鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

〜備忘録〜【都響】第863回定期演奏会Bシリーズ in サントリーホール

プログラム

マントヴァーニ:2つのヴィオラ管弦楽のための協奏曲(日本初演

 私が音楽を書き始めてからというもの、「対立 conflict」というアイデアは私の主要な関心事の一つである。それは協奏曲というジャンル、そして空間化することに対する私の愛好心を増大させ続けてきたアイデアだ。ここ何年か私は、いくつかの楽器に独奏パートを持たせる曲を作ることによって、その愛する2つのアスペクトを統合させようと試みてきた。本作品では、2つのヴィオラに重要な役割が与えられている。この長い作品(35分)において2つの楽器は、(同じリズムによる)融合という主要素か、あるいは、素速い音の受け渡しにおける応答によって支配される。応答は(空間と連関した)一つの響きから別の響きへというパッセージにより、1本の旋律であるかのような錯覚をもたらす。コントラストの追求は別として、何のロジックもなくいくつかの要素が並列的に提示されることで、「対立」が形式レベルでも起こっている。反復によって、比較的効率のよい方法にも頼りながら、形式は統一感を持ったものとなる。
 フランス放送、リエージュ・フィル、WDR(西ドイツ放送)からの委嘱を受けたこの協奏曲は、初演者である2人のアーティスト、タベア・ツィンマーマンとアントワン・タメスティに捧げた。
(ブルーノ・マントヴァーニ/飯田有抄訳)


 戦後のヨーロッパを席巻した前衛音楽から聴衆が離れていってしまった主たる要因は「不協和音が耳に優しくないこと」と「流れが知覚できないこと」という2点に集約されるだろう。前者は慣れの問題であり、積極的に聴き続けることである程度解決するが、後者については専門的な教育を受けた上で楽譜を事前に読み込まない限り、把握はできない。だから高度に知的な作曲技法を追求することで、戦後のフランス音楽を牽引したピエール・ブーレーズ(1925~2016)でさえ、1970年代半ばになると徐々に知覚しやすい音楽へと変化していったのも止むなきことであった。ブーレーズより下の世代でも、トリスタン・ミュライユ(1947~)やフィリップ・マヌリ(1952〜)といった作曲家たちが1980年代以降、知覚の問題に取り組んでいることからも分かるように、この40年ほどのフランス音楽は「知的な作曲技法」と「知覚可能な音楽」をどう両立するかが課題となっている。
 2010年に36歳の若さでパリ国立高等音楽院院長に就任したブルーノ・マントヴァーニ(1974~)は、初期の作品<霧雨の白熱>(1997 /ソプラノサクソフォンとピアノ)からほぼ一貫して複数の楽器を絡ませ合いながら短い音型を反復、徐々に拡大発展させていくという手法で音楽を構成してきた。協奏的作品である <表情豊かに>(2003 /バスクラリネットとオーケストラ)では独奏楽器を核にして音型の拡大発展が行われ、2008年に作曲された本作ではそれに加え、セクションごとを特徴づけるフレーズが登場。より知覚しやすい音楽へと変化している。

(プログラムの曲目解説、小室敬幸先生の記述を引用・抜粋)

サン=サーンス交響曲第3番ハ短調 op. 78〈オルガン付き〉

 作曲家としては楽壇を牽引する立役者。ピアノやオルガンは超一流の腕前。おまけに時作や数学や自然科学の分野でも玄人はだし。シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835~1921)こそは、往時のフランスきっての“総合的文化人”だった。おなじみの組曲く動物の謝肉祭>が、持ち前の知性とユーモアとエレガンスを覚いだ形で伝えるものだとすれば、同じ1886年に生まれた交響曲第3番は、彼のシリアスな面を何よりも雄弁に示す傑作である。
 曲はロンドンのフィルハーモニック協会の委嘱によって書かれ、完成後にはサン=サーンス自身が「持てるもの全部をつぎこんだ。これほどの達成感はもう得られまい」と語っている。そして実際、彼がこのジャンルに舞い戻ることは二度となかったし、盛り込まれた着想は確かに多彩を極める。
 まず耳にも明らかなのは、副題の由来でもあるオルガン、そしてピアノまで用いて、オーケストラの音色のパレットを広げたこと。次に構成原理として導入された“循環主題”という手法。作品の核をなす主題が絶えず変容を伴いながら登場して音楽の流れを導く書式は、リスト(1811~86)の交響詩、ひいてはワーグナー(1813~83) の楽劇と共通点を持つ。それを標題音楽や舞合作品ではなく、交響曲サン=サーンスは応用したわけである。その点で大きな影響を受けたりストに、サン=サーンスがこの曲を献呈しようと思い立ったのも納得のいく話だ。彼の申し出は感謝の返事とともに首尾よく受理されたのだが、しかしそのリストは初演から2ヵ月後の1886年7月に世を去ってしまい、初版譜の刊行時には「フランツ・リストの思い出に捧げて」という言葉が掲げられることとなった。
 さらに形式面もユニーク。従来の交響曲の枠組に沿いながらも、以下のとおり、それぞれ対照的な図式を描く2楽章構成に作品がまとめられている。

(プログラムの曲目解説、木幡一誠先生の記述を引用・抜粋)

 サン=サーンス交響曲第3番を演奏するということで絶対に行きたいと思って行った。
 初めて実際にパイプオルガンを聴いたが非常に荘厳な響きをしていた。