鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

【書評】『鈍色幻視行』恩田陸


本の簡単な紹介

本のタイトル・出版社

作者

あらすじ

 小説家の蕗谷梢(ふきやこずえ)は、謎の作家・飯合梓(めしあいあずさ)と、その代表作『夜果つるところ』に関する作品を書こうと決意。
 『夜果つるところ』は三たび映像化が試みられたが、いずれも不慮の事故で中止となった
"呪われた小説"だった。
 奇しくもその関係者たちがクルーズ旅行への参加を予定しており、梢は夫の雅春から誘われて、夫婦で乗船することになった。

 船上では、映画監督の角替(つのがえ)、映画プロデューサーの進藤、映画評論家の武井、担当編集者だった島崎、漫画家の真鍋姉妹など、この小説にひとかたならぬ思いを持つ面々が、梢の取材に応えて語りだす。
 次々と現れる新事実と新解釈。

 飯合梓は本当に死んだのか?撮影現場での事故は本当に偶然だったのか?
 そして、梢には自分の夫である雅春にこそ、本人に聞けないことがあった。
 実は彼の前妻は、この小説の映像化に関わり、脚本の完成直後に自殺をしていた…。
 旅の半ば、『夜果つるところ』を読み返した梢は、ある違和感を覚える。
 2週間にわたる旅の最後に、梢がたどり着いた「真相」とは…?
集英社より引用)

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なぜこの本を読んだのか

 「なぜこの本を読んだのか」という自ら立てた問いではあるものの、その回答は「偶然の出会い」です。
 たまたま本屋さんに立ち寄ったところ、本作品が平積みされていたのです。それも恩田陸」先生。私にとって恩田先生の作品の出会いは高校生の頃に遡ります。おそらく高校2年生の現代文の授業だったと思いますが夜のピクニックがとても印象に残っています。そこで初めて異母兄弟というものを知りました。
 一度全部読んでみようと思い、『夜のピクニック』(新潮文庫)を購入したものの読んでいる時間がない…。他にも読まなけばいけない本が多数ある…完全なる積読状態となっています(2023年11月10日現在)。
 話が逸れてしまいました。先述のようにたまたま本屋に立ち寄ったところ、この恩田先生の作品に出会い、またカバーのデザインが美しく惹かれるものがありました
 気がついたら手に取ってレジに並んでいました笑

感想

 全部で約650頁近くもある分厚い本。しかし、全部で47つの章に構成されており一つの章はちょうど良い長さでありとても読みやすい構成となっていた。確か読み始めたのは11月2日頃であり、読了したのは11月10日である。速読家と言うほどでもないが比較的読む方が早い方であると自覚している。
 舞台は豪華客船。鉄道好きの私にとっては縁が遠い乗り物である。しかも、長野県出身ともなれば海とは尚更縁が遠い。しかし、豪華客船に乗ってゆっくりと大海原を渡り、旅をすると言うのは贅沢な時間であることは確かであるし、一度経験してみたいものである。この作品は豪華客船を舞台に謎の作品でる飯合梓『夜果つるところ』の謎を追求するという物語である。そうすると、メインとなるのは飯合梓の謎である一方で豪華客船はあくまで舞台の用意に過ぎない。しかし、不思議なことにしっかりと豪華客船で過ごしている様子がしっかりと浮かび上がってくるのだ。読んでいる私も蕗谷梢と関係者一同とともに飯合梓『夜果つるところ』の謎を得とともに豪華客船の旅に出ているような感覚だった。
 本作品の謎は、飯合梓『夜果つるところ』だけではない。登場人物の構成も謎めいたものだ。飯合梓『夜果つるところ』を映画化しようと、脚本を行ったのは笹倉いづみという人物。しかし、彼女は脚本を完成させた後に自殺をしてしまう。しかも、笹倉いづみ蕗谷梢の夫である蕗谷雅春の前妻なのである。飯合梓の謎を追う蕗谷梢は、笹倉いづみが蕗谷雅春の前妻であることも知っている。半ば衝撃的な事実は冒頭部分で明らかにされる。
 さらに、飯合梓『夜果つるところ』は映画化され、撮影を試みたが思わぬ怪奇現象によって中断されている。

