鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

〜備忘録〜【都響】都響スペシャル in サントリーホール

プログラム

マーラー交響曲第6番イ短調《悲劇的》

 周知のようにグスタフ・マーラー(1860~1911)の第5番から第7番までの交響曲は、第2番から第4番がそうであるように、一つのまとまりを成したメタ交響
曲となっている。ここでマーラーは、リート的標題的なものと縁を切り、はっきり絶対音楽の方向へと舵を切った。この3作品が作曲されたのはおよそ1901年から1905年の間のことだが、マーラーの作風の変化のきっかけとなったのは間違いなく結婚である。彼がアルマ(1879〜1964)と出会ったのが1901年、翌
1902年には結婚して長女が誕生、1904年に次女が生まれ、第5交響曲を初演し、第6交響曲を完成、1905年に第7交響曲をほぼ完成しているのである。
ベートーヴェン(1770~1827)以来の交響曲には、収飯的なそれと拡散的な
それを目指す2つの方向があった。ベートーヴェンでいえば、前者の典型は<英雄)
やく運命)であり、後者の代表は<田園> だ。またブラームス(1833~97)
はどちらかといえば前者を志向したとすると、シューベルト(1797~1828)は徹底して後者のタイプの交響曲を目指した。そしてマーラー交響曲創作は、ほとんど常にリート的なものが生長して交響曲になるという点で、極めてシューベルトと近いことは言うまでもない。その中にあって、マーラーとしては珍しく、徹底的に収斂型のフォルムを追求したのが、この第6交響曲に他ならない。
まず第6交響曲は、マーラーとしては珍しい4楽章形式である。第1交響曲はもともと5楽章形式だったし、第4交響曲は実質的に第3交響曲の「第7楽章」のような性格をもっているから、純然たる4楽章形式として構想されているのは、この第6交響曲と第9交響曲だけということになる。アレグロ楽章と緩徐楽章とスケルツォ楽章とフィナーレから成っているのも、伝統的な交響曲の型に従っている。
第1楽章と第4楽章がどちらもイ短調で、調性のシンメトリックな統一が成されているのも、マーラーとしては珍しい(ただし第2楽章は非常に遠い減5度関係の変ホ長調だが)。
ベートーヴェン的な「間と光」に似た二元論的対立が措定されている点でも、造形的であり古典的であると言っていいだろう。このマーラーの第6交響曲の場合、それは「死と愛」とでも形容すべきものだ。第1交響曲や第3および第4交響曲が、雑多なものを次々に放り込んで楽章数を増殖させていく、多元的(そして拡散的)な発想をしていたのと、これは対照的である。
(プログラムの曲目解説、岡田暁生先生の記述を引用・抜粋)

 東京都交響楽団首席客演指揮者アラン・ギルバートによるマーラー交響曲第6番
 第1楽章からパワフルであり、第4楽章のハンマーは極めて恐ろしい響きをしており、歴史に残るほどの名演だったのではないだろうか
 長大な交響曲だが、終始集中して聴いていた記憶がある。