鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

追悼:小澤征爾【読響】第635回定期演奏会 in サントリーホール

introduction

 今回は、【読響】第635回定期演奏会である。そして、山田和樹先生(以下、「ヤマカズ先生」*1)の読響首席客演指揮者としてラストステージでもある。
 さて、今回のプログラムは些か独創的なプログラムである。東側諸国であるハンガリー出身の作曲家であるベラ・バルトーク、そして、西側諸国であるドイツのボン出身の作曲家であるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン我が日本が誇る作曲家である武満徹。東西が混合されたプログラムであり、前半がバルトーク武満徹といった近現代音楽であり、後半は古典派音楽ベートーヴェンの作品である。世界史的に見ても音楽史的に見ても縦横無尽のプログラムであって非常に興味深いものとなっている。この構成だけでも興味津々である。
 しかし、私も現代音楽はどちらかというと得意な方であるが、武満先生の作品は今でも理解に苦しんでいる…。そこで、私なりに武満徹先生の『ノヴェンバー・ステップス』を研究してみたい。武満徹先生の作品は以下の六期に分けられるようである*2

  • 第一期(1950年代):オーケストラ作品以外のジャンルの創作中心であった時代
  • 第二期(1960年代前半):ヨーロッパの前衛的な手法でオーケストラを開拓した時期
  • 第三期(1960年代後半〜1970年代半ばにかけて):独創学期を通してオーケストラを開拓した時期
  • 第四期(1980年代前半):第三期の延長にあって、選ばれる独創学期に変化が見られる時期
  • 第五期(1980年代後半):点としての音をオーケストラに敷衍する時期
  • 第六期(1990年代):新しい旋律の方法論による時期

 この『ノヴェンバー・ステップス』は1967年に作曲されたものであるので、「第三期」に該当する。この時期は、独奏楽器を演奏する演奏家の名人芸を想定して書かれており、この作品はその典型例であるとされている*3『ノヴェンバー・ステップス』の特徴は、わずかな声部に収斂したり、五十声部まで膨らんだ利するしなやかさで敏捷性豊かな動きにあるようである*4。確かに、スコアを見ると何十段になっていることもあれば、尺八のみの一段しかない場面もある。弦楽器をいくつものパートに細分化する手法はどことなく、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥすらは各語りき」や「メタモルフォーゼン」の精緻さを連想させられる。また、。『ノヴェンバー・ステップス』はいくつもの作品の延長線にあると位置付けられており、オーケストラは左右2グループに分けられて、パートを細分してマイクロ・ポリフォニーの書法がとられている点で《テクスチュアズ》の延長にあるとされる*5。他にも《エクリプス》についても琵琶、尺八を使った映像作品より延長にあるとされている(前掲注2・89頁))。上記のようにオーケストラは左右2グループに分けられて、パートを細分してマイクロ・ポリフォニーの書法を採用しているなど精緻な音楽作りは実際のホールでどのように響くのだろうか。また、独奏楽器を演奏する演奏家の名人芸を想定しているとのことであるから、尺八の藤原道山と琵琶の友吉鶴心の名人芸も気になるところである。

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 順番が前後してしまったが、バルトーク弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽バルトークらしい音楽で好きな作品である。「管弦楽のための協奏曲」と並んで好きな作品でもある。このバルトーク弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽と出会ったのは以下の動画である。下記動画は第4楽章冒頭からの演奏でるが、快速的で疾走するような弦楽器と民族音楽的な要素に惹かれた記憶がある

