鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

〜備忘録〜【N響】第1980回 定期公演 Aプログラム in NHKホール

プログラム

R.シュトラウス:「ヨセフの伝説」から交響的断章

 <エレクトランくばらの輸士ンナクソス島のアリアドネ>につく、オーストリアの作家フーゴー・フォン・ホフマンスタールシュトラウスとの4つ目の共作。ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の委嘱によるもので、シナリオは旧約聖書のエピソードに基づく。裕福な商人ポティファルの妻から誘惑されたヨセフ少年は、それを断ったために監禁されるが、夢の中に現れた天使によって解放されるという物語である。
中東を舞台にしたくヨセフの伝説>の官能的な空気はくサロメ>によく似ている。ただし
かっての不協和音は和らげられ、代わって家華綺鶏たる音色の 後が全面に押し出されている。これを同時代の多くの識者は、シュトラウスの創造力の範化と受け止めた。
例えばイギリスの批評家アーネスト・ニューマンは「亡くなった指導者の葬式に列席しているようだ」と言った。
 しかし1914年5月14日の初演は大成功であった。ちょうど1年前の1913年5月に同じロシア・バレエ団がパリで上演したのがストラヴィンスキー春の祭典)だったことを思えば、シュトラウスがもはや時代の最も過激な作曲家ではなくなりつつあることに、少なからぬ観客が気づいただろうが、それでも曲の開始とともに豪華なメロディで一気に聴き手をパにするシュトラウスの腕前はまだまだ健在である。本日演奏される交響的断堂
は最晩年にシュトラウスが編曲したものである。
(プログラムの曲目解説、岡田暁生先生の記述を引用・抜粋)

 全く予習せずに挑んだ。しかし、R・シュトラウスの見事な技法から一気に虜になるような壮大な音楽が展開された。そして、随所にその場面の様子が想起されるようなドラマティックな描写が印象的だった。それにしても、広大なNHKホールを埋め尽くすほどの大編成の作品は見るからにして圧倒される。

R.シュトラウスアルプス交響曲

 (サロメ)からくナクソス島のアリアドネ)に至るオペラの時代をはさんで、1903年の<家庭交響曲>以来シュトラウスが10年ぶりに書いた本格的な交響的作品。しかもかつての交響時と比べ希外れに長大な作品。巨大戦艦にも比すべきこのサイズをシュトラウスは、逆説的なことだが、「形式の細分化」という手段でまとめあげた。作品全体を無数の小さな区画から組み立てるのである。<夜)<日の出)く登り道)<森に入る)等々ーシュトラウス交響詩でこれほど多くの短いセクションから出来ている例はない。「セクション」というより「ショット」といった方がいいかもしれない。この作品が成立したころ、すでに映画はオペラや交響曲を駆逐しつつあった。シュトラウス自身も少し後に、くばらの騎士>の無声映画版を作ったりしている。じっくり腰を据えて長いひとつの場面を展開するのではなく、効果的な短いショットを次々に繰り出す。これは明らかに映画的手法だ。シュトラウスが「レストランのメニューでも音楽に出来る」と豪語して、音楽による描な能力に絶対的自信をやっていたことは、よく知られている。<アルプス交機山)はシュトラッスの映像的音楽語法の見本市ともいうべきもので、聴いているだけでストーリーの細部まで追える。1920年代のドイツでは「山転映画」というジャンルが大流行したが、<アルプス交録曲)はそれを先取りしていたとすらいえる。アルプス※山を豪前に描くこの作品は、シュトラウス自身の10代のころの経験に非づいているといわれる。ツークシュピッツェのふもとにあるカルミッシュに、彼は豪華な別在をもっていたが、そこの変山からもう登山道になっていて、シュトラウス自身も山登りが大好きであった。ここで描かれるのは、ドイツ帝国の大ブルジョアの楽しい夏のバカンスの一日である。
 ただし初演が第1次世界大戦最中の1915年であったことを考えると、<アルプス交響曲>の底抜けの明るさもまた進ったふうに聞こえてくる。ベルリンでの初演は当時最も注目された大イベントで、わざわざドレスデン宮廷歌劇場管弦楽団をベルリンに各演させて行われ、しかも戦時であるにもかかわらず、シュトラウスには巨万のギャラが払われた。高名な音楽批評家だったパウル・ベッカーは、大物発直後に招集されて西部戦線に投入されたが(アルプス交響曲>初演のまさに当日、戦場で本作のスコアを読みながら、「アルプス交響曲 ある戦場通信」と題された感動的な批評をつづった。「相変わらず豊かで魅力的だが、見lうことなく投降しつつある要みゆく花の明らかな兆候」を指す
るベッカーは、このエッセイを次のように締めくくる。「私にはこの作品の標題が、作曲者が考えていたのとはまったく別の、そしてはるかに広い意味で、実現されたように思える。下山/養退一終結部/終鶏」。ベッカーは間違いなくこの作品に、かってシュトラウスが体現していた世紀転換期の輝かしいドイツ・ブルジョア文化の終活の兆候を聞き取ったのである。
(プログラムの曲目解説、岡田暁生先生の記述を引用・抜粋)

 ずっと生で聴いてみたかった作品。シュトラウスが14歳(15歳との説あり)の時に、ドイツ・アルプスのツークシュピッツェに向けて登山をしたときの体験が、この曲の元となっている。
大編成を駆使して描かれた作品は、自然とは非常に威厳なもので壮大であることを再認識される。特に夜の長い動機、そして山頂に至った時のスローテンポ、大迫力の嵐、そして夜が終わった後の長い静寂な時間。全てにおいてレヴェルが高かった。
改めて、名誉指揮者パーヴォ・ヤルヴィN響の関係性がよくわかった気がする。

 一般参賀あり。

 それにしても、あの席であの音響ね…。ずっと「これがサントリーホールや芸劇だったら」と思ってしまった。
 そして、パーヴォはいつの間にかアメリカ国籍になってたんすね。