鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

〜備忘録〜【都響】第899回定期演奏会Bシリーズ in サントリーホール

プログラム

ワーグナージークフリート牧歌

 作品のタイトルとなっている「ジークフリート」には2つの意味がある。
 1つめは、リヒャルト・ワーグナー(1813〜83)の4部構成の連作楽劇「ニーベルングの指環』の第3部にあたる楽劇「ジークフリート』のこと。楽劇の題名にもなっている主人公のジークフリートにまつわる音楽が、作曲者本人であるワーグナー自身の手によってこの作品にはちりばめられている。なお楽劇「ジークフリート」の作曲は1856年から始められ、中断を挟みながら1871年に総譜が完成された。
 2つめは、当作品が書かれる前年に生まれたワーグナーの息子ジークフリート
(1869~1930) が意識されている点。指揮者のハンス・フォン・ビューロー(1830〜94) の妻だったコジマ(1837~1930) との路奪愛の末に誕生した3人めの子どもであり、しかも男子だったことからワーグナーは熱狂し、みずからの楽劇に登場する異選ジークフリートの名前を与えた。
 こうした事情から、コジマへ感謝の念を捧げるべく、1870年12月25日の彼女の誕生日ならびにクリスマスの日に初演されたのがこの作品だ。いわゆる「サプライズ・プレゼント」であって、ワーグナーの協力者であった指揮者ハンス・リヒター(1843~1916) が、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の楽員に秘密裡に声をかけ、初演が実現。当日は早朝、ワーグナーの自宅の階段に演奏者15名(リヒターもヴィオラ兼トランペット奏者として参加)が集い、ワーグナーの指揮の下、サプライズは成功する。
 ただし、この作品のメインとなる主題(楽劇「ジークフリート』の大詰め、主人公のジークフリートが女戦士のブリュンヒルデと熱烈な恋に落ちる場面で登場(1869~1930)が意識されている点。指揮者のハンス・フォン・ビューロー(1830〜94) の妻だったコジマ(1837~1930) との路奪愛の末に誕生した3人めの子どもであり、しかも男子だったことからワーグナーは熱狂し、みずからの楽劇に登場する英雄ジークフリートの名前を与えた。
 こうした事情から、コジマへ感謝の念を捧げるべく、1870年12月25日の彼女の誕生日ならびにクリスマスの日に初演されたのがこの作品だ。いわゆる「サプライズ・プレゼント」であって、ワーグナーの協力者であった指揮者ハンス・リヒター(1843~1916)が、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の楽員に秘密裡に声をかけ、初演が実現。当日は早朝、ワーグナーの自宅の階段に演奏者15名(リヒターもヴィオラ兼トランペット奏者として参加)が集い、ワーグナーの指揮の下、サプライズは成功する。
ただし、この作品のメインとなる主題(楽劇「ジークフリート』の大詰め、主人公のジークフリートが女戦士のブリュンヒルデと熱烈な恋に落ちる場面で登場する)自体は、楽劇における当の場面が作曲される以前に着想されていた。コジマと親密な関係になりつつあった1863年、彼女に捧げるべく構想された(実現はせず) 弦楽四重奏曲のスケッチにこの主題が書かれている。また曲の開始後数分のところでオーボエが奏でる旋律は、ドイツの代表的な子守唄の1つ〈眠れ、よい子よ、眠れ〉から採られている。
 このように、作曲家ワーグナーの代名詞=公的な要素ともいえる「楽劇」の要素よりも、むしろ私的な要素が<ジークフリート牧歌)には溢れている。慎ましやかな楽器編成がもたらす柔和な響き一つをとっても、ワーグナー楽劇の壮大さや荒々しさと異なる世界を聴きとれよう。また作品全体が一種のソナタ形式で書かれているのも、時に既存の形式をあえて無視することも厭わなかったワーグナーには、むしろ珍しい。

(プログラムの曲目解説、石川亮子先生の記述を引用・抜粋)

ブルックナー交響曲第7番 ホ長調 WAB107(ノヴァーク版)

 アントン・ブルックナー(1824〜96)が円熟期の1881年から83年にかけて作曲したこの第7交響曲は、彼の全交響曲の中でも美しい級情が際立つ作品だ。最初の2つの楽章の主題は特にそうした叙情的性格を決定づけている。
 といっても全体が 情美ばかりに覆われているわけではなく、終楽章などは、主題自体は第1楽章の叙情的な主題と同じ素材によりながらも、旋律美よりリズミックな動きを主眼としている。この終楽章は形式も異例で、一見3つの主題を持つ彼のお決まりのソナタ形式のようでいて、第3主題は第1主題の発展形で、再現部ではそれら3主題が逆の順で再現される。その結果、第1主題が強調され、同じ主題素材による第1楽章との性格的対比がより鮮明にされている。
 さらにこの終楽章は彼としては異例の小ぶりなもので、それによって最初の2つの楽章の叙情性と重厚さに比べ、残り2つの楽章の前進性と躍動性が際立たされる。こうした構成バランスはこの交響曲独自のものといえよう。
 この作品はワーグナーテューバを初めて採用した点でも重要だ。ブルックナーは第1楽章の作曲途中で第3楽章に取り掛かり、先にこれを完成させた後、再び第1楽章、第2楽章と書き進めるのだが、この第2楽章の作曲中の1883年2月13日、尊敬するリヒャルト・ワーグナー(1813~83)が世を去る。ショックを受けたブルックナーはこの第2楽章にワーグナーテューバを取り入れ、さらに追悼のコーダを書き加えた。こうして第2楽章はワーグナーの死と追憶に結び付く緩徐楽章となった。
 近年この通説と違う見解をブルックナー学者ベンヤミン=グンナー・コールスが提起して話題となった。彼によると、1881年12月8日に自宅近くの劇場で発生して多くの死者を出した大火災に衝撃を受けたブルックナーは、作曲途中の第1楽章を中断してこの大火を表すべく第3楽章を作曲し、また第2楽章の構想もワーグナーの死以前に火災の犠牲者への葬送音楽としてなされたというのだ。もっともコールスも、ブルックナーが結局はワーグナーの死を受けて、スコア化の際にワーグナーテューバを新たに加えるなど、最終的に第2楽章をワーグナー追悼として完成させたことは認めている。
 初演は1884年12月30日、ライプツィヒでのワーグナー記念碑建造のための演奏会でアルトゥール・ニキシュ(1855~1922)の指揮で行われて成功を収め、この曲でブルックナーは60歳にしてようやく世に広く認められた。なお翌年の初版出版では、他人の意見も取り入れて、第2楽章の頂点で打楽器を追加するなど若干の改訂が加えられた。本日用いられるノヴァーク版はこれらの改訂が採り入れられている。

(プログラムの曲目解説、寺西基之先生の記述を引用・抜粋)


 東京都交響楽団終身名誉指揮者小泉和裕先生70歳の誕生日の時のコンサートである。このプログラムを語る上で、作品の内容について説明しなければならない。
 後半のプログラムである、ブルックナー交響曲第7番第2楽章において、尊敬していたリヒャルト・ワーグナーが亡くなったことを聞いて、付け足した葬送行進曲が含まれている。
 そして、前半のプログラムである、ワーグナージークフリート牧歌は、妻であるコジマ・ワーグナーの誕生日プレゼントとして作曲されたものだ
 それを当日70歳の誕生日である小泉先生が指揮するというプログラムなのだ。これほど深い意味が込められたプログラムもなかろう。

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 この時、カーテン・コールの際、小泉先生は花束を受け取り、happy birthdayが華やかに演奏されたとき、つい涙を流した