には「これが本当のff!いきなり悪魔が出てくるようなffで!」「びっくりするような大きな音で!ホルンとトランペット、もっと出せ!」と要求されていたようだ*14。ヤマカズ先生は読響とどのような音を響かせるのだろうか。

本日のプログラム

前半

バルトーク弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽

第1楽章:Andante Tranquillo

 指揮棒を使わないで指先だけで指揮をした。柔らかい動きから不気味で不穏な弦楽器の音色がじわじわと奏でられた。この独特な主題が循環主題として何回も繰り返される。やがてはフーガとなるのだが、不穏で複雑な印象を与えながらも弦楽器の緻密で折り重なる音楽はバルトークらしさを感じた。かなりダイナミックな動きで指揮をするヤマカズ先生に応えるかのように信頼感抜群の読響の圧倒的な弦楽器のサウンドが印象的だった

第2楽章:Allegro

 第1楽章が「緩」であるのに対して、第2楽章は「急」。第1楽章とは一変して迫力ある弦楽器の音色が印象的だった。本日は前から5列目で聴いていたので弦楽器奏者の動きがよく見て取れた。
 快速的テンポによる擦り切れるような弦楽器の迫力と「バチン!」と大きな音を立てるバルトーク・ピツィカートももちろん素晴らしかった。

第3楽章:Adagio

 再び「緩」。第一楽章のような不穏な雰囲気に逆戻りするかのようである。随所に聴こえるピアノとチェレスタもより一層不気味さを増している。
 この時にやっと思ったが、題名の通り「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」であるから、打楽器と弦楽器しかない。したがって、金管楽器木管楽器は登場しないことになる。もっといえば、弦楽器のみで構成されているがまるで管弦楽を聴いてるかのような錯覚に陥った

第4楽章:Allegro Molto

 いよいよ第4楽章。「急」であり、快速的テンポから上下するような主題が印象的だ。ヤマカズ先生のノリノリの指揮によって生み出されるバルトークの音楽はこんなに楽しいものなのか
 弦楽器のトゥッティとなれば重厚感ある音圧で圧倒されるし、時にはとても楽しげに演奏されるし、ヤマカズ先生の才能っぷりが思う存分伝わったような気がする。ずっと、バルトークの音楽を理解するにはピエール・ブーレーズが相応しいと思っていたが、このような個性的な演奏をする指揮者のバルトークも良いものだ。
 最後の締めくくりは絶妙なテンポの揺らしによって締め括ったが、あれを合わせるのは至難の業だろう

後半

 さて、いよいよ「武満徹:ノヴェンバー・ステップス」だと思っていたら、指揮者のヤマカズ先生がマイクを持って指揮台に登場した。普段指揮者がマイクを持って何かを述べることは決してないし、コバケン先生を除いて指揮者の肉声を聞くこともまずない。
 そして、ヤマカズ先生が口を開いた瞬間、会場内に響めきが沸き起こった。

 小澤征爾先生が亡くなりました」


 コンサートの途中で小澤征爾の訃報が飛び込んできたのだ。そして、小澤征爾と「武満徹:ノヴェンバー・ステップス」の作品には深い関わり合いがある。

 作曲家(注:武満徹)は1967年に〈ノヴェンバー・ステップス〉を書き上げ、NYPの演奏会に提供する。初演は同年11月9日、ニューヨークのリンカーン・センターにあるフィルハーモニック(現デイヴィット・ゲフィン)・ホールにて。小沢の指揮するNYPが、ベートーヴェン交響曲第2番、ヒンデミットの〈画家マティス〉とともに披露した。本日のっプログラムはその一部を再現している。
(月刊オーケストラ2024年2月号・澤谷夏樹[14-15頁])

 奇しくも小澤征爾が「武満徹:ノヴェンバー・ステップス」の初演を行ったプログラムと同一のプログラムになっていたのである。解説を執筆した澤谷先生もそうは思わなかったのではないか。
 ヤマカズ先生はこの当時「差別的なものがあり、琵琶や尺八が登場しただけで人が次々とホールから出ていく」「リハーサル初日はそのような状態だった」と現在では考え難いような状況だった。しかし、小澤征爾の尽力もあって武満徹の名が世界的名声になったことは間違い無いだろう
 複雑な心境の中、後半のプログラムが始まった。

