鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調を聴く(その1)

Anton Bruckner [1824-1896]

Introduction

概説

 いよいよ、ブルックナー交響曲第5番変ロ長調を書く時がきた。もし私にブルックナーの中でも最もブルックナーらしい作品は何か?」という問いを立てたら、この交響曲第5番と推薦する。第1楽章と第4楽章の荘厳で巨大なフーガはパイプオルガンのような響きであり、ブルックナー特有の重厚さが素晴らしいのだ。その結果、第2楽章と第3楽章の印象が少し薄れた印象でありが、第2楽章の副主題の美しさ、第3楽章の野生的な荒々しさがいい。全体的な充実さは交響曲第8番や第9番の方が優れているかもしれないが、ブルックナーらしさはこの交響曲第5番が最も出ているだろう。さらに、ブルックナーはこの交響曲第5番のことを「対位法上の傑作」と称したとされている。
 この作品は1875年12月14日に第2楽章から書き始められた。その後、同年3月3日に第1楽章を書き始め、4月17日にスケルツォ主部が終了し、6月22日にトリオが終了、その翌日である6月23日から1876年5月16日にフィナーレが完了した*1
 そして、ブルックナーといえば版の問題がある。特に交響曲第4番と交響曲第9番はいくつもの版があり、同じ曲でも多数の種類が存在し、混乱を招くことさえある。その原因として、その作品の初演の評判や自分自身の性格上の問題もあった。しかし、この交響曲第5番の初演はブルックナーは健康上の理由で居合わせることができなかったとされている*2。そのため、初演上の評判を知ることができなかった。さらにいうと、ブルックナーは生涯にわたってこの作品を実演を聞くことができなかったのである。その結果、ブルックナー交響曲第5番を改変することはなく、版の問題は生じなかったため、「ハース版」「ノヴァーク版」といった大きな問題点は生じなかった。また、1937年にロベルト・ハースが自筆稿を元に復元したスコアが出版され、その後1951年にレオポルド・ノヴァークが自筆譜の再検討を加えたものを出版したが、どちらも当たった資料は同じだったという理由もある*3。実際のところノヴァーク版はハース版の誤植を訂正したに過ぎない*4
 しかし、この交響曲第5番にはブルックナーの弟子であるフランツ・シャルクが改訂した「シャルク版」が存在する。そして、初演は1984年4月9日に弟子のフランツ・シャルクがこの交響曲第5番を指揮したが、その時に用いられたのはこの「シャルク版」であった。皮肉なことに初演の成功の様子はフランツ・シャルクがブルックナーに興奮気味で手紙を送ったが、その初演は弟子の「シャルク版」であった。しかし、この「シャルク版」はあまり評判は良くなく、オーケストレーションをロマン派的に書き直し、カットによって形式を破壊した「改竄版」という批判に晒され、演奏の現場からは姿を消すことになったのである*5。この「シャルク版」について最も著名な指揮者は、ハンス・クナッパーツブッシュである。この交響曲第5番だけではなく、あらゆるブルックナー交響曲は改訂版を用い続けてきたハンス・クナッパーツブッシュの演奏はブルックナーの作品を考察する上で非常に貴重な音源資料なのでもある。
 今回は、「シャルク」版ではなく、原典版の演奏を取り上げる。下記のように、ロリン・マゼールウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を扱う。なぜ最初にこの演奏を取り上げるかというと、私が初めてこの交響曲第5番を聴いた演奏がこの組み合わせだったからである。超名門オーケストラであるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団マゼールが44歳という若さで、それもこの交響曲第5番という筋金入りのブルックナー指揮者でなければならない難曲を指揮したのである

