Symphonikerの独り言

クラシック音楽を趣味とする早大OB

〜備忘録〜【都響】第883回定期演奏会Bシリーズ in サントリーホール

プログラム

モーツァルト交響曲第38番 ニ長調 K.504《プラハ

 ウィーンとプラハ。ヴォルフガング・アマデリス・モーツァルト(1756~91)に縁の2つの都市だが、両者の歴史的な関係はきわめて微妙である。
 プラハは現在ではチェコの首都だが、もともとはチェコ西部を本拠地とするボへミア王国の都だった。なおこのポヘミア王国、中世の一時期はヨーロッパの中でも風指の強国として栄え、それに背成を感じたドイツ系の諸候が、アルプス山中で武要を新かせていたハプスブルク家に要請し、ボヘミア王国のドイツ語国からの退に乗り出したほどである。これがきっかけとなってハプスブルク家はドナウ
河流域に進出し、最終的にウィーンを都に定めるわけだが、いっぽうのボヘミア王国はその後退し、様々な国の侵路を招いた末、ついにはハプスブルク家の支配する巨大帝国の一部と化した。
 つまりプラハの人々にとってウィーンとは、自分たちのアイデンティティであるボヘミアを占領している国の都という位置づけだった。そうした状況の中、ウィーンでの名声に陰りが出始めたモーツァルトは、プラハで大歓迎を受けることとなるのだが……。

 1786年、モーツァルトはオペラ「フィガロの結婚』を完成。ウィーンで初演されるも、もともとの原作にも描かれていた費族出物がこの常都に住む多くの貴族を刺激したこともあり、モーツァルト自身の期待とは裏腹にそこそこの成功に終わってしまう。ところが同じ年、プラハでこのオペラが上演されるや否や、この街ではたちまち大ヒット作となった。ハプスブルク家の支配を内心苦々しく思っている
プラハの人々にとってみれば、いわば下克上にも通じる内容の「フィガロの結婚」を前に、日頃の溜飲を下げることができたのだろう。
 こうしてプラハにおける空前の『フィガロの結婚』ブームを背景に、このオペラの作曲者であるモーツァルト自身をこの街に招こうという機運が高まった。モーツァルトのほうも、たった数年前にウィーンで体験していた圧倒的な人気に降りが出てきたことを自覚し始めたこともあり、1787年の1月に初めてのプラハ旅行へ赴く。当然、彼は自らの指揮により『フィガロの結婚』を上演することにもなっていたのだが、それに先立ってプラハの音楽愛好家たちが主催する演奏会が開かれ、その席で初演されたのが交響曲第38番である。
 このような経緯があるため、当交響曲は《プラハ》の愛称で親しまれているのだが、そもそもモーツァルトプラハでの演奏会を念頭にそれを書いたのかどうかはよく分からない。というのもどうやら、この作品はプラハからの招待を受ける前に完成されていた、という説が現在では一般的になっているからだ。モーツァルトは、自前の演奏会をウィーンーもしくは別の場所一で催すにあたり、新作として当交響曲を書いていたところ、プラハからの招待が舞い込んだため、急遽そちらで初演する結果になった模様だ(プラハへ行く前にウィーンで初演された、との説もある)。
 いずれにしても、一聴すると優雅な響きの中に、モーツァルトの挑戦的な姿勢が随所で弾けている。例えば、後年のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』における死の場面を彷彿させる不気味な曲想が徐々に立ち現れてくる序奏を具えた第1楽章。その第1楽章の第1主題は、一転して朗らかな長調を主としながらも、かのピアノ協奏曲第20番二短調の第1楽章同様シンコペーションが基となり、一筋縄ではゆかない陰影が具わっている。第2楽章も穏やかな光の中に暗い影が密かに忍び寄るような、モーツァルトならではの軽さと深さが聴きどころ。その直後には、ユーモアを湛えながらも一瞬で駆け抜ける最終楽章が続く。
 なお当作品の一番の特徴は、モーツァルト交響曲にはつきもののメヌエット(王侯貴族の優雅な踊りの音楽)が一切登場しないこと。このあたりにも「フィガロの結婚』の作曲者にふさわしく、王侯貴族中心の古い文化に密かに背を向け我が道をひたすら疾走していたモーツァルトの反骨精神が表れていると言うと大げさだろうか。

(プログラムの曲目解説、小宮正安先生の記述を引用・抜粋)

ブルックナー交響曲第4番変ホ長調 WAB104<ロマンティック>(ノヴァーク:1878/80年版)