武満徹:ノヴェンバー・ステップス

 早速、いかにも現代音楽らしい複雑な旋律が鳴り響く。しかし、新ウィーン楽派とも黛敏郎先生のような前衛的なものでもない。これが武満先生の世界なのだろうか。弦楽器の音色が静まり、いよいよ尺八と琵琶の登場である。
 和楽器なんて実際に聴くのはおそらく音楽の授業以来だろうか。尤も琵琶の音色を聴くのは初めてである琵琶の演奏方法を見ているとギターや三味線のように弦を鳴らすことはもちろんであるが、実際に叩くようにして打楽器のような場面もあった。また、尺八の掠れた音はいかにも日本らしく、和というような雰囲気に包まれた
 全体を通すと約20分程度ある曲であるが、張り詰めた緊張感と尺八と琵琶の和楽器のコンビ、武満先生の独特の世界観によって気がついたら終わってしまった。和洋折衷という言葉があるが、この作品にこの四字熟語が当てはまるかというと賛否両論が起こりえよう。
 知らない間に武満先生の世界の虜になっていたようである

ベートーヴェン交響曲第2番ニ長調作品36

第1楽章:Adagio Molto, Allegro Con Brio

 突然の小澤征爾の訃報によって動揺が残る中、迫力あるD音によって幕を開けた。バルトークの不穏な雰囲気や武満先生の緊張感溢れる音楽から一変して安定した明るい音楽が始まった序奏部では、やはり明るい雰囲気であるも、交響曲第9番第1楽章第1主題を髣髴させる下降音階は流石の読響というような迫力あるサウンドであった
 提示部。快速的テンポで第1主題を駆け巡る。先ほどのヤマカズ先生のお話にもあったが「音楽は楽しいものだ」ということから、第1主題も第2主題も実に明るく哀しみを吹き飛ばすような勢いと迫力だった。提示部終わりの小さいコーダも相当な迫力であり、壮大なパワーがあった。提示部繰り返しあり提示部繰り返しがあったのは嬉しかった。もう一度明るい提示部を聴くことができたのだから。
 展開部。第1主題を断片的に繰り返す。ベートーヴェンらしい荘厳な場面であり、ニ長調ながらも緊張感のある迫真の演奏であり、読響らしい迫力あるサウンドを堪能できた後半の低弦楽器が大きく上下する旋律に加えて弦楽器が第1主題の断片的な演奏を繰り返す箇所はもう迫力のあまりに思わず感動の涙が出そうになった
 再現部本当にヤマカズ先生は楽しそうに指揮をしている。それに伴って読響も素晴らしく迫力ある演奏を繰り広げられていた。
 コーダ。ずーっと明るくも迫力ある演奏を繰り広げられている。特に終盤にかけて頂点部を形成する箇所は大迫力であり、金管楽器も輝かしい音色を響かせており、テンションも相当高かった。ブラボーが出てもおかしく無い勢いだった。

第2楽章:Larghetto

 小澤征爾に捧げるような美しい音楽。
 提示部。第1楽章から一変して弦楽器の美しい第1主題が響き渡る。弦楽器の音色も透き通るようで美しかったが、木管楽器も幻想的で美しい音色を響かせていた。その後の第2主題の弦楽器も滑らかで美しく、一線を描くようなどこまでも広がるような美しさであった
 展開部中低音域によって奏でられる主題は可愛らしくも重厚感ある音色で素晴らしいものだった。それに追いかけるようにホルンの音色も雄大で素晴らしかった。読響のホルンのサウンドが一番好きなのである。後半に入ると頂点部を形成するようなダイナミックな場面がある。ヤマカズ先生も熱量を増していき、それに応えるかのようにオーケストラの音色も熱がこもっていた
 再現部。提示部同様に美しい主題を奏でる。提示部の美しさを繰り返すようにそのままコーダに進み、静かに第2楽章を閉じた。