参考文献

ブルックナー交響曲第5番変ロ長調

ロリン・マゼールウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

評価:7 演奏時間:約76分

第1楽章:Introduktion. Adagio - Allegro

 序奏部。静寂の中、低弦楽器のピツィカートの響きの後の弦楽器のハーモニーが神聖なる雰囲気を醸し出す。その後に迫力ある金管楽器のコラールが鳴り響くのだが少々音が軽い。しかし、力まず自然な力感でのコラールもまた荘厳で素晴らしい。テンポも至って標準的。
 呈示部。弦楽器が甘美な音色で第1主題を歌い上げる。マゼールといえば特異な演奏をすることもあるが、この第1主題至って自然な音色である。続いて弦楽器のピツィカートが奏でる第2主題も弾みのあるテンポで軽快に進められていく。聴いていて違和感がなく、自然な演奏である。その後の第3主題も流れるような美しさと迫力が素晴らしい。盛り上がっても耳が痛くならない金管楽器の音色と心地よい重厚感のある音色が印象的だ
 展開部。非常に繊細な弦楽器のトレモロと共にホルンとフルートが対話を始めるのだが、その繊細さに緊張が走る。その後は、呈示部第1主題の要素が多用されるが呈示部と同様に自然体な音色によって奏でられている。ウィーン・フィルの甘美な音色が響き渡る美しい展開部である。展開部後半部では金管楽器が何度も第1主題を繰り返すが重厚な響きと自然な音色が折衷されたハーモニーはブルックナーの作品の素晴らしさを十分に引き出しているといえよう。
 再現部は呈示部よりも短く再現される。やはり第1主題が繰り返されるが金管楽器の音色が自然ながらも荘厳な響きで素晴らしい。録音環境も良いのか、残響も心地よい。やはり、第1主題はこう荘厳で勇ましく奏でられなければならない。典型的なソナタ形式の通り、第1主題→第2主題→第3主題と奏でられる。決して弱くない金管楽器がやはり印象的だ。
 コーダもやはり第1主題が何度も反復される。反復さながらも頂点部へ向かう様子はいかにもブルックナーらしい。荘厳な金管のコラールが鳴り響く中、堂々と締め括られるコーダも素晴らしい内容

第2楽章:Adagio. Sehr langsam

 もの寂しげなオーボエが第1主題(主要主題)を奏でる。気のせいかピツィカートが多少強い気もするが…。気のせいということに留めておこう。
 その後に、美しい第2主題が奏でられる。堂々と弦五部が奏でられる第2主題はいかにもブルックナーらしいアダージョである。バッハといったバロック音楽のような繊細的な美しさではなく、重厚感のある美しい音楽なのである。マゼールウィーン・フィルの演奏ももちろん重厚感のある音色を響かせながら第2主題を奏でられている。やはり、弦楽器が美しいオーケストラでこの第2主題聴きたいものだ。この第2主題は第1主題よりも長く、やがては金管楽器も交えて発展していくのだが神秘的な美しさを感じる。
 そして、もう一度第1主題と第2主題を繰り返すのだが、第2楽章の中で注目すべきところは3回目の第1主題である。弦楽器が6連符を滑らかに奏でながら木管楽器が第1主題を奏で、やがては金管楽器も加わって発展していく様子は、後作の交響曲第7番ホ長調第2楽章177小節へ向かう階段のようである。本演奏は、流れるようなテンポで弦楽器が6連符を滑らかに奏で、木管楽器の音色が第1主題を奏でていき、金管楽器が加わると壮麗な音色が一面に広がる。金管楽器が弦楽器の音色等をかき消すこともなく、自然な響きが調和された美しい第1主題である。もちろん、荘厳さも十分に発揮されている。