 やはりブーレーズの音楽は勉強になるし、自分の中で作品について再構築されるような気がする。明晰な音楽作りは難解な作品も容易に聴かせることができる。この作品は、1930年代の前半からアメリカに亡命する前年の1939年の間に作曲されたものである(1936年)。この時期はバルトークの最盛期と言われていた*6
 そして、ベートーヴェン交響曲は全て名曲であると思う。中でもこの交響曲第2番ニ長調作品36」ニ長調の朗らかな陽気と第2楽章の甘美な美しさが備わった作品である。交響曲第2番ニ長調作品36」は1801年〜02年に作曲されたとされているが、ベートーヴェンが自分の聴覚の以上に気がついたのは1789年頃とされている*7。この交響曲第2番ニ長調作品36」と深い関係があるのが「ハイリゲンシュタットの遺書」である。「ハイリゲンシュタットの遺書」1802年10月6日と10日に、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットから弟子たちに宛てた手紙である。しかし、「遺書」といっても自らの生命を断つことを前提にしたものでもなく、ベートーヴェンが死後に他の書類と共に彼の書斎机の引き出しの奥から発見されたものであり、弟子たちがベートーヴェン生存中に呼んだ可能性も少ないと考えられている*8。主な内容としては、弟子二人の幸せを祈り友人たちの愛と感謝を述べたり、死による死による救済を求めるかのような弱音、死の恐怖と戦いながら強く生き抜くこうとする意思表明がある*9。尤も、10日の手紙では精神的な乱れの中で描かれた様子が窺えるものである。文末には、自分の遺した財産などを公平に分け、兄弟仲良く互いに助け合いながら生きることなどベートーヴェンの死後に実行するよう内容も記されている*10。また、楽家として誰にも打ち明けられない難聴の病のゆえに、それを覚えられるのではないかという恐怖からの社交の場を避けざるを得なかったを人々に正しく伝えるようなことも記されている*11。特に交響曲第2番ニ長調作品36」は全体的に明るいが、その要因は、経済的に順風に乗り始めたり、対女性関係もあったとされる。そうした明るい感情がその時期にの作品に反映したと考えられている*12
 朝比奈先生もこの交響曲第2番ニ長調作品36」については比較的好印象を抱いており、じっくりとしたテンポで演奏されたいことも述べている*13。特に第1楽章序奏部は長くニ長調ながらの明るさと共にベートーヴェンらしい荘厳さもある。中でも、下降音階はベートーヴェン交響曲第9番第1楽章第1主題のようである。もっとも好む場面は第4楽章大コーダである。弦楽器がppの状態で繊細な音色を奏でた後にffのD音が強烈に鳴り響いて締めくくるのである。朝比奈先生は新日本フィルとのリハーサルの際には「これが本当のff!いきなり悪魔が出てくるようなffで!」「びっくりするような大きな音で!ホルンとトランペット、もっと出せ!」と要求されていたようだ*14。ヤマカズ先生は読響とどのような音を響かせるのだろうか。

本日のプログラム

前半

バルトーク弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽

第1楽章:Andante Tranquillo

 指揮棒を使わないで指先だけで指揮をした。柔らかい動きから不気味で不穏な弦楽器の音色がじわじわと奏でられた。この独特な主題が循環主題として何回も繰り返される。やがてはフーガとなるのだが、不穏で複雑な印象を与えながらも弦楽器の緻密で折り重なる音楽はバルトークらしさを感じた。かなりダイナミックな動きで指揮をするヤマカズ先生に応えるかのように信頼感抜群の読響の圧倒的な弦楽器のサウンドが印象的だった

第2楽章:Allegro

 第1楽章が「緩」であるのに対して、第2楽章は「急」。第1楽章とは一変して迫力ある弦楽器の音色が印象的だった。本日は前から5列目で聴いていたので弦楽器奏者の動きがよく見て取れた。
 快速的テンポによる擦り切れるような弦楽器の迫力と「バチン!」と大きな音を立てるバルトーク・ピツィカートももちろん素晴らしかった。

第3楽章:Adagio

 再び「緩」。第一楽章のような不穏な雰囲気に逆戻りするかのようである。随所に聴こえるピアノとチェレスタもより一層不気味さを増している。
 この時にやっと思ったが、題名の通り「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」であるから、打楽器と弦楽器しかない。したがって、金管楽器木管楽器は登場しないことになる。もっといえば、弦楽器のみで構成されているがまるで管弦楽を聴いてるかのような錯覚に陥った

