鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調を聴く

Hans Rott [1858 - 1884]

introduction

 今回は、ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調を取り上げよう。ハンス・ロットは、オーストリアの作曲家である。生前は恩師アントン・ブルックナーや学友グスタフ・マーラーがいる。表記上は珍しいことに「ハンス・ロット」とフルネームで表記されることが多い。ベートーヴェンブラームスのように「ベートーヴェン交響曲第○番」ではなく「ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調と表記されることが多い。
 この、ハンス・ロットは悲運な天才作曲家とも言われている。特に、このハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調は、以下のようなエピソードが残されている。

 1878年、音楽院での最終年次に、音楽院での作曲コンクールに《交響曲第1番ホ長調》の第1楽章を提出するが、ブルックナーを除いて多くの審査員は、これを却下し、中には嘲笑する者さえいたと伝えられる。1880年交響曲を完成させると、ロットはこれを指揮者ハンス・リヒターとブラームスの2人に見せ、演奏してもらおうとかけ合った。だがこれは失敗に終わる。ブラームスは、ブルックナーが音楽院の若者に大きく影響していることを好ましからぬ思いでおり、あまつさえロットに、どうせ才能は無いのだから、音楽を諦めるべきだとさえ言い切った。不幸なことに、ロットはマーラー堅忍不抜の精神を持ち合わせておらず、マーラーが生涯において数々の困難に打ち勝つことが出来たのに対して、ロットは精神病に打ちひしがれてしまう。(Wikipediaより引用)

 そして、ハンス・ロット結核によって25歳の若さで亡くなったのだ。ロットの才能に最初に気づいたのは、ブルックナーマーラーである。実際、ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調においては、ブルックナーの影響を受けていることが窺え、後述のようにマーラー自身、ロット作品からの引用している。20世紀を通してロットの作品はほとんど忘れられていたものの、1989年に交響曲シンシナティフィルハーモニー管弦楽団により初演された。
 したがって、カール・ベームヘルベルト・フォン・カラヤンレナード・バーンスタインといった超世界的名指揮者が本作品の録音がない理由もそれだ。カラヤンによるハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調はどんな音楽なのか興味はある。
 さて、このハンス・ロットであるが、読売日本交響楽団常任指揮者であるセヴァスティアン・ヴァイグレは以下のように魅力を語っている。

 まずは、ブルックナーの特徴が表れています。ブルックナーのオルガンの弟子だったロットは、オルガン的な色彩感のある豊潤な響きのオーケストレーションを施しました。第2楽章など、まさにそうした特徴が顕著です。そのため、ブルックナーから非常に高く評価されていました。
 しかし、この曲は約100年もの間、消えてしまっていました。それは、マーラーがロットの楽譜を長く所有していたからではないかと言われています。ロットのこの交響曲ができたとき、マーラーはまだ1曲も交響曲を書いていませんでした。マーラーはロットのこの楽譜から多大な影響を受けて、交響曲を作曲したのではないかと思います。マーラー交響曲は、後に有名になりましたが、そのインスピレーションの源泉であったロットの交響曲は、まだ広く知られていません。ロットが20歳でこのような曲を書くには、本当に信じがたい才能とエネルギーが必要だったと思います。彼はこの曲に、自分を育ててくれた作曲家、ベートーヴェンワーグナーブルックナーブラームスらへの尊敬の念を込めているように思います。残念ながら、ブラームスや評論家エドゥアルト・ハンスリックには認められなかったのですが……。(ヴァイグレが語るハンス・ロットの交響曲の魅力

 100世紀にわたって眠り続けてきた天才作曲家ハンス・ロット。下記のように素晴らしい音楽を作り上げた。
 一方、指揮者のヤクブ・フルシャは、かつて1度だけ実際に聴いたことがある。東京都交響楽団首席客演指揮者ラストステージの時のものであり、ブラームス交響曲第1番ハ短調を演奏した。皮肉にもハンス・ロットは、ヨハネス・ブラームスから認められず、精神病に陥ってしまった。もっとも、フルシャブラームス暖かくも壮大な演奏であったことを記憶している。

東京都交響楽団首席客演指揮者ラストステージの時のもの

ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調

ヤクブ・フルシャ:バンベルク交響楽団

評価:9 演奏時間:約57分

第1楽章:Alla breve

 朝日が差し込むような美しいトランペットの音色が第1主題を奏で、本曲の幕を開けるブルックナー交響曲第4番第1楽章とはまた違う朝を想像させる。ヴァイオリンが上下しながら勇壮に奏でられる第1主題は壮大で美しい。やがて、頂点部を形成するのであるが煩くなりすぎず、ヴァイオリンの煌びやかな音色が一際美しいのである。その後、フルート及びオーボエが新たな主題を奏でるのだが、これは第2主題にあたるのだろうか。その後の、チェロによる第1主題が重厚な音色ながらも甘美な音色を響かせており、「Dolce」の言葉が実に相応しい
 おそらく展開部であろうか。勇ましい部分があるのだが、金管楽器の音色が強烈すぎるとか他の楽器を掻き消してしまうことが全くないのである。見事なバランスといい、自然なハーモニーがよりっそう美しさと壮大さを齎す。その後、ピッツィカートの上にトランペット・ソロが第1主題を奏でられたりと、ブルックナー交響曲第5番第4楽章を彷彿させる場面があったりと、ハンス・ロットが他の作曲家の影響を受けていることも想像できる。
 終盤の壮大な第1主題も圧巻の演奏。しかし、迫力満点の演奏というより美しさが全面的に出されているのである。壮麗な演奏とはこのことをいうのだろうか。

