鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

〜備忘録〜【ウィーン・フィル】ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン2019 in サントリーホール

ブルックナー交響曲第8番ハ短調(ハース版)

 1892年12月18日、ウィーン・フィルはウィーン楽友協会大ホールで、ハンス・リヒター指揮のもと、アントン・ブルックナー (1824~96) の交響曲第8番を初演した。聴菜としてこの初演に居合わせた作曲家フーゴー・ヴォルフは、演奏会後、友人に宛てて以下のように書き送った。「この交響曲はひとりの巨人の創造物であり、他の巨匠のあらゆる交響曲よりも、精神的な次元、豊かさ、偉大さにおいて抜きん出ている。このような成功は、(中路) ほほ類例を見ない。闇に対する光の完全な勝利であり、各楽章が鳴り止むごとに、荒々しい力をもって、感動の嵐が吹き荒れた(当時の交響曲の演奏では、各楽章が終わるごとに拍手が起きた)。」フーゴー・ヴォルフの報告は、次のような言葉で締めくくられている。「これは大勝利であった。」
 ブルックナーはこの「大勝利」を必要としていた。このホールではすでに初演の際にかなりの失敗を経験していたからであり、この交響曲の作曲にはとりわけ長い期間をかけ、苦労したからでもある。3年間にわたる作業(1884~87年)で、ブルックナーはこの交響曲の第1稿を書き下ろしたが、この稿は演奏させなかった。作曲終了後、わずか3ヵ月で第2稿の作曲に取りかかり、この作業にさらに3年を費やした。
 この第8番が、プルックナーの[完成した]最後の交響曲である。形式的に異例な点は、中間楽章の順番を入れ替えていること、すなわちスケルツォが第2楽章に置かれているのは、ちょうど自身の(そしてそれに先立つベートーヴェンの) 交響曲第9番と同じである。
 この交響曲は数多くの新機を有している。たとえば、第1楽章の再現都では、第1主題の再現に際して[提示部とは]徹底的に異なる管弦楽の組み合わせが用いられており、この第1主題のリズムは、終結部[コーダ]では独立して用いられる。通常とまったく異なるのは、最終楽章の終結部において、人激音力生1主題龙好位法的汇共存させられている[=同時に鳴り響く]ことである。その他の例としては、独自の音楽的展開を見せるだけでなく、交響曲全体の終結部としても機能する終楽章で、ブルックナーはその提示部の最後でもアダージョ楽章の回想を用いている。
 作曲家は当時すでに68歳になっていたが、古い交響曲の様式にさまざまな新機軸を採り入れる旺盛な実験精神を持ち合わせており、当時の若い世代の作曲家・音楽家・聴衆に感銘を与えた。古い世代の一部は首を横に振ったが、ほぼすべてのひとが、この新機軸を取り入れる旺盛な実験精神を持ち合わせており、当時の若い世代の作曲家・音楽家・聴衆に感銘を与えた。古い世代の一部は首を横に振ったが、ほぼすべてのひとが、この新機軸の偉大さと意義を認識し、敬意を払った。
 この交響曲の壮大さは実に魅力的であり、集中して聴き通すことは素晴らしい体験である。その聴取に際してなんらかのイメージが必要であり、聴いている音楽にその想像力を働かせたい、という向きには、ブルックナー自身が初演の前にいくつかの示唆を書き残しているのが参考となるだろう。「第1楽章:第1主題のリズムにおけるトランペットとホルンは死の告知であり、はじめはまばらだったものが、係々に強く、身が初演の前にいくつかの示唆を書き残しているのが参考となるだろう。「第1楽章:第1主題のリズムにおけるトランペットとホルンは死の告知であり、はじめはまばらだったものが、余々に強く、最後には大変強く登場する。この楽章の最後は(死という運命への) 恭順である。スケルツォ:第1主題は『ドイツのミヒェル」と名付けた。第2部はこの男が眠っており、夢の中で愛する女性を見つけられず、最後には嘆きつつ戻ってくる。」アダージョについてはなにも語っていないが、最終楽章ではこう言っている。「オルミュッツで、我らの[オーストリア]皇帝がロシア皇帝の訪問を受けている。弦楽器はコサック騎兵の行進、金管は軍隊の音楽、トランペットはふたりの皇帝の出会い。最後にはすべての主題。『タンホイザー』第2幕のように王が現れ、ドイツのミヒェルが旅から戻り、すべてが光に溢れる。
フィナーレでも(第1楽章の) 葬送行進曲、そして(金管の) 浄化。」ブルックナーの伝記作家マックス・アウアーは、音楽から、だが最終的には音楽外の連想を用いて、さほど細かくはないものの、この曲を説明している。アウアーは、音楽的着想の「内的な首尾一貫性、運命的な発展」が「最初から最後まで貫かれており、[リヒャルト・シュトラウスの]『英雄の生涯』(芸術家の生涯)と比較してしまう」と描写している[アウアーによる伝記の執筆は1923年]。
 ウィーン楽友協会のアルヒーフには、あまりに訂正の跡があちこちにあるため、ブルックナーが自身の手稿総譜から外したというページが伝えられている(前ページ参照)。このページは、現在開催中の「音楽のある展覧会」で展示されており、このプログラム冊子にもその写真を掲載している。これを見ると、ブルックナーが楽譜の最終形態を、いかにして、やっとのおもいで決断したのか、どのような方法を駆使して訂正・変更を施したのか、いかにして技法的な間違いを犯さぬよう苦労したのかを知ることができる。ブルックナーのひととなりと創作過程を知る上での、魅力ある、心を打つドキュメントである。

(プログラムの曲目解説、オットー・ヒーバ(廣瀬大介訳)の記述を引用・抜粋)

 ついに世界最高峰オーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を聴くときが来た。
 指揮は、この年のニューイヤーコンサート指揮者を務めたクリスティアンティーレマン。そして、曲はブルックナー交響曲第8番(ハース版)
 私が最も好きな交響曲の一つであるが、それをティーレマンウィーン・フィルの演奏で聴けるとは唯一無二の機会だろう。第4楽章終了したのち、約10秒間ティーレマンは指揮棒を下さなかったが、その間フラブラやフラ拍も一切なかった。聴衆のレベルも高かったといえよう。
 そして、アンコールは、ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」であり、ニューイヤーコンサートで取り上げられた曲だ。実質的にニューイヤーコンサートを実際に体験したようなものだ