第4楽章:Allegro Molto

 いよいよ第4楽章。「急」であり、快速的テンポから上下するような主題が印象的だ。ヤマカズ先生のノリノリの指揮によって生み出されるバルトークの音楽はこんなに楽しいものなのか
 弦楽器のトゥッティとなれば重厚感ある音圧で圧倒されるし、時にはとても楽しげに演奏されるし、ヤマカズ先生の才能っぷりが思う存分伝わったような気がする。ずっと、バルトークの音楽を理解するにはピエール・ブーレーズが相応しいと思っていたが、このような個性的な演奏をする指揮者のバルトークも良いものだ。
 最後の締めくくりは絶妙なテンポの揺らしによって締め括ったが、あれを合わせるのは至難の業だろう

後半

 さて、いよいよ「武満徹:ノヴェンバー・ステップス」だと思っていたら、指揮者のヤマカズ先生がマイクを持って指揮台に登場した。普段指揮者がマイクを持って何かを述べることは決してないし、コバケン先生を除いて指揮者の肉声を聞くこともまずない。
 そして、ヤマカズ先生が口を開いた瞬間、会場内に響めきが沸き起こった。

 小澤征爾先生が亡くなりました」


 コンサートの途中で小澤征爾の訃報が飛び込んできたのだ。そして、小澤征爾と「武満徹:ノヴェンバー・ステップス」の作品には深い関わり合いがある。

 作曲家(注:武満徹)は1967年に〈ノヴェンバー・ステップス〉を書き上げ、NYPの演奏会に提供する。初演は同年11月9日、ニューヨークのリンカーン・センターにあるフィルハーモニック(現デイヴィット・ゲフィン)・ホールにて。小沢の指揮するNYPが、ベートーヴェン交響曲第2番、ヒンデミットの〈画家マティス〉とともに披露した。本日のっプログラムはその一部を再現している。
(月刊オーケストラ2024年2月号・澤谷夏樹[14-15頁])

 奇しくも小澤征爾が「武満徹:ノヴェンバー・ステップス」の初演を行ったプログラムと同一のプログラムになっていたのである。解説を執筆した澤谷先生もそうは思わなかったのではないか。
 ヤマカズ先生はこの当時「差別的なものがあり、琵琶や尺八が登場しただけで人が次々とホールから出ていく」「リハーサル初日はそのような状態だった」と現在では考え難いような状況だった。しかし、小澤征爾の尽力もあって武満徹の名が世界的名声になったことは間違い無いだろう
 複雑な心境の中、後半のプログラムが始まった。

武満徹:ノヴェンバー・ステップス

 早速、いかにも現代音楽らしい複雑な旋律が鳴り響く。しかし、新ウィーン楽派とも黛敏郎先生のような前衛的なものでもない。これが武満先生の世界なのだろうか。弦楽器の音色が静まり、いよいよ尺八と琵琶の登場である。
 和楽器なんて実際に聴くのはおそらく音楽の授業以来だろうか。尤も琵琶の音色を聴くのは初めてである琵琶の演奏方法を見ているとギターや三味線のように弦を鳴らすことはもちろんであるが、実際に叩くようにして打楽器のような場面もあった。また、尺八の掠れた音はいかにも日本らしく、和というような雰囲気に包まれた
 全体を通すと約20分程度ある曲であるが、張り詰めた緊張感と尺八と琵琶の和楽器のコンビ、武満先生の独特の世界観によって気がついたら終わってしまった。和洋折衷という言葉があるが、この作品にこの四字熟語が当てはまるかというと賛否両論が起こりえよう。
 知らない間に武満先生の世界の虜になっていたようである