第3楽章:Scherzo

 開始前。第2ヴァイオリン奏者同士でジャンケンが行われていた。いつ、弦楽器の配置について記そうか迷っていたが、ここで記すことにしよう。
 本日の弦楽器の配置はストコフスキー型でも対抗配置でもない。ステージ正面左から「Vl.I→Va→Vl.II→Vl.II→Vc→Va→Vl.I」(後にClが左右4人ずつ)と左右に第一ヴァイオリンが来るという半円形な配置。要するに、左右を分けても弦五部が出来上がるという仕組みである。
 主部では最初に右半分の弦五部のみで演奏され、繰り返されると今度は左半分の弦五部で演奏するという極めて面白い演奏だった。これぞ超対抗配置というべきではなかろうか。おそらくじゃんけんはどちらが先に演奏するか決めるものだったのだろう。
 トリオは通常通り木管楽器による軽快な音楽と弦楽器の迫力あるトリル(トリルでは無いかもしれないが)が鳴り響いた。
 そして、もう一度主部が繰り返されるが、今度は左右どちらかではなく一緒に演奏されていた

第4楽章:Allegro Molto

 提示部。かなり速いテンポで第1主題を奏でる。思っていた以上に快速的テンポであった。ヤマカズ先生のことだから朝比奈先生のようなどっしりとしたテンポでは無いだろうと予想はついていたが、それ以上の速さだった。そしてあっという間に第2主題へ。軽快な木管楽器の後には弦楽器による迫真な演奏に圧倒されるばかり。
 展開部。後半の弦楽器の跳ねるような打点は相当な音圧であり、迫力ある読響サウンドが響き渡った。
 そして、またあっという間に再現部。第1主題→経過句→第2主題と再現していく。強い推進力と圧倒的明るさによってどんどん第4楽章が進んでいく
 長大なコーダ。第1主題を断片的に繰り返し、急に静まり返っていよいよ朝比奈先生が語っていたffの場面になる。そして、ffの箇所では期待を裏切らない大迫力の和音が強烈に鳴り響き、テンポをさらに上げて一気に終結した
 そして、拍手の嵐、ブラボーが響き渡る。実にハイテンションなベートーヴェン交響曲第2番だった。やはり「音楽は楽しい」ものだ。

統括

 上記でも述べたが突然の小澤征爾の訃報だった。それもコンサート中に。
 そして、本日のプログラムが「武満徹:ノヴェンバー・ステップス」の初演時のプログラムとほぼ同一であったということも偶然とはいえ驚きである小澤征爾はヤマカズ先生の今日のプログラムをどのように聴いていたのだろうか。
 私は正直いって小澤征爾の音楽はあまり好きではなかった。芸術的センスは極めて優れている音楽だと思っているが、どうも迫力さに欠ける。その辺りがどうも腑に落ちなかったのである。しかし、そんな私でも小澤征爾の「ベートーヴェン:合唱幻想曲」を指揮した演奏は何度も聴いているし、何度も食い入るように見ている

 2002年ではウィーン・フィルニューイヤーコンサートの指揮者を務め、ベルリン・フィルでも指揮者を務め、ボストン交響楽団では桂冠指揮者を務めていることから実力は十分すぎるといっても過言ではない。
 そして、私が勝手に名付けた超対抗型配置による演奏も実に興味深かった。左右均等に配置されているから、ステージ右側の席に座っても左側の席に座ってもさほど響きや聴こえ方には影響が少なかったかとも思える。この配置で様々な作品を聴いてみたい。さすがは、サイモン・ラトルも携わったバーミンガム交響楽団首席指揮者なだけあって発想が実に豊かである。
 演奏はもちろん素晴らしかったが、それ以上に小澤征爾の突然の訃報に衝撃が走ったコンサートであった。

 終演後は山田和樹先生自ら北陸の震災の募金活動へ。少ないですが1,000円寄付してきました。
 寄付した際に演奏会のお礼を告げるとともに一礼したところ、大変深々とお辞儀をされました。