 (城田)幸宏はプカリと煙草煙を宙に吐き出した。
 「あれ、今も生きてるんだよねぇ、今も」
 「今も?」
 「呪い」
 「『夜果つるところ』の?」
 「うん」
 ー中略ー
 「そうだね、あの炎上シーンとか」
 「撮影は順調に進んでいたんだよ。まさに、その炎上シーンを撮るところまで進んでた」
 「へぇ。観たいなあ」
 「だけど、そのシーンを撮っている最中に、カメラマンが急死しちゃってね。Sさん」
 「えっ、Sさんが亡くなったのは知ってたけど、あれ撮って亡くなったの?」
 「そうだよ。大打撃だよ、いいカメラマンだったのに。みんな、ショック受けちゃてね。ディレクターもプロデューサーもひどく落ちっこんじゃってさ、えらく憔悴してた。俺たちがあれを撮ろうとしたばっかりにって」
 「でも、『夜果つるところ』のせいってわけじゃないでしょう。いいカメラマンって引っ張りだこだし、Sさん真面目な人だったから、過労だったんじゃないの」
 「そういうことになっているけどね。でも、Sさん、なくなる数日前から妙なことを言っていたらしいんだ」
 「妙なことって?」
 「一人多いんだ、って」
 「何、それ」
 「炎上シーンで、人々が逃げ惑って騒ぐところを何日もかけて撮ったんだけど、予定のエキストラより人数が一人多くて、その一人がいつも変あんところに立ってるって」 

 脚本家笹倉いづみの自殺、撮影時の怪奇現象とSの急死。そして、飯合梓は生死不明の状態であり、失踪宣告がなされており法律上死亡されたとされている。
 そして、客船の中では飯合梓『夜果つるところ』の関係者が揃って議論をし始める。飯合梓『夜果つるところ』について様々な新解釈がなされている。蕗谷梓はそれを元にノンフィクションの作品を作成するつもりだという。やがて、蕗谷梢は関係者に対して一人一人個別インタビューを行う。これが私にとってとても印象に残った場面だ
 「二十九〜四十二(三十四、三十九、四十一を除く)」の章は全て個別インタビューなのだ。今まで私は飯合梓の謎を関係者一同とともに解き明かすように読んでいたが、この章は読者である私自身が蕗谷梢となって関係者に対して話を聞いてる場面に移り変わったのだ。
 読者各々が想像する関係人物。武井京太郎はどのようなお爺さんなのか、真鍋姉妹はどのような女性なのか(叶姉妹??)、身近な人物や芸能人を思い浮かべながら読んでみると面白い。
 結論から述べると、飯合梓『夜果つるところ』の客観的な謎を解き明かすことはない。しかし、蕗谷梢の結論は639頁〜645頁に渡って記されている。
 

まとめ

 約650頁にわたる飯合梓『夜果つるところ』の謎と豪華客船の旅はあっというものだった。実際に、旅行もあっという間だろう。2泊3日だってあっという間に過ぎ去ってしまう。長い人生という物語の中でCMの要素に過ぎないのかもしれない。
 しかし、恩田先生の物語は読みやすく惹き込まれやすい。以前に奥田英朗先生の『リバー』を読んだことがある。同程度かもう少し厚い作品であるがなかなか読むのに苦労した…。正直恩田先生の本作品を購入した時に苦労してしまいそうだと思ったが、全くそのようなことは思わなかった。帯にもあったが恩田陸の新たな代表作」という言葉が相応しいのではないだろうか。
 そして、本作品は所謂メタフィクションであり、「小説について考える小説。小説を批評する小説」である。すなわち、飯合梓『夜果つるところ』という小説について関係者が議論しあったり謎を解明するという小説が本作品『鈍色幻視行』となっている。この「メタフィクション」という言葉をの意味を知った時、真っ先に思い浮かんだのは『クレヨンしんちゃん』である。つまり、『クレヨンしんちゃん』はアニメであり、いわばフィクションである。尤も、「アクション仮面」や「カンタムロボ」もアニメであり、『クレヨンしんちゃん』のアニメの中にあるアニメである。要するにフィクションの中に、フィクションの物語があるのだ。意外と身近なところに「メタフィクション」は存在するのかもしれない。
 そして、飯合梓『夜果つるところ』は恩田先生の執筆で出版されている。つまり、『鈍色幻視行』に登場し『夜果つるところ』を実際に読むことができるのである。一体どのような発想をすればこのような作品や物語ができるのだろう。ちなみに、余談であるが恩田先生は私の大学の大先輩にあたる。
 
 なお、『鈍色幻視行』『夜果つるところ』をどちらから先に読むべきか?私もそのような質問を抱いたことがある。元となった作品(『夜果つるところ』)を先に読んで『夜果つるところ』の関係者に加わった上で、『鈍色幻視行』を読むという楽しさもあるかもしれない。しかし、その考え方は恩田先生に言わせると、「ノー」のようだ。
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 『鈍色幻視行』を購入して読み始めるまでにちょっとした時間差があった。上記質問も抱きつつ、この記事を参照して『鈍色幻視行』を読み始めて正解だったようだ。今となっては『夜果つるところ』とはどのような物語なのか興味津々の状態である。
 実は先日『夜果つるところ』を購入した。リバーシブル・カバー仕様とのことで裏面を見たら鳥肌がたった。最も素晴らしいブックカバーだろう
 この『夜果つるところ』を読み進めながら別の本も読もう。凄まじい積読状態なのだ。