 オーストリアの敬度なカトリック信者らしく、アントン・ブルックナー(1824〜96) はミサ曲やオルガン曲にも取り組んだが、彼の代表作といえば、なんといっても交響曲である。番号付きが9曲。習作が1曲。さらに、第1番の次に書かれ、のちに「無効」とされた第0番と呼ばれる作品があるので、全部で11曲がある。そのうち第4番は非常に人気があり、演奏頻度も抜きんでて高い。何がそれほどに人々をひきつけるのか。
 ひとつには、《ロマンティック》という題が大きいだろう。標題付きのブルックナー交響曲はこれのみであり、しかもこれは作曲者自身の命名による正をなものだ。そして何より、この言葉の起するしいイメージが功を発していると思われる。
 もっとも、「ロマンティック」という語がここで示酸している事柄と、現代の我々がこの語に普通抱くイメージとでは、かなりの違いがある。
 芸術の分野で盛んに言われるようになった「ロマンティック」なる語は、もともと文学や哲学の分野に端を発している。時は19世紀はじめ。フリードリヒ・シュレーグル(1772~1829) やノヴァーリス(1772~180l) といったドイツの時人たちによれば、さまざまな制約や限界のあるこの現実界において、それを超える「無限なるもの」の存在を信じ、予感することが「ロマンティック」な態度であるという。この時代のロマン派文学に、いま・ここを超えた、中世など失われた過去や、お協の国がよく描かれるのは、その表れだ。科学が主流となる近代における、反発や不安が、ここには反映していたことだろう。
 文学や哲学にうとかったブルックナーが、第4交響曲にサブタイトルを付けるにあたってこうした芸術論を直接念頭においていたとは、なるほど、考えにくい。それでも、ウェーバー『魔弾の射手』や、ワーグナーローエングリン」などの歌劇を通して、19世紀前半に好まれた「ロマンティックなもの」を共有していたに違いない。すなわち、お伽の世界への、森の不思議への、けがれなき過去への、憧れを。ブルックナーは、この交響曲の開始部を説明するために、ある聖職者に宛てて、こんな描写をしたためている。「中世の町。夜明けのとき。見張りの塔から起床の合図が鳴り響く。門が開く。駿馬にまたがった騎士が、さっそうと戸外へと飛び出してゆく……」

(プログラムの曲目解説、舩木篤也先生の記述を引用・抜粋)

 東京都交響楽団首席客演指揮者アラン・タケシ・ギルバート快速的テンポモーツァルト交響曲第38番と、自然豊かながらも壮大なブルックナー交響曲第4番
 タケシ君らしい、力強さも兼ね備えた演奏であった。

【本来の交響曲第2番】ブルックナー:交響曲第0番ニ短調を聴く

Anton Bruckner [1824-1896]

Introduction

概説

 今回はブルックナー交響曲第0番ニ短調*1を取り上げる。表題からし交響曲第0番ニ短調とは一体なんぞや?と思うような番号である。
 番号からすると、「交響曲第1番ハ短調*2の前に作られたことが後々に明らかになったことなどが想起されよう。しかし、交響曲第0番ニ短調は本来であれば、交響曲2ニ短調となるはずだった作品である。実際に、1869年1月24日から9月12日までの間にウィーンとリンツで作曲されており、自筆譜上部には交響曲第2番」である旨が記入されている*3。しかし、のちにブルックナーは「交響曲第2番」に斜線を引き、「無効(annulirt)」という言葉が書き加えられている。では、なぜブルックナーは「交響曲第2番」から交響曲第0番ニ短調へ変更してしまったのだろうか。
 一つの見解として、ブルックナーはこの曲の草稿に交響曲『第0番、全然通用しないもので、たんなる試作」とするものがある*4。その原因として、ブルックナーこの作品について交響曲の歴史上稀に見る、輪郭がほとんどない主題を交響曲の楽章展開への出発点て消化させようとしたブルックナー自身の挑戦に対し、1870年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者オットー・デソフニ見せた時に「一体どこに主題があるのか?」と質問された*5のが一つ大きな要因のようだ。ブルックナー性格上改訂を何度も繰り返す癖があることから推測すると、本作品について改訂ではなく「無効」と決断したことにはブルックナー自身において大きな衝撃な出来事だったことが推測される。
 そして、今回取り上げる演奏は、クリスティアンティーレマンウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を取り上げる。他にも朝比奈先生スタニスワフ・スクロヴァチェフスキなどが本作品について残しているが私自身がそこまで本作品に興味があるわけでもないので、仮に朝比奈先生スタニスワフ・スクロヴァチェフスキであっても聴くかは微妙なところである。
 もし仮に、朝比奈先生スタニスワフ・スクロヴァチェフスキを購入して聴き比べるとなったら、別途あらためて記事を再構築して一覧表という形にして個別で各演奏について述べていく予定である。

