鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調を聴く(その1)

Introduction

 今回は、マーラー交響曲第5番嬰ハ短調を取り上げる。その理由としては、前回のベートーヴェンと同じように、2022年7月16日に行われる【東響】第701回定期演奏会のプログラムに本曲が演奏されるからである。

 このマーラー交響曲第5番嬰ハ短調は、私にとって非常に思い入れのある作品であり、私が初めてマーラーの作品を聴いたのがこの作品である。叔父が所有していたCDを借りては聴いており、その時は、小澤征爾ボストン交響楽団の演奏であったことを記憶している。

 もっとも、その後に、レナード・バーンスタインウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のCDも見つけ、聴いたところあっという間に後者の演奏に乗り移ってしまった(この演奏については、いつか記事に上げることにする)。

 どこかでも述べた気がするが、私は小澤征爾の音楽が何が良いのかがわからない。何が人気なのかは全くわからないのである。しかし、一曲だけ小澤征爾の演奏で感動したものがあった。その中身については、また別のお話…。
 さて、このマーラー交響曲第5番嬰ハ短調の魅力に取り憑かれたのは、第1楽章の暗く、大迫力の演奏と第5楽章の最終部の華やかで迫力ある演奏。これが一気にマーラーの世界に引き込まれたことを記憶している。そして、第3楽章の「ホルン協奏曲」とも呼ばれるほど、ホルンが活躍する場面も忘れてはいけない
 さらに、マーラー交響曲第5番にはアルマ・マーラーとの関係で以下のエピソードがある。面倒臭いのでWiki先生からそのまま貼り付ける。

  • マーラーがアルマと出会ったのは、交響曲第5番の作曲中である。メンゲルベルク*1によると、第5番の第4楽章アダージェットはアルマへの愛の調べとして書かれたという。アルマがメンゲルベルクに宛てた書簡によると、マーラーは次の詩を残した。「Wie ich dich liebe, Du meine Sonne, ich kann mit Worten Dir's nicht sagen. Nur meine Sehnsucht kann ich Dir klagen und meine Liebe. (私がどれほどあなたを愛しているか、我が太陽よ、それは言葉では表せない。ただ我が願いと、そして愛を告げることができるだけだ。)」
  • アルマの回想によれば、アルマは第5交響曲を初めて聞いた際、よい点を褒めつつも、フィナーレのコラールについて「聖歌風で退屈」と評した。マーラーが「ブルックナー*2も同じことをやっている。」と反論すると、アルマは「あなたとブルックナーは違うわ。」と答えたマーラーはこのときカトリックに改宗し、その神秘性に過剰に惹かれていたとアルマは述べている。
  • アルマはこの曲のパート譜の写譜を一部手伝っている。初演は1904年10月にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によってなされたが、アルマの回想によると同年はじめにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるリハーサルがなされたという。アルマはその様子を天井桟敷で聴いていた。アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。それを追って帰宅したマーラーに対しアルマは「あなたはあれを打楽器のためだけに書いたのね」と訴えると、マーラーはスコアを取り出し赤チョークで該当箇所の打楽器パートの多くを削除したという。
  • マーラーは1905年から第5番の改訂に取りかかるが、これには、アルマの意見もとり入れられたという。

(下線部筆者)

 2点ほど補足しよう。2つ目のエピソードであるが、後述するように、第5楽章において第1主題と第2主題が対位的に演奏される。対位法交響曲といえば、ブルックナーであり、実際にマーラーブルックナーの講義に出席していた。しかし、本曲とブルックナーとは全く曲調が異なるのであり、ブルックナーのような荘厳さではなく、華やかさが全面的に出ている。したがって、類似性はあるものの、雰囲気は全く異なるのである。
 もう一点は、3つ目のエピソードである。「アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。」とあるが、暗譜しており、なおかつ、ある箇所が改変されていることがわかるとはよほどこの曲について知っていたことが窺える。私じゃ無理。振り返れば補足というような補足じゃなかったなぁ…。

 さて、このシリーズで一番最初の演奏は、ロリン・マゼールウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を取り上げる。マゼールウィーン・フィルマーラーの演奏は少し持っていたのだが、「全部聴いてみたい」ということで全集を購入したのである。そのうちの一枚である。
 全集を通して奇数番号は各楽章において細分化されており、1楽章で3〜5くらいのトラックになっている。細分化されていると、どの部分の演奏か分かりやすくなるため、この演奏を最初に取り上げることとした。

