鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

フルトヴェングラー:交響曲第3番嬰ハ短調を聴く

Wilhelm Furtwängler [1886-1954]

introduction

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー交響曲第3番嬰ハ短調

 今回は、フルトヴェングラー交響曲第3番嬰ハ短調を取り上げる。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーといえば世界的な指揮者という認識がクラシック音楽ファンの間で広く知れ渡っているだろう。しかし、フルトヴェングラーは作曲家でもあり、ベートーヴェンワーグナーブラームスを尊敬していた。
 フルトヴェングラーは、ドイツにおいて1886年〜1954年の生涯を送っているが、音楽史的にみればちょうどアルノルト・シェーンベルクアントン・ヴェーベルンアルバン・ベルクといった新ウィーン楽派といわれる時代に活躍している。また、20世紀ドイツ最大の交響曲作家と称賛されたカール・アマデウス・ハルトマンともほぼ同時期に活躍している。このように、フルトヴェングラーが活躍していた時期は、ヨーロッパにおいて現代音楽が主流になっていた時代であった。しかし、フルトヴェングラー交響曲は調性が保たれており、現代音楽のような無調で複雑怪奇な作品ではない。ベートーヴェンのような荘厳さ、ブラームスのような重厚さ、ワーグナーのような壮大さ、さらにブルックナーのような巨大な構築性があるように思える。実際、私は初めてフルトヴェングラー交響曲第2番ホ短調を聴いたときは、ブルックナーにどハマりしていた時期も相待って非常に衝撃を受けた印象である。
 もっとも、今回はフルトヴェングラー交響曲第3番嬰ハ短調である。本作品は、1954年2月8日に完成されたものである。しかし、フルトヴェングラーは、1953年1月23日ウィーン楽友協会でベートーヴェン交響曲第9番ニ短調「合唱」の第3楽章を演奏中に卒倒してしまったのである。原因は、フルトヴェングラーは高熱のインフルエンザに罹患し、肺炎の不安から医師により抗生物質が投与された*1。その後、回復するも再び流感(インフルエンザ)に罹患し1954年初頭から2月末まで抗生物質を使った結果が思わしくないために、エーバーシュタインブルクで療養した*2。そして、ウィーン・フィルベルリン・フィルのコンサートを全てキャンセルしたのである。そして、フルトヴェングラーが療養中に作曲されたのが、このフルトヴェングラー交響曲第3番嬰ハ短調である。この作品は、1954年9月13日にドルトムントで自作であるこう交響曲第2番をロルフ・アゴプが指揮するリハーサルを見学した際に、親しいカニッツ伯爵夫人との会話の際に「交響曲第3番はもう完成しています。しかしこれは、とても悲しい曲なのです」と述べている*3。そして、フルトヴェングラーは1954年11月30日17時頃に亡くなった。フルトヴェングラー交響曲第3番嬰ハ短調は、フルトヴェングラー指揮者として活動し続けるか、作曲家として活動し続けるかの択一的関係に迫られた状況下で作曲されたものである。
 なお、フルトヴェングラーの作品を得意としているドイツ出身の指揮者に、ゲオルゲ・アレクサンダー・アルブレヒトがおり、ヴァイマール・シュターツカペレ・ワイマールと本作品についての録音がある。さらに、第4楽章まで含んだ完全盤でもある。

 もっとも、飯田昭夫氏は、第1楽章は抑揚しすぎて盛り上がりがないために灰色で寒々しい印象になってしまったと述べている。第2楽章は一点して細かいリズミカルな旋律がいい。第3楽章は、ひたすら楽譜に忠実なだけでインスピレーションの発露がないのが残念と厳しく批判している*4

ウォルフガング・サヴァリッシュヴィルヘルム・フルトヴェングラー

 今回取り上げる指揮者であるウォルフガング・サヴァリッシュ*5は、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーから影響を受けた指揮者のひとりである。サヴァリッシュミュンヘンフルトヴェングラーの演奏を体験しており、さらには、フルトヴェングラーベルリン・フィルのコンサートも欠かさずに出かけ、あまりに感銘したことによってリハーサルも聴かせて欲しいと願い出たほどだ*6。そして、サヴァリッシュは以下のようにフルトヴェングラーのリハーサルのエピソードを語っている*7