第2楽章:(Adagio) Sehr langsam

 第1楽章に続いて第2楽章もまた煌びやかで美しい楽章である。特に弦楽器による主題が美しすぎるのである。マーラー交響曲第3番第6楽章交響曲第1番「HIROSHIMA」第3楽章最終盤を連想させる。弦楽器の後に木管楽器が登場するのだが、美しさを損なわない。随所に金管のコラールがあるのだが、カラヤンのような強烈なものではなく教会のような荘厳な響きをしている。
 おそらく、グスタフ・マーラーはこの美しい第2楽章に影響を受けたことは違いなかろう。心が浄化されるような第2楽章である。のちに述べるが、フルシャとバンベルク響の音楽作りは楽器の持つ自然な音色を引き出し、美しい音楽を作っている印象である。それが、第2楽章において存分に発揮されているものといえよう。

第3楽章:Frisch und lebhaft

 冒頭、マーラー交響曲第2番第3楽章を彷彿させる主題である。これは結構有名。第1楽章・第2楽章の雰囲気とは大きく異なり、元気よく勇ましい楽章である。時には爆発するような迫力さ、レントラーのような舞い上がり、壮大なトランペットの響きと様々な顔ぶれを見せる。基本的に二管編成の作品であるがマーラーのような大編成の作品に聴こえる。
 やがて、静寂な雰囲気となるのだが(トリオ)、スイスのアルプスのような自然豊かさも垣間見れば、ティンパニのロールから雷鳴が聴こえてきそうだとか、リヒャルト・シュトラウスアルプス交響曲マーラー交響曲第5番第3楽章のような雰囲気も感じされる。
 再びスケルツォに入る。主部とは大きく異なり、強烈なティンパニの一打など若干荒々しい雰囲気へ一変する。その後は、再びレントラーのように楽しげな雰囲気と変わる。様々な場面と移り変わる第3楽章は様々な音楽が登場し非常に内容の濃い楽章である。特に、後半部のホルンの合奏は非常に勇ましく格好良い演奏であり、初めて聴いた時は惚れ惚れした部分である。

第4楽章Sehr langsam - Belebt

 低弦のピッツィカートに始まる。マーラー交響曲第6番第4楽章冒頭部のような独特な緊張感が漂う。後に、第3楽章の主題が断片的に再現される。その後、オーボエクラリネットといった木管楽器が哀愁たっぷりに演奏されるのだが、フルートが加わると少しずつ明るみを帯びる。この木管楽器とホルンの独特の哀愁さは、交響曲第1番「HIROSHIMA」第3楽章の一部を連想させた。つい何かを考えさせるものである。その後、頂点部を形成するのであるがその道のりはかなり長い。頂点部を形成しても壮麗なトランペットの音色と雄大なホルンの音色が非常に勇ましく、音楽が広大に奏でられている。フルシャとバンベルク響のコンビだからこそできる音楽作りなのだろうか。少なくとも、あまり聴いたことのない美しい音楽である
 その後、主部に入る。尤も、Wikipediaには「ブラームス交響曲第1番の第4楽章主部の主題に酷似している」とあるが、個人的にはリヒャルト・シュトラウスの祝典前奏曲の主題(2分の2拍子)の方が酷似しているように思える。美しい弦楽器の音色によって奏でられる主題は何か希望を齎しているような音楽だ。その後、金管楽器も加わって全合奏によって演奏されるのだが、その主題は実に壮大でありトライアングルも相まって華やかな演奏であって、非常に素晴らしい。豪華絢爛の四字熟語が相応しいであろう。その後も、壮大な音楽が続き、テンポを変えて主題が繰り返し演奏される。
 一旦静かになり、その後も頂点部を形成する。ホルンの雄大な主題を奏で、壮大な音楽とフーガが極めて美しい
 そして最後の頂点部へ向かう場面はハンス・ロットの天才ぶりが十分に発揮される。金管楽器が壮大に第4楽章主題を繰り返すのだが、ブルックナーのような荘厳な響きと共に、マーラーのようなドラマティックな壮大な音楽を併せ持った壮大なフィナーレである。まさに、感動のフィナーレである。
 最後は壮大なフィナーレから一変して静かに曲を終える。

 ヤクブ・フルシャとバンベルク交響楽団によって演奏された、ハンス・ロット交響曲第1番ホ長調壮大で美しく、心が浄化されるほどの美しさを持った演奏であった。