ベートーヴェン交響曲第2番ニ長調作品36

第1楽章:Adagio Molto, Allegro Con Brio

 突然の小澤征爾の訃報によって動揺が残る中、迫力あるD音によって幕を開けた。バルトークの不穏な雰囲気や武満先生の緊張感溢れる音楽から一変して安定した明るい音楽が始まった序奏部では、やはり明るい雰囲気であるも、交響曲第9番第1楽章第1主題を髣髴させる下降音階は流石の読響というような迫力あるサウンドであった
 提示部。快速的テンポで第1主題を駆け巡る。先ほどのヤマカズ先生のお話にもあったが「音楽は楽しいものだ」ということから、第1主題も第2主題も実に明るく哀しみを吹き飛ばすような勢いと迫力だった。提示部終わりの小さいコーダも相当な迫力であり、壮大なパワーがあった。提示部繰り返しあり提示部繰り返しがあったのは嬉しかった。もう一度明るい提示部を聴くことができたのだから。
 展開部。第1主題を断片的に繰り返す。ベートーヴェンらしい荘厳な場面であり、ニ長調ながらも緊張感のある迫真の演奏であり、読響らしい迫力あるサウンドを堪能できた後半の低弦楽器が大きく上下する旋律に加えて弦楽器が第1主題の断片的な演奏を繰り返す箇所はもう迫力のあまりに思わず感動の涙が出そうになった
 再現部本当にヤマカズ先生は楽しそうに指揮をしている。それに伴って読響も素晴らしく迫力ある演奏を繰り広げられていた。
 コーダ。ずーっと明るくも迫力ある演奏を繰り広げられている。特に終盤にかけて頂点部を形成する箇所は大迫力であり、金管楽器も輝かしい音色を響かせており、テンションも相当高かった。ブラボーが出てもおかしく無い勢いだった。

第2楽章:Larghetto

 小澤征爾に捧げるような美しい音楽。
 提示部。第1楽章から一変して弦楽器の美しい第1主題が響き渡る。弦楽器の音色も透き通るようで美しかったが、木管楽器も幻想的で美しい音色を響かせていた。その後の第2主題の弦楽器も滑らかで美しく、一線を描くようなどこまでも広がるような美しさであった
 展開部中低音域によって奏でられる主題は可愛らしくも重厚感ある音色で素晴らしいものだった。それに追いかけるようにホルンの音色も雄大で素晴らしかった。読響のホルンのサウンドが一番好きなのである。後半に入ると頂点部を形成するようなダイナミックな場面がある。ヤマカズ先生も熱量を増していき、それに応えるかのようにオーケストラの音色も熱がこもっていた
 再現部。提示部同様に美しい主題を奏でる。提示部の美しさを繰り返すようにそのままコーダに進み、静かに第2楽章を閉じた。

第3楽章:Scherzo

 開始前。第2ヴァイオリン奏者同士でジャンケンが行われていた。いつ、弦楽器の配置について記そうか迷っていたが、ここで記すことにしよう。
 本日の弦楽器の配置はストコフスキー型でも対抗配置でもない。ステージ正面左から「Vl.I→Va→Vl.II→Vl.II→Vc→Va→Vl.I」(後にClが左右4人ずつ)と左右に第一ヴァイオリンが来るという半円形な配置。要するに、左右を分けても弦五部が出来上がるという仕組みである。
 主部では最初に右半分の弦五部のみで演奏され、繰り返されると今度は左半分の弦五部で演奏するという極めて面白い演奏だった。これぞ超対抗配置というべきではなかろうか。おそらくじゃんけんはどちらが先に演奏するか決めるものだったのだろう。
 トリオは通常通り木管楽器による軽快な音楽と弦楽器の迫力あるトリル(トリルでは無いかもしれないが)が鳴り響いた。
 そして、もう一度主部が繰り返されるが、今度は左右どちらかではなく一緒に演奏されていた

