- introduction
- 本日のプログラム
- 総括
- 前回のコンサート
introduction
概要
今回は【読響】第633回定期演奏会である。
プログラムは、ヤナーチェクの他に、ジェルジ・リゲティ、ヴィトルト・ルトスワフスキといった現代音楽に満ちた特異なプログラムとなっている。後期ロマン派音楽〜現代音楽を好む私にとってワクワクが止まらないプログラムであり、非常に楽しみだ。
そして、今回の指揮者はシルヴァン・カンブルランであり、前読響常任指揮者であった。現在は、読響桂冠指揮者である。私にとって読響の指揮者といえば、スタニスワフ・スクロヴァチェフスキとシルヴァン・カンブルランのイメージが強い。しかし、この二人の実演を聴くことはなかなか叶わなかった(前者は状況する前に亡くなってしまった)。ようやく、カンブルランの演奏を生で聴くことができる楽しみ。そして、時に数多くのオーケストラを凌駕する迫力ある音楽を展開する読響サウンドによる現代音楽はどのような響きをするのか。多くの期待を寄せるプログラムである
さて、「リゲティ」や「ルトスワフスキ」という人物名を聞いた時、現代音楽=良くわからないというイメージを持たれる方多いだろう。おそらく、音楽=美しい・荘厳さというもののイメージが強いのではないかと思われる。確かに、ヨハン・セヴァスティアン・バッハといったバロック音楽は美しさもあるし、パイプオルガンとなれば教会のような荘厳さがあるだろう。また、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのような古典派音楽は単純ながらも親しみやすい主題・旋律もある。さらに、アントン・ブルックナーやグスタフ・マーラーともなれば楽器先生も巨大なものになり、圧倒的なサウンド・重厚さ・グロデスクといったものが魅力的である。尤も、そこには「調性音楽」というものが共通する。調性が安定しているからこそ、聴きやすく馴染みやすいのだろうと想像する。
しかし、リゲティやルトスワフスキともなれば調性は失われ、無調音楽になる。つまり、美しい・荘厳さというものとは乖離した次元の世界であり、曲の背景事情を取り入れるというよりは実験的・理論的要素が多く取り込まれている。典型的には十二音技法が挙げられるだろう。特に、リゲティの『ムジカ・リチェルカータ』は面白い。
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ヴィトルト・ルトスワスキの『管弦楽のための協奏曲』は非常にわかりやすい。ルトスワフスキは紛れもなくポーランド楽派のパイオニア的存在である。特に『管弦楽のための協奏曲』はルトスワフスキの代表的な作品に位置付けられ、当時のポーランド現代音楽の最高傑作の一つに数えられた*1。
過去にジョナサン・ノット:東京交響楽団の演奏で聴いたことがある。
law-symphoniker.hatenablog.com
本日のプログラム
- ヤナーチェク:バラード『ヴァイオリン弾きの子供』
- リゲティ:ピアノ協奏曲*
- ヤナーチェク:序曲「嫉妬」
- ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲
- *ピアノ:ピエール=ロラン・エマール
- 指揮:シルヴァン・カンブルラン(読響桂冠指揮者)
- 管弦楽:読売日本交響楽団
ヤナーチェク:バラード『ヴァイオリン弾きの子供』
なんと。今日のコンサートマスターは嬉しいことに日下紗矢子先生だった。凛とした姿に似合った繊細で美しいヴァイオリンの音色は流石の一言だった。
『ヴァイオリン弾きの子供』というタイトルからリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」やリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」のようにオーケストラとコンサートマスターのソロという構成が印象的だった。
さすがは読響。音量豊かな読響サウンドが鳴り響く中、日下先生の繊細で美しいヴァイオリンの音色が冴えていた。二管編成を貴重とする編成であるが、弦楽器がメインとなっている。哀愁漂う場面においては、色彩豊かな缶ブルランの指揮がよく似合った。
この時点で「色彩の魔術師」シルヴァン・カンブルランの音楽が如何なるものかわかった気がする。
リゲティ:ピアノ協奏曲
第1楽章:Vivace molto ritmico e preciso - Attacca subito
複雑なポリリズムが繰り返される。スコアを確認すればわかるのだが、ピアノは12/8拍子であり、その他管弦楽は4/4である。しかも、ピアノは右手と左手で調が異なる。