参考文献

ブルックナー交響曲第0番ニ短調

クリスティアンティーレマンウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

評価:8 演奏時間:約47分


第1楽章:Allegro

 提示部トレモロによって細かく刻まれた第1主題が鳴り響く。「どこかで聴いたことがある」とそう思った。この幕開けは交響曲第3番ニ短調ワーグナー」と酷似している。少し怪しげな第1主題とは別個に第2主題が安らかなヴァイオリンが繊細な音色を響かせながら奏でられている。その後ヘ長調で第3主題に入るとブルックナーらしい精密さが現れているティーレマンロマン主義的要素が含まれた重厚感あふれる音楽が展開されている。この提示部はすぐに「第1主題→第2主題→第3主題」へ移行する。そして、一つ一つの主題が短く「長大なブルックナー交響曲という位置付けからすると少し乖離した印象を受ける。
 その後は展開部かと思われる。提示部に登場した主題とは別個に非常に安らかでアダージョを思わせるような優しく安らかな弦楽器の音色と優しい木管楽器の音色が美しい。基本的には神秘的なコラールをベースにトレモロの第1主題が随所に扱われている。第1主題が主に扱われると再現部に入る。
 再現部。展開部で第1主題を元に頂点部を形成した後、急速に静まり返ってから再現部第1主題が始まる。多少提示部から変更が加えられており、転調が結構激しい。再現部第2主題も転調されているせいか、より繊細な響きに聞こえる。再現部第3主題はヘ長調からニ長調を基調としているようである。初期のブルックナーの作品は、第7番乃至第9番のような壮大な宇宙と間ではいえないがそれを彷彿させるような緻密さはある。
 おそらく、コーダである思うが第1主題を基本としているものの結構長い。裏拍を低弦楽器を持って演奏する手法はまさしく、交響曲第3番ニ短調ワーグナー」」で見られるものだ。その後、展開部のような安らかさを見せるが最後は勇壮に第1主題を奏でて締め括る。

第2楽章:Andante

 提示部。第1楽章展開部のような安らかな響きが再びここで登場する。第1主題の弦楽器の響きは流石のウィーン・フィルということもあって甘美で独特の美しい音色を響かせている。その後の、ヘ長調による第2主題のも素晴らしく、最初はヴァイオリンによって奏でられた後のオーボエによって奏でられる音色も非常に繊細で完備な音色を響かせていて素晴らしい。牧歌的てどことなく、シューベルトの音楽を彷彿させるような穏やかな雰囲気の提示部である。比較的に第2主題がやや長めであり、上昇音階や下降音階が繰り返される。
 展開部。第1主題や第2主題の両方を扱っている。美しく煌びやかな木管楽器の音色と重厚感がありながらも完備な音色を響かせるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏が素晴らしい。時が経つのを忘れるような美しさである。印象が残る展開部であるが、そこまで長くはない。
 再現部。第1主題の再現が始まるが牧歌的なホルンが印象的である。その後、第2主題の再現が始まるがオーボエの甘美な音色が非常に印象的であり、美しい音が折り重なっている。しかし、提示部とは異なって途中大きな頂点部を形成する。
 再現部とコーダの境が不明確であるが、最後は優しく神秘的に締めくくる。
 交響曲第0番ニ短調は後半の大曲によって影を潜めがちであるが、ブルックナー交響曲の中でもトップクラスの美しさを誇る緩徐楽章であることは間違いなかろう。

第3楽章:Scherzo. Presto - Trio. Langsamer Und Ruhiger

 主部ブルックナーらしい荒々しいスケルツォである。そして、なんとなく交響曲第3番ニ短調ワーグナーを彷彿させるような主部である。そして、この荒々しい主部は第4楽章の第1主題にも繋がっているように思う。演奏の方はとある楽器の音色が前面的に奏でるものではない。ティーレマンらしい重厚感あふれる音色で押し寄せるような迫力ある演奏が展開されている
 トリオ。荒々しい主部とは異なり、第2楽章のような落ち着きを見せる。木管楽器が織りなす可愛らしい音楽と弦楽器による穏やかで美しい音色名が流れるような素晴らしいトリオである。
 そして、再び荒々しい主部を繰り返す。

