鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

【書評】『翳った旋舞』松本清張

本の簡単な紹介

本のタイトル・出版社

  • 『翳った旋舞』(光文社、2019年)

作者

 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生れ。給仕、印刷工など種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社。41歳で懸賞小説に応募、入選した『西郷札』が直木賞候補となり、1953(昭和28)年、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。1958年の『点と線』は推理小説界に“社会派”の新風を生む。生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その守備範囲は古代から現代まで多岐に亘った。
新潮社掲載より引用(松本清張 | 著者プロフィール | 新潮社

あらすじ

 三沢順子は、大学卒業後R新聞社に入り、資料調査部に配属された。記事や写真などを整備しておく縁の下の力持ち的な部署である。その日、ある人物の写真を求められ、すぐに渡したのだが、何と別人のものだった。このミスが波紋を呼び、上役が左遷される事態を招いてしまうが──。(翳った旋舞 松本清張 | 光文社文庫 | 光文社

なぜこの本を読んだのか

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 引き続き、松本清張プレミアム・ミステリーより。このようなシリーズ化していると片っ端から読みたくなるものだ。前読んだ『象の白い脚』は長編小説であり、推理小説とは多少異なったため、「長編推理小説と称された作品を読んでみようと思ったのだ。

感想

 読書メーターの方にもこの作品について感想を記した。尤も、
 誰にだって仕事でミスすることはある。時に厳しく叱られることだってある。その時は随分と落ち込むものだ。主人公である三沢順子はR新聞社で写真の人物を間違えるミスをしてしまったが、その時の悔しさや落ち込み具合の描写は実に巧妙に表現されており、あたかも自分自身がミスして落ち込んでいるような情況となった。冒頭に登場する主人公の先輩社員である河内美津子が少々独特なキャラクターであり、その紹介の方法が清張先生独特の表現で面白い。

 河内美津子を一見して女性と判断するには少しばかり時間がかかるようだ。彼女は断髪にしているが、髪がちじれているので、女らしいヘアスタイルにすることができなかった。その縮れ方もひどく、額際が禿げ上がっているので、性別がはっきりとしない。眉がうすく、鼻が低くて、口が大きい。顴骨は出ているし、柄は小さい。
 小柄ということが彼女の可愛らしさを増すということは決してなかった。むしろ、ずんぐりとした銅の長さとガニ股が余計に男性を錯覚させる。冬になると、彼女は皮ジャンパーを着て、コールテンのズボンを穿き、夏は男のワイシャツを着て、キャバジンか何かの紺ズボンを穿いている。スラックスなどというシロモノではない。上から下まで全部男物ずくめだった。
 声は嗄れている。煙草はよく吸う。椅子に腰を下ろして、くわえ煙草でいるところなどを見ると、彼女が女であることに気づく者はいなかった。

 今のなってはLGBTが騒がれている今日であり、この表現の仕方については物議を醸し出すだろう。しかし、この河内美津子は意外と良い人物なのだ。ミスを犯してしまった三沢順子に対するフォローが良い。そして、三沢順子の上司である資料調査部の部長末広善太郎と次長金森謙吉の日頃の怠慢さを交えて鋭い指摘をする。なるほど、河内美津子は強い女だ。
 主人公三沢順子のミスは、写真の人物を間違えてしまったことだ。ミスは誰にでもある。
 しかし、三沢順子はやがて河内美津子よりも強い立場の女に変遷する。それは、三沢順子が勤めるR新聞社の局長である川北局長とR新聞社を買収しようと考えている海野社長と店に入っている時である。あまりにも川北局長の行動にイラつき、日頃の編集局長の態度からして卑怯と言わざるを得ず、三沢順子酔った勢いで海野社長に持ったビール瓶を逆さまにしてビールをぶちかましたのだ
 その後、海野社長が三沢順子宛に手紙を送るが、三沢順子は手紙を割くほどだ。すでに、三沢順子は川北局長どころか海野社長よりも立場が上になっているのだ。こんなにも立場が大きく変わるのだ。
 
 しかし、やがて三沢順子は友人真佐子の店で働くことになるが、真佐子が「人間てちっとも変わってない気がするわね」三沢順子に言った。

 本当に、三沢順子は変わっていないのか。

まとめ

 どうも松本清張先生の推理小説は一味違うようだ。何か事件性があるわけでもないし、謎があるわけでもない。しかし、推理小説のように続きが気になって仕方がない。実際に記録上読み始めたのが、2023年12月4日であり読了日は2023年12月7日である。ページ数も365頁と決して厚くはないがあっという間に読んでしまった。松本清張先生独特の文学の世界に気がついたら引き込まれているのだろう。
 そして、誰かと会うときに「やあ」というものが多く登場する。今日ではあまり聞かないが、昭和の時代には多用されていたのだろうか。