鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

〜備忘録〜【読響】第627回定期演奏会 in サントリーホール

プログラム

ハイドン交響曲第48番ヘ短調『受難』

 1766年、ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)はエステルハージ家の副楽長がら楽長へと昇格する。この頃からハイドン交響曲短調の作品が目立つようになる。ハイドンが残した第1番から第104番までの交響曲中、短調作品は11曲しかないが、その内の5曲が1766年から72年までの6年間に集中的に書かれているのだ。そして、これら劇的で緊造感あふれる作品群を生み出した時期は、しばしば「疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドランク)期」と呼ばれる。本来「疾風怒満」はドイツの文学運動を指す用語で、音楽と直接的な結びつきのあるものではないが、その語感のインパクトもあって、強い感情表現を伴う楽曲の性格をよく伝えている。
 これらの短調作品のひとつ、交響曲第49番へ短調〈受難〉は、楽章構成の点でも特徴的だ。4楽章構成ながら「緩一急一緩一急」という教会ソナタのスタイルがとられ、すべての楽章が当時の交響曲としては珍しいへ短調で書かれている。そしてニックネームが「受難」。教会や宗教的 式に関連した作品だと考えるのが自然だろう。しかし近年の研究によれば、「受難」の愛称は事後的に付けられたものにすぎず、また「陽気なクエーカー教徒」なる別の愛称でも呼ばれていたという。受難」と「陽気なクエーカー教徒」ではずいぶんイメージが違うが、後者は喜劇の題名に由来し、曲が劇音楽として用いられた可能性を示唆する。
(プログラムの曲目解説、飯尾洋一先生の記述を引用・抜粋)

 オーボエファゴット・ホルン・弦楽器+チェンバロ室内楽を彷彿させるような小規模な編成。指揮台もなく、指揮棒を使わないで指揮をしたマナコルダ。明晰な指揮法から生み出される音は鮮明な響きであり、時にバッハを思わせるようなバロック的な側面を感じさせた。半ばぶっつけ本番で聴いたが、一切退屈することなく聴くことができた。

マーラー交響曲第5番嬰ハ短調

 「交響曲は世界のようでなくてはならない。すべてを包み込まなくてはならないのだ」。グスタフ・マーラー(1860~1911)はシベリウスと会った際にこのように語った。音楽で森羅万象を表現するという大な思考法に、シベリウスはさぞ戸惑ったことだろう。
 世界を表現するとなれば、なんらかの標題性が必要になってくる。交響曲第1番はジャン・パウルの大長編小説にちなんで〈巨人〉と呼ばれた。交響曲第2番〈復活〉、第3番、第4番では声楽が入り、テクストが作品の方向性を定めてきた。しかし、交響曲第5番は純粋に器楽のみによる交響曲であり、明示的な標題も持っていない。しかも、当初は伝統的な4楽章制の交響曲として構想されていたという。マーラーは標題のない純器楽作品としての交響曲についに取り組んだことになる。
 そして、言葉の助けを借りない交響曲であるがゆえに、相対的に目をひくのが「第5番」という数字。交響曲に付与される番号は、単に作曲した順番を示すにすぎないはずだが、「第5番」や「第9番」といった数字はベートーヴェンのあまりに偉大な作によって、しばしば特別な意味付けがされてしまう。「第5」であれば、「苦悩から歓喜へ」「暗から明へ」といった直線的なドラマを連想せずにはいられない。では、マーラー交響曲第5番もやはりそのような図式に沿っているかと問われると、答えはイエスともノーともいえる。舞送行進曲で始まり、最後は喜びにあふれた音楽で終わると思えば、これはまさしく「苦悩から歓喜へ」。しかし、終楽章の絢爛たる響きの奔流のの中には、どこか歪んだ笑いが潜んでいるようにも感じされる。
(プログラムの曲目解説、飯尾洋一先生の記述を引用・抜粋)

 忘れもしない。2019年9月20日の読響とヴァイグレの指揮。第3楽章以降ホルンがめちゃくちゃになった日のことを。でも、あの迫力ある音色を響かせる読売日本交響楽団の音色でもう一度「マーラー交響曲第5番嬰ハ短調」を聴きたい。
 今日は全く違った。意外にもロータリー・トランペットではなく、ピストン・トランペットを使用していた。それによって、第1楽章冒頭のファンファーレは非常に堂々とした音色であり、名演になると確信した
 第3楽章では、首席ホルン奏者の日橋辰朗先生のホルンが見事な響きであり、さらに立奏という形でもはやホルン協奏曲となっていた。その素晴らしいホルンの後の、第4楽章アダージェットは至高の美しさ。第5楽章の華やかなフィナーレは期待以上の迫力であり、大満足。

 終演後、久しぶりにサイン会が実施され、記念にサインを頂いた。
 マエストロ、サッカー選手みたいで格好良かったな……。Grazie! Maestro!!!