第4楽章:Finale. Moderato - Allegro Vivace

 序奏部。穏やかで第1楽章第2主題や第2楽章第2主題を彷彿させるような穏やかな音楽である。しかし、調性はニ短調であるから第1楽章冒頭のようなやや不安げな雰囲気もある。 
 提示部。迫力ある金管楽器が第1主題を演奏する。この重厚感触れる主題を勇壮し、しかもこの第1主題が楽器を変えて緻密に繰り返されているのである。この頃から対位法が駆使された交響曲を展開しているのである。一方、第2主題は軽快なテンポで駆け抜ける。しかし、その軽快さはあっという間に影を潜んで第1主題を基調とした音楽に戻ってしまう。
 展開部。序奏部や第2楽章のような緩やかなテンポに戻る。主に木管楽器と弦楽器しか登場しないが、これだけで十二分過ぎるような美しい音楽が展開されている。ティーレマンロマン主義あふれる指揮法がそのようにさせているのかもしれない。
 再現部。突如として第1主題が登場する。下降音階が印象的な第1主題であるが再現部では下降音階を基調としながらも上昇音階も随所に見られており複雑さを極めている。その後の、第2主題も快速的なテンポで気持ちよく駆けるような演奏は強い推進力をも与える。その後は、提示部通りに第1主題を基調としてさらに盛り上がっていく。しかし、第2主題の快速的テンポのまま演奏されるものだから勇ましく、非常に格好良い
 コーダ。直前にフルートがソロで第1主題を再現する。その後、ニ長調に転調して華やかに締め括る。
 実に素晴らしい演奏だ。

*1:原典版(新全集XI 1968年出版)/ノーヴァク校訂]

*2:交響曲第1番ハ短調」(リンツ稿)は1865年1月〜4月14日に作曲されている)

*3:ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン(訳:髙松佑介)『ブルックナー交響曲』(春秋社、2018年)73頁

*4:音楽之友社編『作曲家別 名曲解説ライブラリー⑤ ブルックナー』(音楽之友社、1993年)30頁[門馬直美]

*5:前掲注3・80頁

【ブラームスの交響曲の傑作】ブラームス:交響曲第1番ハ短調を聴く

Johannes Brahms [1833-1897]

Introduction

 今回は、ブラームス交響曲第1番ハ短調ブラームス交響曲の中でも最も有名な交響曲といえよう。
 もっとも、第1楽章冒頭の迫力ある悲痛な叫びのような序奏は初めて聴いた時、雷に打たれたような衝撃が走ったことを強く記憶している。その時の演奏が、叔父の所有しているカラヤンベルリン・フィル(DG)の演奏だった。
 第1楽章から非常に中身の濃い曲であり、ブラームス特有の濃厚さが詰まっている。
 そして、第2楽章・第3楽章の流れるように落ち着いた美しさもブラームスの特徴のひとつといえよう。古典的な交響曲は、第3楽章にスケルツォを置くことが多いのだが、本曲は第2楽章に続いて第3楽章も緩徐楽章なのである。ある意味、新しい第3楽章ともいえよう。
 なんと言っても、最終章である。長い序奏部のあとの、提示部第1主題は第4楽章のなかで最も重要な主題であり、印象深いものである。

 第1楽章の暗さ→第4楽章の明るさというわかりやすい構造であるが…類似した構成の曲がブラームス交響曲第1番の前にすでに登場しているのである。それが、ベートーヴェン交響曲第5番である。ブラームスベートーヴェンの影響を強く受けていることが推定されよう。
 そして、ブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の作曲、発表に関して非常に慎重であった。通常は数か月から数年とされる作曲期間であるが、最初のこの交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した*1
 また、ハンス・フォン・ビューローは、この曲をベートーヴェン交響曲第10番」とも評価した。近時、この評価の仕方について様々な意見が出てるところだが、ブラームス交響曲の中も素晴らしい作品であることについては異論はなかろう。

ブラームス交響曲第1番ハ短調

シャルル・ミュンシュ:パリ管弦楽団

評価:8 演奏時間:約48分宇野功芳先生推薦盤】*2
law-symphoniker.hatenablog.com

ギュンター・ヴァント:北ドイツ放送交響楽団

Coming Soon

ヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1988年・ロンドンライヴ)