第4楽章:Allegro Molto

 提示部。かなり速いテンポで第1主題を奏でる。思っていた以上に快速的テンポであった。ヤマカズ先生のことだから朝比奈先生のようなどっしりとしたテンポでは無いだろうと予想はついていたが、それ以上の速さだった。そしてあっという間に第2主題へ。軽快な木管楽器の後には弦楽器による迫真な演奏に圧倒されるばかり。
 展開部。後半の弦楽器の跳ねるような打点は相当な音圧であり、迫力ある読響サウンドが響き渡った。
 そして、またあっという間に再現部。第1主題→経過句→第2主題と再現していく。強い推進力と圧倒的明るさによってどんどん第4楽章が進んでいく
 長大なコーダ。第1主題を断片的に繰り返し、急に静まり返っていよいよ朝比奈先生が語っていたffの場面になる。そして、ffの箇所では期待を裏切らない大迫力の和音が強烈に鳴り響き、テンポをさらに上げて一気に終結した
 そして、拍手の嵐、ブラボーが響き渡る。実にハイテンションなベートーヴェン交響曲第2番だった。やはり「音楽は楽しい」ものだ。

統括

 上記でも述べたが突然の小澤征爾の訃報だった。それもコンサート中に。
 そして、本日のプログラムが「武満徹:ノヴェンバー・ステップス」の初演時のプログラムとほぼ同一であったということも偶然とはいえ驚きである小澤征爾はヤマカズ先生の今日のプログラムをどのように聴いていたのだろうか。
 私は正直いって小澤征爾の音楽はあまり好きではなかった。芸術的センスは極めて優れている音楽だと思っているが、どうも迫力さに欠ける。その辺りがどうも腑に落ちなかったのである。しかし、そんな私でも小澤征爾の「ベートーヴェン:合唱幻想曲」を指揮した演奏は何度も聴いているし、何度も食い入るように見ている

 2002年ではウィーン・フィルニューイヤーコンサートの指揮者を務め、ベルリン・フィルでも指揮者を務め、ボストン交響楽団では桂冠指揮者を務めていることから実力は十分すぎるといっても過言ではない。
 そして、私が勝手に名付けた超対抗型配置による演奏も実に興味深かった。左右均等に配置されているから、ステージ右側の席に座っても左側の席に座ってもさほど響きや聴こえ方には影響が少なかったかとも思える。この配置で様々な作品を聴いてみたい。さすがは、サイモン・ラトルも携わったバーミンガム交響楽団首席指揮者なだけあって発想が実に豊かである。
 演奏はもちろん素晴らしかったが、それ以上に小澤征爾の突然の訃報に衝撃が走ったコンサートであった。

 終演後は山田和樹先生自ら北陸の震災の募金活動へ。少ないですが1,000円寄付してきました。
 寄付した際に演奏会のお礼を告げるとともに一礼したところ、大変深々とお辞儀をされました。

前回のコンサート

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*1:尤も、昭和の時代に山田一雄先生という指揮者がおり、その方も「ヤマカズ先生」と呼ばれていたが、ここでは山田一雄先生を「元祖ヤマカズ先生」として扱う。筆者は「ヤマカズ先生」といえば山田一雄先生の印象が極めて強いので本来であれば山田和樹先生のことを「新ヤマカズ先生」と呼んでいる。

*2:楢崎洋子『作曲家◎人と作品-武満徹』(音楽之友社、2005年)197頁

*3:前掲注2・199頁

*4:前掲注2・89頁

*5:前掲注2・89頁

*6:柴田隆一「バルトーク管弦楽のための協奏曲&弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」(UCCS-9120)3頁

*7:音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー③ベートーヴェン』(音楽之友社、1992年)29頁[門馬直美]

*8:平野昭『作曲家◎人と作品-ベートーヴェン』(音楽之友社、2012年)65頁

*9:前掲注8・65頁

*10:前掲注8・65頁

*11:前掲注8・65頁

*12:前掲注7・30頁[門馬直美]

*13:東条碩夫編『朝比奈隆 ベートーヴェン交響曲を語る』(中央公論新社、2020年)38頁以下[朝比奈隆

*14:東前掲注13・55頁以下[朝比奈隆