第3楽章:Scherzo. Molto vivace (schnell) - Trio. Im gleichen Tempo

 野生的なスケルツォ。標準的なテンポで荒々しく第1主題を奏でる。その後、テンポを落として第2主題を奏でる…はずなのである
 一番最初にこのロリン・マゼールの演奏を聴いていたから感覚が麻痺していたようだ。第2主題は「Bedeutend langsamer(テンポをかなり落として)」という指示がある。やがて(その2)を執筆する予定であるが、他の演奏はかなり遅く第2主題を演奏している。マゼールの第2主題はかなり速いテンポで演奏されていたのだ。ほぼ第1主題のテンポと変わらずに演奏される第2主題もまた面白いし、悪くはない
 トリオは野生的な主部とは異なり、可愛らしい印象を与える。テンポも遅くなっており、優雅なワルツのような3拍子で歌い上げる。後半部では金管楽器が迫力ある音色を奏でる箇所があるが、マゼールの演奏は上記のように自然な音色を貫いている。
 そして、もう一度主部が繰り返される。

第4楽章:Finale. Adagio - Allegro moderato

 ほぼ第1楽章の繰り返しのようなものだ。そして、序奏部では第1楽章・第2楽章・第3楽章を再現するが、この手法はベートーヴェン交響曲第9番第4楽章冒頭に由来するものである。
 そして、第1主題(フーガ主題)が勇ましく奏でられている。ブルックナーの対位法が駆使された第1主題である。その後、第2主題は快速的テンポでスイスイと奏でられている。厳しい第1主題の一方で、第2主題は優しく軽快な雰囲気で演奏されている。若き天才ロリン・マゼールが名門ウィーン・フィルは見事に操って違和感のない緩急自在な呈示部を形成している。そして、再び厳しい第3主題が奏でられる。金管楽器の迫力ある第3主題と畝る重厚感のある弦楽器の響きが見事であり、聴く方に興奮を与える。その後、金管楽器のコラールは迫力ある音色で奏でられている。この部分は指揮者によって大きく異なる。教会のような静けさを意識したものや、金管楽器を全面的に押し出したような強烈な音色を奏でるような演奏もある。マゼールはどちらかというと後者に位置付けられる
 展開部はブルックナーの対位法が駆使された場面となっている。上記金管楽器のコラールの主題と第1主題(フーガ主題)の二重のフーガとなっており、複雑さを極めている。マゼールウィーン・フィルはこの複雑な二重フーガを難なく演奏されており、複雑さを忘れるほどの自然な仕上がりには驚きの演奏だ。重厚感のある金管楽器と高らかな音色を響かせる弦楽器の音色がハッキリとしている。この展開部は言葉ではいい表すことが難しいほど精緻な構成で作曲されている。尤も、この展開部はかなり長い。
 再現部の第1主題は極めて短く、気がついたら第2主題の再現となっている。再現部第2主題も軽快に奏でられている。やはり、ウィーン・フィルの滑らかで美しい弦楽器の響きは世界一だろう。そして再び厳しい第3主題の再現が始まる。金管楽器の荘厳で迫力のある音色はいかにもブルックナーらしく素晴らし音色であるとともに、第1楽章第1主題も金管楽器によって奏でられている。この重厚さこそがブルックナーの音楽なのである。
 そして、いよいよコーダとなる。多少テンポを落として幕を開ける壮大なフィナーレが始まる。荘厳な金管楽器によって奏でられる第1楽章第1主題は何度聴いても感動する。まるでパイプオルガンのような立体的音楽に幾多の楽器が組み合わされた精緻で壮大なフィナーレはまさにブルックナー「対位法の傑作」といえよう。マゼールの演奏もどっしりとしたテンポで進んでいき、金管楽器が荘厳なコラールを響かせて圧倒的なフィナーレを形成している。特に最後の最後の和音の前にティンパニがややクレッシェンドがかけられている点は注目に値しよう

*1:音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー⑤ブルックナー』(音楽之友社、1993年)74頁[根岸一美]

*2:ハンス・ヨアヒム=ヒンリヒセン(髙松佑介訳)『ブルックナー交響曲』(春秋社、2018年)137頁

*3:脇田真佐夫「セルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団のライナーノーツ」(ALT138/9)19頁

*4:前掲注1・75頁

*5:脇田真佐夫「ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/読売日本交響楽団のライナーノーツ」(ALT411)3頁