前回のコンサート

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*1:尤も、昭和の時代に山田一雄先生という指揮者がおり、その方も「ヤマカズ先生」と呼ばれていたが、ここでは山田一雄先生を「元祖ヤマカズ先生」として扱う。筆者は「ヤマカズ先生」といえば山田一雄先生の印象が極めて強いので本来であれば山田和樹先生のことを「新ヤマカズ先生」と呼んでいる。

*2:楢崎洋子『作曲家◎人と作品-武満徹』(音楽之友社、2005年)197頁

*3:前掲注2・199頁

*4:前掲注2・89頁

*5:前掲注2・89頁

*6:柴田隆一「バルトーク管弦楽のための協奏曲&弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」(UCCS-9120)3頁

*7:音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー③ベートーヴェン』(音楽之友社、1992年)29頁[門馬直美]

*8:平野昭『作曲家◎人と作品-ベートーヴェン』(音楽之友社、2012年)65頁

*9:前掲注8・65頁

*10:前掲注8・65頁

*11:前掲注8・65頁

*12:前掲注7・30頁[門馬直美]

*13:東条碩夫編『朝比奈隆 ベートーヴェン交響曲を語る』(中央公論新社、2020年)38頁以下[朝比奈隆

*14:東前掲注13・55頁以下[朝比奈隆

ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調を聴く(その1)

Introduction

 ベートーヴェン交響曲は全て名曲であると思う。中でもこの交響曲第2番ニ長調作品36」ニ長調の朗らかな陽気と第2楽章の甘美な美しさが備わった作品である。交響曲第2番ニ長調作品36」は1801年〜02年に作曲されたとされているが、ベートーヴェンが自分の聴覚の以上に気がついたのは1789年頃とされている*1。この交響曲第2番ニ長調作品36」と深い関係があるのが「ハイリゲンシュタットの遺書」である。「ハイリゲンシュタットの遺書」1802年10月6日と10日に、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットから弟子たちに宛てた手紙である。しかし、「遺書」といっても自らの生命を断つことを前提にしたものでもなく、ベートーヴェンが死後に他の書類と共に彼の書斎机の引き出しの奥から発見されたものであり、弟子たちがベートーヴェン生存中に呼んだ可能性も少ないと考えられている*2。主な内容としては、弟子二人の幸せを祈り友人たちの愛と感謝を述べたり、死による死による救済を求めるかのような弱音、死の恐怖と戦いながら強く生き抜くこうとする意思表明がある*3。尤も、10日の手紙では精神的な乱れの中で描かれた様子が窺えるものである。文末には、自分の遺した財産などを公平に分け、兄弟仲良く互いに助け合いながら生きることなどベートーヴェンの死後に実行するよう内容も記されている*4。また、楽家として誰にも打ち明けられない難聴の病のゆえに、それを覚えられるのではないかという恐怖からの社交の場を避けざるを得なかったを人々に正しく伝えるようなことも記されている*5。特に交響曲第2番ニ長調作品36」は全体的に明るいが、その要因は、経済的に順風に乗り始めたり、対女性関係もあったとされる。そうした明るい感情がその時期にの作品に反映したと考えられている*6
 朝比奈先生もこの交響曲第2番ニ長調作品36」については比較的好印象を抱いており、じっくりとしたテンポで演奏されたいことも述べている*7。特に第1楽章序奏部は長くニ長調ながらの明るさと共にベートーヴェンらしい荘厳さもある。中でも、下降音階はベートーヴェン交響曲第9番第1楽章第1主題のようである。もっとも好む場面は第4楽章大コーダである。弦楽器がppの状態で繊細な音色を奏でた後にffのD音が強烈に鳴り響いて締めくくるのである。朝比奈先生は新日本フィルとのリハーサルの際には「これが本当のff!いきなり悪魔が出てくるようなffで!」「びっくりするような大きな音で!ホルンとトランペット、もっと出せ!」と要求されていたようだ*8
(「【読響】第635回定期演奏会 in サントリーホール」(後日公開)と同内容)