マーラー交響曲第5番嬰ハ短調

ロリン・マゼールウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

評価:9 演奏時間:約72分

第1楽章:Trauermarsch

Trauermarsch
 静寂な中、トランペットの音色が響き渡る。そして、大爆発したかのようなど迫力。これぞマゼールの真骨頂のようだ。このファンファーレ如何によってこの後続いていく第5番の行方を左右すると言っても過言ではなかろう。
 そして、弦楽器による主要主題が奏でられる。マゼールらしいテンポの揺らし方であり、マーラーの物語を構築する。それにしても、さすが「葬送行進曲」なだけあって陰鬱で暗い。
Plôtzlich Schneller. Leidenschaftlich. Wild
 第1トリオである。トランペットの伸びやかな音色が響き渡るが、それを支えるオーケストラの唸り具合がすごい。第1トリオは、この強烈な迫力といい、うねりはマーラー交響曲第9番第1楽章を彷彿させる。マゼールの熱のこもった演奏は必聴であろう
Tempo 1
 再び主要主題が登場し、弦楽器ではなく木管楽器によって演奏される。ティンパニの小さな小さな冒頭部分のリズムの後、第2トリオである。ホルンの伸びやかな音色と、美しい弦楽器が折り重なってやがて激しくなっていき、強烈な場面を迎える。この演奏に限らず、SONY盤は音質が非常に良く奥行き感も十分に伝わってくるのである。
 そして、冒頭のファンファーレが静かに奏で、静寂に第1楽章を終える。

第2楽章:Stürmisch Bewegt

Stürmisch Bewegt. Mit Größter Vehemenz
 やや遅めのテンポで厳格に第2楽章の幕を開ける。第1楽章の余韻が残りつつ、勇ましい音楽が続いていく。おそらく遅めの演奏されており、しっかりとした演奏であり、かつ丁寧な音楽である
第2主題のチェロは滑らかに奏でられており、クラリネットの存在感も大である。重厚感ある低音と繊細な高音が折り重なる第2主題は私の好きな場面でもある。それにしても、この第2主題はどこかで聴いたことあるような感じがしたのだが、第1楽章、第二の中間部(恐らくTempo1)の動機に基づいている
Langsam Aber Immer
 展開部。第1楽章のような静寂感に包まれる。その中、途切れそうにチェロの音色が響く。マゼールの繊細な音楽作りが窺える。ここでも、遅めの演奏で厳格さが加わっており、繊細で美しいヴァイオリンの音色には恍惚とする。後半になると、明るい行進曲調になるが、第1主題が戻ってきて再現部となる。このしっかりとしたテンポがより一層行進曲であることを再確認する。その後の再現部第2主題が引き摺るように登場し、力強く演奏されているこの力強さが堪らないのだ!!
Nich Eilen
 そして、再現部第2主題が演奏された後、輝かしい金管楽器のコラールが待っている。実に壮大な音楽に加え、輝かしいロータリー・トランペットが吠える!!思わず太文字にしてしまった。さらに、木管楽器のベル・アップもしっかりとわかるほどの音色が届いてきた。第2楽章の名場面である。
 大迫力の演奏はあっという間に小さくなり、第1楽章と同様に静寂に消え去る。

第3楽章:Scherzo

Scherzo
 ホルン協奏曲の始まり。マゼールらしい独特の始まり方であるが、ホルンの雄大な音色は実に素晴らしい。第1主題は、ヴァイオリンの繊細な高音とともに、重厚感あふれる低弦楽器の音色、そしてグロッケン・シュピールの音が可愛らしさを齎す。テンポはそこまで速くなく、第2楽章と同様にしっかりとした足取りで進められていく。
 途中のトロンボーンやホルンの低音が迫力ある音色に満足である。
Etwas Ruhiger
 レントラー風の旋律を持つ第2主題がヴァイオリンで提示される。しかし、あっという間に第1主題が登場する。それにしても、ホルンの音色は迫力ある音色であるウィーン・フィルのホルンは、フレンチ・ホルンを用いてるが、そのせいなのか、それともSONY録音なのか…。
 そして、静かになっていく。
Molto Moderato
 ピッツィカートが3拍子を刻んでいく。ここにおいて、快速的テンポで進んで行き滑らかに美し演奏されていく。ホルンが第3主題を奏でていく。堂々たる第1主題とは異なり、静寂な場面が中心的であるため、各々の楽器が繊細な音色を響かせている
 再び第2主題が登場したら展開部。やがて激しくなり、ホルンが力強い音色と共に、ホルツクラッパーが鳴り響く。
Tempo 1
 そして、再現部第1主題。冒頭のホルンの音色が再び登場する。やはり形を変えて演奏されており、私は再現部第1主題の方が好みだ。より一層華やかに演奏されており、マゼールのマジックが披露されたように様々な楽器が輝かしく鳴り響いているテンポは揺れに揺れており、統一感があまりない演奏であるが、場面に応じたテンポの揺らしは歌曲や何かの演劇を見ているかのようである。このようなドラマティックな演奏は、マゼールの人気がある理由に行き着くのではないだろうか。
Tempo 1 Subito
 第3主題の再現。しかし、あまり長くは再現されず、コーダに入る。コーダではテンポは速めず、ゆっくりとしたテンポで壮大に奏でらている。しかし、狂乱具合は凄まじい
 そして、第4楽章へ。