様々な高さの音色が響き渡る。音域は少々音が届きにくくなりがちであるが、エマールのピアノの音は力強く高音域もはっきりと鋭い音色が響いてきた。また、低音域もずっしりと重くまさに「色彩豊か」なピアノの音色であった。
第1楽章はどちらかというと「急」に位置付けられよう。複雑であるが、賑やかで色彩豊かな楽章である。
第2楽章:Lento e deserto
緩徐楽章。
解説を読んでわかったが、実に面白い第2楽章である。ピッコロの超低音とファゴットの超高音が同じ領域で重なり合うのである。確かに、冒頭はピッコロとファゴットで演奏されていた。解説を読まない限りピッコロとファゴットだとは気づきにくいだろう。
しかも、途中で不自然なグリッサンドが聴こえてくる。スライドホイッスルが用いられているのだ。楽器編成自体は小さい(室内楽に近い)のだが、打楽器がとにかく多彩なのである。
ピアノは超高音域と超低音域に乖離しており、不思議な感覚に陥った。いかにも現代音楽らしい。
随所に鞭がアクセントをつけて鳴らされるのだが、目覚めの1発だ。
第3楽章:Vivace cantabile
曲の流れ的には緩徐楽章のような雰囲気であるが、2拍子と6拍子と8拍子が混在している。
第3楽章は非常に複雑であり、超難解なピアノの音色が入り組んでいるがエマールの巧みなピアノは複雑さを感じさせず、色彩豊かな音色を響かせていた。
それをさらに彩るかのような読響サウンドも色彩豊かな音色を響かせており、カンブルランの手腕が発揮されているようだった。また、第3楽章ではシロフォンが登場したりと、様々な楽器が登場する。
第4楽章:Allegro risoluto, molto ritmico - Attacca subito
第2楽章〜第3楽章は緩徐楽章に位置づけられると思われたが、第4楽章はそうではない。
シェーンベルクやブーレーズのセリー主義(十二音技法)のようないかにも現代音楽らしい力強い打点が随所にあれば、各々の楽器のソロ・パートが繰り返されたりしていた。
第5楽章:Presto luminoso: Fluido, costante, sempre molto ritmico
最終章が最も活発的なのかもしれない。
グロッケンシュピールや多彩な楽器が登場したり、トランペットの音色が響いてきたり色彩豊かな最終章である。
ピアノではなく、オーケストラのみで演奏される場面も多く複雑な管弦楽を堪能することができる。尤も、カンブルランの色彩豊かな音色がより一層音楽を彩った。なるほど、これがカンブルランの魅力なのか。
最後はピアノとシロフォンのみで格好よく締め括った。最後の1音が刺激的だった。
アンコール
珍しいことに2曲も披露してくれた。しかも、Youtubeにエマール本人が演奏されたものがあるので貼っておく。
リゲティ:『ムジカ・リチェルカータ』より第7曲
リゲティ:『ムジカ・リチェルカータ』より第8曲
ヤナーチェク:序曲「嫉妬」
前半のバラード『ヴァイオリン弾きの子供』とは異なり、非常に明るく活気のある内容の作品である。
ホルンや金管楽器が印象的な場面であるが読響サウンドらしいダイナミックな音色が広がった。そして弦楽器と木管楽器の音色は優しく暖かい音色を響かせていた。
この日、カンブルランは指揮棒を持たずに指揮をしていた。指揮棒を使わないで式をする指揮者を代表する者としてレオポルド・ストコフスキーがいる。ストコフスキーは「1本の棒より、10本の指の方が遥かに優れた音色を引き出せる」と述べているが、本日のカンブルランにも同じことが言えるような気がした。
冒頭と最終部にティンパニの強烈な5連打があるのだが、最後部にいながらも体の芯まで響いてきた。
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲
第1楽章:Intrada
いよいよステージを演奏者で埋め尽くす時が来た。リゲティ:ピアノ協奏曲は楽器編成は小さいながらも打楽器が多数あった。また、ヤナーチェクの2作は二管編成なのでさほど大きくはない。尤も、このルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲は四管編成であり、打楽器も豊富にあるため、ステージは多くの楽器と演奏者で埋め尽くされた。
ピアノ、大太鼓、ティンパニの1音から開始されるのだが、なかなかの迫力だった。私は上記のように以前にこの曲を東京交響楽団の演奏で聴いたことがあるので若干比較をしながら聴いていた。