ベートーヴェン交響曲第2番ニ長調

ウォルフガング・サヴァリッシュロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

評価:8 演奏時間:約35分

第1楽章:Allegro Con Brio

 序奏部。堂々かつ丁寧な二つの打点で幕をあける。聴くだけで十分にわかる上品な音色。どこか自然な音色であるにも関わらず、サヴァリッシュの作品に対する情熱さも感じる。そして、交響曲第9番第1楽章を彷彿させる場面は一気に登場し、過ぎ去っていった。
 提示部。まさに爽やかで明るく進んでいく。軽やかな第1主題は実に爽やかであり透き通るような印象を与えるその後の木管楽器の第2主題も美しく輝いている。正統派を窮めるサヴァリッシュベートーヴェンはこんなに美しく精緻な音楽なのである。(提示部繰り返しなし)
 展開部。第1主題を基調とするが、随所に散見される金管楽器の音色は迫力ある音色を響かせるが華がある。
 再現部。提示部同様に第1主題と第2主題を奏でる。自然な音楽ながらも多少枯れ切った味わいを魅せるベームとは対照的に瑞々しさがある
 コーダ。この交響曲第2番の第1楽章と第4楽章のコーダはかなり長い。第1主題を基調としており第2の展開部を形成するかのようである。それにしても金管楽器が加わった時の和音は非常に美しく思わず恍惚とするフィナーレは実に華々しいものであり、すべての楽器の音色がしっかりと響いており大きなスケールを形成して締めくくるベートーヴェンの数少ないフェルマータで集結する点ももちろん良し。

第2楽章:Andante Con Moto

 提示部なんという美しい出だしなのだろう。弦楽器の瑞々しく透き通るような美しさの後に木管楽器が加わっても同様に美しい。この第1主題の美しさはベートーヴェン交響曲の中でも随一の美しさだろう。コンセルトヘボウ管の円やかで甘美な音色が非常に印象的である。第2主題の弦楽器の音色も素晴らしいものである。繊細な音色の奥に澄んだ美しさが潜んでいるかのようだ。美しい植物の茎の中に新鮮で澄んだ水分を含んだようなものだ。
 展開部。提示部第1主題を断片的に繰り返されるが、盛り上がると頂点部を形成する。展開部で楽章全体の頂点部を形成するのは後の交響曲第3番「英雄」の第2楽章のようだ。弦楽器が勇ましい打点を刻みながら第1主題を断片的に繰り返す場面は徐々に熱を帯びてくる
 再現部。再び美しい第1主題が戻ってくる。そして型通りに第2主題も再現する。
 コーダを迎えて美しくも朗らかな第2主題を終える。緩徐楽章出会ってもサヴァリッシュの全てのパートを捉えた演奏は緻密で丁寧である。

第3楽章:Allegro

 快速的テンポで主部をかける。気持ち速めのテンポが気分を高揚させて一気に明るい雰囲気へ引き込むスケルツォ楽章なのであるから多少元気がある方が良いだろう。
 トリオは木管楽器が可愛らしく穏やかに奏でられる。その後の弦楽器は快速的なテンポながらも重厚感ある音色を響かせている。
 再び主部に戻る。文字数が少なく特筆すべき点がないかと思われるが、それほど自然体な音楽なのである

第4楽章:Allegro

 キリッとした印象を与える第1主題。そして、穏やかな木管楽器による第2主題。第1楽章のように実に爽やかであり透き通るような印象を与える
 展開部では主に第1主題が扱われている。交響曲第9番のような緊張さも垣間見えるが、サヴァリッシュの丁寧な音楽作りによってベートーヴェンの荘厳さや緻密さがはっきり現れる。時には熱のこもった場面もある
 大きな波を描いた後に再現部へ。キリッとした第1主題→穏やかなチェロの経過句→甘美な音色の第2主題へ移り行く。この第2主題が若干F-Durの雰囲気に変わるところがミソな気がする。単なる反復ではない。
 そして、長いコーダへ。全体を通して第1主題が反復しても用いられているようである。コーダ中盤あたりに静寂な中からffの強烈な和音は金管楽器の交えて非常に格好良い演奏であるカラヤンのような強烈さはないが虜になる和音である。
 カラヤンのような派手さはないが、ベームのような地味さもない。自然な音楽の中に燃える情熱さが含まれている音楽がサヴァリッシュの音楽なのだろう。