評価:10 演奏時間:約46分【当方推薦盤】
law-symphoniker.hatenablog.com

*1:交響曲第1番 (ブラームス) - Wikipedia

*2:宇野功芳『クラシックの名曲・名盤』(講談社、1989年)50頁

*3:宇野功芳ほか『クラシックCDの名盤』(文藝春秋、1999年)239頁

【緊張感と魅力】ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調を聴く(その5)

introduction

 いよいよ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー@ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を取り上げよう。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏で一番有名なのは、1947年5月27日の録音であろう。しかし、今回取り上げる演奏は、1954年5月23日の演奏である。
 私は現在、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏はこの①1954年5月23日②1947年5月27日③1943年6月27~30日の3つを所有している。したがって、この順番に記事を連載することにした。感が鋭い人はどのような評価になるかおおよその予想はつくだろう。
 さて、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという指揮者であるが、あちこちの記事で述べているように私が一番好きな指揮者なのである。やはり他の指揮者にはない独特の雰囲気と間合い、強烈なクレッシェンド、そして、度肝を抜くほどの圧倒的な爆速コーダである。このベートーヴェン交響曲第5番ハ短調の演奏も例外ではない。
 まずは、晩年のフルトヴェングラーベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏について聴いてみることにする。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラーベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

評価:7 演奏時間:約35分

第1楽章:Allegro Con Brio

 提示部。冒頭はフルトヴェングラーらしい重々しい雰囲気で始まる。第1主題はフルトヴェングラーらしい独特の間合いも目立っており、緊迫感あふれる演奏が展開されている。第2主題は当時のベルリン・フィルが奏でる清涼感ある弦楽器の音色が非常に印象的である。提示部繰り返しあり
 展開部。第1主題を基調としており、提示部同様に緊迫感ある演奏が展開されている。この展開部ではどの指揮者やどのオーケストラでも比較的緊迫感を与える演奏が多いが、やはりフルトヴェングラーは言葉に表現するには難しい雰囲気がある
 再現部。迫力十分の第1主題であるし、独特の間合いも凄まじい変態っぷりだ。私が第1楽章の中で最も好きなのがこの再現部第2主題である。録音の関係かヴァイオリンと木管楽器が若干ヨボヨボしているが、短いながらも「暗→明」を体感できる。張りのある弦楽器が颯爽と第2主題を奏でているところはやはり素晴らしい。展開部以上に指揮者の腕の見せどころのような気がする。
 コーダ。コーダの第1主題も相当の迫力である。第1楽章からフルトヴェングラーの独特の世界が広がっている。

第2楽章:Andante Con Moto

 A-B-A'-B-A"-B'-A'"-A""-codaから成る緩徐楽章かつ、変奏曲である。
 やはり、弦楽器は独特の雰囲気が広がる。フルトヴェングラーの指揮は非常に困難とされており、団員たちは常に緊張しっぱなしのようだという。そのようなスリルを味わえるのもこのフルトヴェングラーだからこそなのだろう。そして、第2主題はトランペットの音色が十分過ぎるように聴こえてくる。相当の音量が出ていることが推測できる。その後の弦楽器が流れるように奏でる箇所はじっくりと遅いテンポで優雅に奏でている。
 2回目の第2主題は、1回目同様に迫力あるトランペットが十二分に音が出ており、ヴァイオリンの32分音符の箇所はかき消されてしまっている。その後の弦楽器の箇所はスイスイと流れるよう演奏するかと思いきや、意外とじっくりとしたテンポで進められている。音質も比較的良好であるし、弦楽器の緊迫感のある音色もしっかりと聴くことができる。

第3楽章:Allegro

 主部。かなり遅いテンポで幕を開ける。主部に入ってもしっかりとしたテンポで重々しく主題を奏でている
 トリオ。テンポは速めることはなく重厚感あふれる低弦楽器が「象のワルツ」を奏でている。
 そして、第3楽章から第4楽章へアタッカで移行するところは相変わらずの引き伸ばしである。