 彼の練習ぶり、そしてそこから生まれる成果を目のあたりに見ることは、極めて印象的で、決定的な体験でした。たとえば彼が練習を辞めたとき、なぜそうしたのかの理由を言うことはまれだったと記憶しています。彼はひと言も言わずにも内井ドアh時めるのですが、奏者は皆、練習番号35あるいは、Bの後の第5小節など言われなくても、その箇所をわかっていました。また、彼が指揮棒を叩いて辞めさせると、どの奏者も長年の経験から、フルトヴェングラーが途中から始めることはなく、彼の構想を形作るために各々のテーマの最初から始めるることをよく知っていました。彼が副主題から10、12小節目で何かが気に入らなくて中断すると、誰もが初めから再び開始する以外にはあり得ないことを知っていたのです。フルトヴェングラーはその5小節目から始めるなどはしない。なぜなら、それは非音楽的であるから。彼はそれをことさら説明したりはしませんでした。あるいは、彼があるフォルテッシモの後で中断すると、誰もが彼がこのフォルテッシモの前から再び始めることを疑問の余地なく知ってました。この観察は全く新発見でもなく、本当は彼を私よりももっと注意深くした、あるいは彼と一緒にオーケストラで仕事をした多くの人たちに言っていることを確認したにすぎません。技術的な側面からいれば、彼はいつも完璧さを狙っていたわけではありませんが、その音楽的な内容は有無をいわせずに伝わっていました。
(中略)
 彼は確かに最も偉大で最も集中力のある指揮者のひとりだったといえましょう。

 このエピソードからしても、フルトヴェングラーの偉大さがよく伝わる。このような経験があったからか、1954年、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの葬儀でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の追悼演奏を指揮している。
 そして、サヴァリッシュは日本、特にNHK交響楽団との関係も深く、1967年に名誉指揮者、1994年に桂冠名誉指揮者となっている。この日本と関係を持った由来として、1960年代の初め、当時のNHK交響楽団の団長で事務局長の有馬大五郎博士が、ウィーン楽友協会のコンサートの一つを聴きに来たことという*8。有馬博士の努力目標は「ヨーロッパの主だった指揮者、奏者-それも特にオーストリア、ドイツから-をこのオーケストラに呼び寄せよう」というものだった*9。その後、サヴァリッシュは夫人とともに来日するのであるが、その際の状況はウォルフガング・サヴァリッシュ(真鍋圭子訳)『音楽と我が人生/サヴァリッシュ自伝』(第三文明社、1989年)が詳しい。

フルトヴェングラー交響曲第3番嬰ハ短調

ヴォルフガング・サヴァリッシュバイエルン国立管弦楽団

評価:8 演奏時間:約49分

第1楽章:Largo 『宿命 (Verhängnis)』

 ある種の三部形式のようなのでその形式に沿って述べる。
 やはり暗いトランペットが物寂しげに音色を奏でる。これが第1の動機となる。その後、短い頂点を形成するもやがて静寂となり弦楽器がまた陰鬱な雰囲気を奏でる。しかし、弦楽器の音色は寂しげながらも透き通るようで美しい。この動機も少しずつ頂点へ登っていくのであるが、その動機はフルトヴェングラー交響曲第2番ホ短調第4楽章にも登場する動機なのである。陰鬱ながらも美しさ・神秘さが兼ね備えられている主部はフルトヴェングラーの作曲のセンスの良さも窺えるだろう
 やがて、チェロが上下に大きく山を描くような旋律が登場する。これは、第2の動機となる。連符も相まってブルックナー交響曲第7番ホ長調第2楽章の177小節のような壮大さと神秘さがある。トランペットの伸びやか音色の他にも大きく唸る弦楽器の壮大さが印象的。
 最終部は銅鑼も相まって大迫力で恐ろしいほどの迫力を伴う。陰鬱で遅いテンポながらも激動の第1楽章である。
 飯田昭夫氏は、第1楽章は弦の静謐な美しさが際立っており、緩みがなく広がりがあって鋭くて美しい。主旋律の重厚的な響きと弱音による旋律美の両方が苦も無く表出されている*10と述べている。