*1:音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー③ベートーヴェン』(音楽之友社、1992年)29頁[門馬直美]

*2:平野昭『作曲家◎人と作品-ベートーヴェン』(音楽之友社、2012年)65頁

*3:平野昭『作曲家◎人と作品-ベートーヴェン』(音楽之友社、2012年)65頁

*4:平野昭『作曲家◎人と作品-ベートーヴェン』(音楽之友社、2012年)65頁

*5:平野昭『作曲家◎人と作品-ベートーヴェン』(音楽之友社、2012年)65頁

*6:音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー③ベートーヴェン』(音楽之友社、1992年)30頁[門馬直美]

*7:東条碩夫編『朝比奈隆 ベートーヴェン交響曲を語る』(中央公論新社、2020年)38頁以下[朝比奈隆

*8:東条碩夫編『朝比奈隆 ベートーヴェン交響曲を語る』(中央公論新社、2020年)55頁以下[朝比奈隆

【読響】第634回定期演奏会 in サントリーホール

introduction

 今回は、【読響】第634回定期演奏会である。前回聴きに行ったのが第633回定期演奏会であったので、2回連続の定期演奏会となった。そして、何よりも、私にとって今年最初のコンサートでもある。
 そして、ドイツ音楽を好む方にとっては実に素晴らしいプログラムであろう。リヒャルト・ワーグナールートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンリヒャルト・シュトラウスドイツ作曲家のオンパレードである。どれも私が興味ある作品ばかりなのである。
 そして、指揮者は読響常任指揮者であるセヴァスティアン・ヴァイグレ。ドイツの名匠であるヴァイグレの指揮によるドイツ音楽はいかなるものか。随分と前に、ヴァイグレと読響の演奏でブルックナー交響曲第9番を聴きに行ったことがあるが、迫力十分の重厚なブルックナーであったと強く記憶している。
 いつもなら早大図書館で各作品についての解説や文献を参照するのであるが、今回はその時間が十分に確保できなかった
 今回のプログラムで注目すべきものは、やはりリヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトゥスラはかく語りき」だろう。有名な序奏部のみならず、後期ロマン派音楽特有の4管編成による迫力ある圧倒的な音楽はやはり実際に体感してみたい

本日のプログラム

ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲

 冒頭部のトランペット・ソロのA音の幕開けはやはり緊張する。しかし、気がつけばノーミスであることに気がついた。何度かソロパートがあるがその間に木管楽器の音色が入る。トランペットの円やかな音色と木管楽器の艶やかで美しい音色が響き渡る幻想的なファンファーレだった。その後の弦楽器の主題も申し分ない美しさであった。その後、全合奏の中トランペットが主題を奏でる場面は実にワーグナーらしい荘厳さが際立っていた。1曲目から欲しかった読響サウンドが響き渡る。さすがにテンシュテットのような強烈さは無いが引けを取らない壮大な音楽であった。
 後半からは少しテンポをあげる。幾度と鳴らされる金管楽器の壮麗なコラールは感動した。スネアドラムといった打楽器が加わる行進曲風な場面もしっかり打楽器が聴こえた。やはり、この『リエンツィ』のひとつの注目すべき場面だろう。うるさ過ぎない程度のシンバルや金管楽器の音色、しかし、迫力十分。終盤に向けて徐々に熱を帯びており、かなりのテンションの高さで締め括った
 序曲から既に満足である。