第4楽章:Allegro

 提示部。堂々とした音色で第1主題を奏でている。じっくりとしたテンポで進んでいく第1主題は非常に格調高く、本格的な演奏であることを実感させられる。その後もホルンが頑張って勇壮に奏でている。第2主題に入ると多少落ち着いて、ベルリン・フィルの弦楽器が美しく清澄な音色を響かせている。しかし、どこかしらにフルトヴェングラー独特の緊迫感が漂っているし、展開部前には強烈なクレシェンドが掛かっている提示部繰り返しなし
 展開部。多少の揺らしもあって、トロンボーンも強烈な音色を響かせており迫力ある演奏が展開されている。途中強烈なクレッシェンドもかかっておりコーダに向けてものすごい演奏が展開されるのではないかと期待を抱く
 再現部。再び堂々とした第1主題を奏でる。そして、ホルンが勇壮に奏で、再現部第2主題を経過して期待のコーダへ移行する。
 コーダ少しずつテンポが加速してく。加速していくにつれて徐々に熱気を帯びてきている。もっとも、他の演奏に比べると十分速い演奏であり、狂気じみたところもあるが他のフルトヴェングラーの演奏に比べるとやはり晩年ということもあって狂気さが足りない。そうすると、このような評価になってしまっても致し方がないという部分もある。

【真の力強さの象徴】ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調を聴く

Introduction

 今回は、ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調。ご存知の方も多いだろう。「運命」の愛称で知られているクラシック音楽中の中でも名曲である。実際に、三大交響曲として、ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」、シューベルト交響曲第8(7)番「未完成」、そして、ベートーヴェン交響曲第5番である。
 実際に交響曲において「5」という数字は、今後の作曲家に大きな影響を与えた。交響曲作曲家として5番目の交響曲を作曲するときは相当熱を入れたようだ。実際に「交響曲第5番」で人気の作品を書いた作曲家を考えてみよう。
 ベートーヴェンブルックナーマーラーショスタコーヴィチ。実際に、ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」も非常に人気である。また、ベートーヴェン交響曲の中でも最も緻密に設計された作品であり、その主題展開の技法や「暗から明へ」というドラマティックな楽曲構成は後世の作曲家に模範とされた。ブラームス交響曲第1番が同様に「暗から明へ」という構造になっている。そして、同じハ短調であることも注目されよう。
 そして、ベートーヴェン交響曲第5番は聴き比べにも非常に参考になる曲である。もっとも有名な第1楽章提示部第1主題がメインとなる。速く指揮する指揮者もいれば、1音1音しっかりと鳴らす指揮者もいる。同じ曲でも指揮者が異なれば全く違う、これがクラシック音楽の醍醐味といえよう
 
 上記画像は再現部に入る少し前からの楽譜であるが、ここはものすごい迫力であり、第1楽章の中でももっとも緊迫感のある瞬間だろう
 
 私が第1楽章の中でもっとも好きな再現部第2主題。。暗→明という構成を取る中、明るさへ若干顔を覗かせるハ長調の第2主題はたまらない。
 第2楽章において、私は2回目の第2主題(78小節目以降)の方が好きなのである。

弦楽器が32部音符になっており、より一層華々しく活発的になるのである
 
 そして、98小節以降のヴィオラとチェロの流れるような旋律がある。32部音符ながら滑らかに奏でられる旋律は第2楽章の中でもっとも美しく甘美な音色が楽しめる場面といえよう。
 第3楽章はトリオの以下の場面がある。
 
 チェロとコントラバスによって奏でられるトリオは「象のダンス」ベルリオーズが呼んだ。ハ短調ハ長調へと第4楽章に向けた前兆とも解釈されよう。
 第4楽章は、「ドーミーソー」と非常に単純な旋律だが、大変華々しく最終を飾るにもっとも相応しい。

 私が第4楽章中でもっとも好きな場面は以下の部分。

 第4楽章336〜337小節の弦楽器がトゥッティで「ソドソミーレドソー」と奏でる場面があるのだが、私が第4楽章の中でもっとも好きな箇所なのである。たったの1〜2秒しかないのに、ベートーヴェンの力強さと弦楽器の美しさ重厚さが兼ね備えられた場面なのである。素早く演奏するのもよし、ゆっくりとしたテンポで演奏するのもし。あらゆる奏法によってもこの1小節はベートーヴェンらしさを存分に発揮する場面でもある。
 そして、ベートーヴェン交響曲として唯一フェルマータで終えるのもこの第5番のみである。もっとも、交響曲第3番第4楽章の最終音をどれだけ伸ばして演奏するか否かによっても種類があるが、第5番ほど長く伸ばして演奏はされない。

ベートーヴェン交響曲第5番

ベルナルド・ハイティンクロンドン交響楽団

Coming Soon

ヘルマン・シェルヘン:ルガーノ放送管弦楽団

評価:6 演奏時間:約34分
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サー・ゲオルグショルティシカゴ交響楽団

Coming Soon