第2楽章:Allegro 『生命の強制力 (Der Zwang Des Lebens)』

 スケルツォ。第1楽章の重苦しい雰囲気から一変して疾走感あふれる音楽となる。弦楽器の勇ましい主題が素晴らしい。その後、クラリネットが第1楽章の雰囲気からかなりかけ離れた明るい音色を奏でる。そして、弾むようである。このスケルツォは、ブルックナーマーラーとはまた違った雰囲気のスケルツォ。強烈なレガートを聴かせたら非常に勇ましい主題になるのだろう…。
 中間部(?)は、テンポを落として弦楽器や木管楽器が美しく爽やか音楽を届ける。ブルックナーにおいてよく見られる構成といえよう。中間部は意外と短い。
 すぐさま、冒頭の動機が再び戻ってくる。ただし、主部の繰り返しではなくところどころ金管楽器の構成や全体的に大きな違いが見受けられる。最後は、第1楽章の第1の動機が強烈に鳴り響いて締めくくるのである。この迫力は圧倒される
 飯田昭夫氏は、第2楽章は高まって退いていくときのフルトヴェングラーの独特の悲しみを湛えた繊細さとその一方での迫力が素晴らしい*11と述べている。

第3楽章:Adagio 『彼岸 (Jenseits)』

 第1楽章の第2の動機が再びここで登場する。adagioとして登場するのがまた感慨深いところがある。第1楽章のように陰鬱な雰囲気はあるものの、神秘的で美しいadagioであるフルトヴェングラー交響曲(第2番)において共通してみられるのは循環主題であり、楽章を跨いで主題を繰り返し用いる。この第3楽章でも交響曲第2番ホ短調や本曲第1楽章でも用いられた下降音階を繰り返し使われている特に弦楽器が非常に美しく、高音のヴァイオリンや低音のチェロが重ねて演奏することによってロシア的なロマンティックな神秘さを表している
 中間部分になると一瞬テンポを早めるが、すぐに落ち着く。後半部分に入ると金管楽器も加わって壮大なフィナーレを形成する。時にはブルックナーのような構築性、時にはワーグナーのような壮大さが加わっているような壮大なフィナーレである。しかし、また冒頭部のような静けさが戻り、最後は神秘的に静かに幕をとじる。
 飯田昭夫氏は、第3楽章は、オーケストラの音の豊かさ、柔らかさ、肌理の細かさが印象的で間然することがない*12と述べている。

 全体を通して聴くと構成に違和感や聴きにくさがあるが、個別的には非常に素晴らしい音楽であると思う。


*第4楽章は本演奏には収録されていない(すな和智、第3楽章まで)ので第4楽章についての演奏は存在しない。
*なお、本演奏の購入は非常に困難となっている。
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*1:ヘルベルト・ハフナー(最上英明)『巨匠フルトヴェングラーの生涯』(株式会社アルファベータ、2010年)468頁

*2:前掲注1・475頁

*3:前掲注1・482頁

*4:飯田昭夫『フルトヴェングラーの風景ー孤高の第指揮者へのオマージュ』(株式会社現代書館、2011年)345頁

*5:現在NHKでは、ヴォルフガングではなくウォルフガングと表記している。通常標準ドイツ語では“ヴォルフガング・ザヴァリッシュ”と発音するが、サヴァリッシュの出身地のミュンヘン方言ではヴォルフガング・サヴァリッシュとなる。

*6:ウォルフガング・サヴァリッシュ(真鍋圭子訳)『音楽と我が人生/サヴァリッシュ自伝』(第三文明社、1989年)38頁

*7:前掲注6・38頁

*8:前掲注6・275頁

*9:前掲注6・275頁

*10:前掲注4・346頁

*11:前掲注4・346頁

*12:前掲注4・346頁