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調

 十分な予習を積むことができないまま当日を迎えてしまった。したがって、楽章ごとの項目に分けて執筆することができなくなってしまい、申し訳ない。
 冒頭の木管楽器による第1主題は瑞々しく透き通るような美しい音色だった。そして、第1主題から雰囲気が一変して弦楽器が力強く第2主題を奏でたが、すぐに第1主題に戻る。このニ長調による第1主題は穏やかで優しい雰囲気に包まれた
 提示部が終わり、いよいよダニエル・ロザコヴィッチのヴァイオリンが登場する。繊細な音色が響き渡り美しいヴァイオリンの音色が響き渡っていた。尤も上位のように完全なる予習不足であったので、プログラム・ノートの解説を手掛かりに聴いていた。この協奏曲は、独奏の気ままな演奏に管弦楽が寄り添うものでもなく、華麗な独創の妙技を存分に見せつけるものでもなく、独創楽器と管弦楽を緊密に組み合わせ、アンサンブル型の協奏曲を実現したとされている*1。個人的にヴァイオリン協奏曲は疎いのだが、確かにシベリウスバルトークのヴァイオリン協奏曲を聴くとどちらかというと後者のスタイルに属するものかと思われる。
 確かに、ダニエル・ロザコヴィッチのヴァイオリンの音色は素晴らしかったが、時には管弦楽の音色に溶け込んでおり穏やかな音楽を展開したりしていた。さらに、プログラム・ノートには「この作品には多くの美しさが認められるものの、月並みの箇所の果てしない繰り返しによってくたびれてしまう」*2との記述が引用されていたが、私ものその聴き手の一人になってしまった。
 第1楽章だけでも相当提示部第1主題を繰り返しているように思える。実際に第1楽章だけでも約25分という長大な作品である。
 全体と通すとやはりベートーヴェンらしい愉快さ・美しさ・繊細さを兼ね備えた傑作であると認識した

Encore:J. S. バッハ:ヴァイオリンのためのソナタ第1番 より 第1楽章


リヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトゥスラはかく語りき」

 かの有名な「Einleitung(導入部)」トランペットの「自然の動機」は申し分ない音色だった。もっとも私は、テンポを早めて打点を打つのが好みだが一音丁寧な打点であった。その後の盛り上がる場面は実に壮大で美しく、パイプオルガンの音色も響き渡った。そして新たな発見であったが、有名な「自然の動機」はトランペット・ソロではなく、4本で演奏されることを初めて知った
 後の「Von den Hinterweltlern(世界の背後を説く者について)」はまるで、メタモルフォーゼンを聴くかのような極めて精緻な弦楽器のパートである。迫力ある導入部から一変して精緻な音楽を描き出すリヒャルト・シュトラウスの表現力はとてつもないものだ。実際、読響は精緻で繊細な弦楽器の音色を響かせていた。その美しさは「Von der großen Sehnsucht(大いなる憧れについて)」にも引き継がれた。その後盛り上がると、大編成の楽器構成と読響の圧倒的なサウンドによって「Von den Freuden und Leidenschaften(喜びと情熱について)」へ移った。迫力ある弦楽器の音色に強烈なトロンボーンの「懈怠の動機」が聴こえた時は鳥肌がたった。この音が聴きたかったのだ。ヴァイグレは、ドゥダメルブーレーズのように速いテンポで演奏されていた。私はマゼールカラヤンのように遅く演奏される方が好みであるが、どちらの演奏スタイルも好みである。
 そして一旦落ち着いて「Das Grablied(墓場の歌)」に入り、その後は超小音の「Von der Wissenschaft(学問について)」 の場面はちょっとした雑音を立たせることさえ許されないような緊張感が漂った。
 いよいよ大きな場面である「Der Genesende(病より癒え行く者)」に入る。私はこの場面が一番好きなのだ。何度か「自然の動機」が繰り返されるのだが、その盛り上がりが頂点に達した後の怒涛の「自然の動機」が最も好みであり、今回の演奏でも十分に期待していた。実際のところは予想を遥かに上回る大迫力であり、ステージから何か悪魔の力を借りてきたかのような圧倒的音量と重厚さが押し寄せてきたのである。さすがはヴァイグレ、さすがは読響の言葉に尽きる。後半は、少し穏やかになり、ワルツのような優雅さが漂う。様々な楽器が鳴り響くリヒャルト・シュトラウスの精緻な音楽作りを実感した。その雰囲気のまま「Das Tanzlied(舞踏の歌)」に入る。随所にヴァイオリン・ソロがあるのだがコンマスの林悠介先生の繊細な音色はしっかりと響いてきた。この「Das Tanzlied(舞踏の歌)」も私が好きな場面であるのだが、特に素晴らしかった。大編成の楽曲を思う存分に発揮しており、後半部は超絶ダイナミックな音量で圧倒されたそう!このダイナミックな音に圧倒されたくて今日の読響に期待してきたのである!
 最高潮に達して「Nachtwandlerlied(夜の流離い人の歌)」に突入するが、最初の鐘の音が目の覚めるような一発であった。最初の1発から一気に静寂な雰囲気となり、林先生の繊細で美しいヴァイオリンの音色と木管楽器の音色しか残らなくなる。フラブラはもちろんのこと、最後の音が鳴り終わっても指揮者のタクトが下されるまでは静寂で緊張感のある雰囲気に包まれた。
 その後、熱狂的な拍手に包まれた。