この日カンブルランは遅めのテンポで一音一音ずっしりと重く勧められていた。チェロをはじめとする主題を奏で、チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンが互いに奏でていくのだが、爽やかさより重厚さを感じた。まるで、クレンペラーのような構築性が垣間見えた。一度頂点部を形成すると金管楽器が主題を奏でる。
その後、弦楽器の下降音階があるが、遅めのテンポでしっかりと進んでいくカンブルランの音楽にすっかり虜となっていた。晩年のクレンペラーを彷彿させるような巨大な構築性がルトスワフスキの作品の構成をしっかりと与えたようだ。
曲の中間部が第1楽章全体の頂点部を形成するがシンバルの迫力のある一撃の後に引き摺り回すように主題を奏でるのだが、遅いテンポがより一層巨大さを増しており、圧倒される音楽を構築されていた。そう、この迫力ある色彩豊かな読響サウンドでこのルトスワフスキを聴いてたかったのである。
集結部に入るとチェレスタがリズムを刻み、フルートが祭りの後のような雰囲気で軽やかに主題を奏でられていた。一部、ヴァイオリン・ソロがあるが日下先生のヴァイオリンの音色が冴えていた。
第2楽章:Capriccio Notturno E Arioso
ショスタコーヴィチ交響曲第4番第1楽章の強烈なフガートを彷彿されるような弦楽器によって始まる。第1楽章では遅めのテンポで進められていたが、第2楽章は快速的テンポで一気に駆け抜けるようだった。カンブルランの指揮も繊細ながらもテキパキと動いており、それに伴って読響サウンドが色彩豊かな音色を奏でられていた。
中間部に入るとトランペットが非常に格好良いファンファーレのような旋律を奏でる。ロータリー・トランペットではなく、通常のピストン・トランペットを用いていたため、張りのある音色が響き渡った。やはり、中間部のようなダイナミックな場面だと少々テンポを落として演奏しており、ノットやウルバンスキのような強い推進力はなかった。しかし、カンブルランのように敢えて遅めに指揮をすることでこの作品の構築性を十二分に表現することもまた素晴らしく、新しい側面でこの作品と向き合えたような気がする。これだから、クラシック音楽は面白く、終わらないのだ。
第3楽章:Passacaglia, Toccata E Corale
大きく3部に分かれる
第1部として、コントラバスのピッツィカートによって主題を奏でることから幕を開ける。この主題が何度も繰り返される。そして、少しずつ楽器が登場し、だんだんと主題が明らかになっていく。やはり、第3楽章もテンポが遅かった。楽器が増えて迫力ある主題を奏で始めてもテンポを速めることはなく、遅めのテンポでダイナミックに主題を奏でる演奏は実に圧倒的であった。多彩な楽器が登場し、第1部の頂点部を形成した際は迫力ある読響サウンドが響き渡った。
そして、第2部。シンバルとトロンボーンによって第2部が幕を開け、これもまた特徴のある主題である。遅めのテンポで奏でられる第2部の主題も非常に力強く、どっしりとした印象であった。第1部と同様に賑やかな印象であるがテンポが遅いため、一音一音が迫力ある音色で体に響いてきた。尤も、多彩な楽器が登場するため、色彩豊かな音楽が広がった。
特に第2部後半は複雑さを極めるが、遅めのテンポで演奏することによって本作品の構成が如何なるものか、その感覚を掴むことができた。
第3部に入ったのだ。緩徐楽章のような穏やかな場面になる。しかし、第3部後半に入るとテンポを速めて第2楽章のような明るさになる。木管楽器が軽やかに奏でた後は金管楽器が登場してダイナミックな音楽が展開される。ダイナミックな読響サウンドと色彩の魔術師ことシルヴァン・カンブルランの指揮によってルトスワフスキの演奏を聴けたことはもはや冥土の土産にふさわしいものいえよう。
私自身にとって非常に強く記憶に残るルトスワフスキの演奏だった。
総括
いつもはコンサート全般のことをここに記しているのだが、色々と思う部分がありプログラムの感想の中に入れ込んでしまって書くことがほとんどなくなってしまった。
強いていてば、私にとって初めてのシルヴァン・カンブルランであった。読響の指揮者としてのイメージが強かったシルヴァン・カンブルランを実際に見ることができてとても嬉しかった。あのトレードマークといえよう長い髪を後ろで結んだ指揮者。
指揮棒を持たずに指揮をしており、色彩豊かな音楽を展開するシルヴァン・カンブルランはまさに「色彩の魔術師」というネーミングがふさわしい。
そして、非常に重要な記録として、シルヴァン・カンブルランよりサインをもらうことができた。フライト前の僅かな時間を割いてくださったのだ。
これからもお元気で。