総括

 全体を通して私の期待していたような内容であり素晴らしかった。特にリヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトゥスラはかく語りき」は強く印象に残った。やはり、N響都響とは違う迫力さダイナミックさが読響にはある。時には度肝を抜くほどの圧倒的音量を容赦無く鳴らすものであるから私はすっかり虜になってしまっている。もはや日本のオーケストラの中で一番好きなオーケストラなのかもしれない
 高円宮妃久子殿下を名誉顧問として設えている読売日本交響楽団。その存在からイギリスのロンドン交響楽団のような印象を受けるのは私だけであろうか。
 会員に入るか否かは定かではないが、いずれにしても読響のコンサートは色々と追いかけていきたいと思う。
 今年初のコンサートは幸先の良いスタートを切った
 

前回のコンサート

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*1:公益財団法人読売日本交響楽団編『月刊オーケストラ11号』(読売日本交響楽団、2024年)13頁[澤谷夏樹]

*2:公益財団法人読売日本交響楽団編『月刊オーケストラ11号』(読売日本交響楽団、2024年)13頁[澤谷夏樹]

【書評】『弱気の蟲』松本清張

  • introduction
  • 本の簡単な紹介
    • 本のタイトル・出版社
    • 作者
  • あらすじ
  • なぜこの本を読んだのか
  • 感想(ネタバレ注意)
    • 『二つの声』
    • 『弱気の蟲』
  • まとめ

introduction

 新年明けましておめでとうございます!!

 「今年のことは今年のうちに」という言葉があるが、実は以下の記事は年末に投稿する予定だったものである。なんだかんだ年末が予定が立て込んでしまって年を跨いでしまった。
 さて、年末の風物詩の一つである箱根駅伝。毎年母校である早稲田大学を応援しているが今年は総合7位という結果に終わった。総合5位以内という目標であったが、昨年に比べて順位を一つ落としてしまった。
 来年は城西大学のように飛躍して強い名門早稲田大学を名を轟かせていただきたい
www.yomiuri.co.jp

本の簡単な紹介

本のタイトル・出版社

  • 『弱気の蟲』(光文社、2019年)

作者

 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生れ。給仕、印刷工など種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社。41歳で懸賞小説に応募、入選した『西郷札』が直木賞候補となり、1953(昭和28)年、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。1958年の『点と線』は推理小説界に“社会派”の新風を生む。生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その守備範囲は古代から現代まで多岐に亘った。
 新潮社掲載より引用(松本清張 | 著者プロフィール | 新潮社

あらすじ

 二十年近く地道にある省の役人を勤めてきた川島留吉は、ふとしたきっかけで役人仲間と麻雀を始める。麻雀が弱い川島は負けが込み続けるが、ある日、川島の官庁に出入りの外郭団体の職員から自宅での麻雀に誘われる。そこから川島の地獄の日々が始まった――。(表題作)俳句仲間と野鳥の声を録音しに行った軽井沢での殺人事件を扱った「二つの声」も収録。。(弱気の蟲 松本清張 | 光文社文庫 | 光文社

なぜこの本を読んだのか

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 引き続き、松本清張プレミアム・ミステリーより。このようなシリーズ化していると片っ端から読みたくなるものだ。

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