第4楽章:Adiagietto

 ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画『ベニスに死す』で使用されたことで有名である。三部形式
 冒頭、ハープの音色とウィーン・フィルの美しい弦楽器が織り成す究極の美しさである。長大で数々の場面を見せた第3楽章の後に、これほど美しい第4楽章を持ってくる音楽構成はどうやったら思いつくのか、マーラーの頭の中の伺ってみたいものだ。相当マゼールの熱量が入っているせいか、かなり弦楽器に熱のこもった演奏が繰り広げられている
 マーラー交響曲第9番第4楽章との類似性も指摘できなくはないが、場面の相違性が指摘されるところではある。
 中間部ではやや表情が明るくなり、ハープは沈黙、弦楽器のみで憧憬を湛えた旋律が登場するが、これは第5楽章でも再び登場するのである。
 素晴らしい第4楽章を終えた後、第5楽章へ…。
 演奏時間は約10分。

第5楽章:Rondo: Finale

Rondo-Finale
 美しい第4楽章の後は、華やかな第5楽章へ。冒頭ホルンの優しい音色からファゴットの上昇音、オーボエの可愛らしい音色によって第5楽章の幕を開ける
 ホルンの柔らかい音色によって第1主題が奏でられていく。わかっていながらも、この第1主題から華やかなコーダにどのように変遷していくのかいつも楽しみである。非常に印象的な第1主題である。
 低減楽器が第2主題を奏で始める。力強く重々しいと思わせるが、すぐにヴァイオリンによって受け継がれ、一気に華やかな場面へと移り変わる。マゼールの落ち着いたテンポによって奏でられる提示部は安定感がある。そして、断片的に金管楽器が加わってくるのもまた良い。
 恐らく、展開部であろうか。ロンド形式であるから、スコアなしで判別するのが困難である。その後の柔らかく、大きな波を描くように弦楽器が奏でられる場面は大変素晴らしい。大編成な曲であるから時には壮大に音楽を奏でてほしいところである。
 その後、少しずつ楽器が増していき盛り上がっていく。トロンボーン音色が強烈に響いたり、木管楽器や弦楽器等が煌びやかに奏でている
Nicht Eilen. A Tempo
 フルート等の木管楽器が下降して、第2主題と第1主題が対位的に進んでいく。そして、フィナーレを思わせる場面へ変遷し、トランペットが高らかに奏でていく。束の間の盛り上がりであるが、その後のヴァイオリンの繊細な音色と共に、マゼールの極めて独特なテンポによって進められていく
Grazioso
 木管楽器がリズミカルに奏でていく。2拍子で行進曲風ではあるものの、スラーによって非常に滑らかに演奏されているのである。
 やがて、楽器が増えてコーダへ。
 トランペットが華やかに鳴り響き、あらゆる楽器が鳴り響いき、圧倒的な華やかさに驚かされる。マゼールの巧みなテンポの揺らしによって、迫力さが増している。
 もっとも、テンポは急激に速くしたりすることなく、ホルンの雄大な音色と共に力強く締め括る。
 鬼才!ロリン・マゼール恐るべし

*1:ウィレム・メンゲルべクル[1871年3月28日 - 1951年3月22日]。オランダの指揮者。フランツ・ヴュルナーの弟子であるため、ベートーヴェン直系の曾孫弟子にあたり、ベートーヴェン解釈には一目を置かれた。過去に、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者[1895-1945]、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督[1922-1930 ]、ロンドン交響楽団首席指揮者[1930-1931]を務めた。

*2:アントン・ブルックナー[1824年9月4日 - 1896年10月11日]。オーストリアの作曲家、オルガニスト交響曲と宗教音楽の大家として知られる。当ブログでも何度か登場し、私が好きな作曲家でもある。

【日本フィル】第237回芸劇シリーズ in 東京芸術劇場

Introduction

 今回は、【日本フィル】第237回芸劇シリーズ。実は、私にとって日本フィルとは思い入れのあるエピソードがある。私が上京して初めて聴きに行ったオーケストラが、この日本フィルハーモニー交響楽団であった。指揮者も同じ、ピエタリ・インキネンだった。
 実に約5年ぶりとなる演奏に期待。2017年の時のブルックナー交響曲第5番非常に優しく壮大な音楽が展開されていたことを鮮明に記憶している。そして今回は、ベートーヴェン交響曲第6番へ長調『田園』ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調*1という超名曲2曲である。久しぶりに王道の作品を聴くことになり、とてもワクワクしていた。
 振り返ると、ベートーヴェンの作品を実際に聴いたことはあまり多くなかった。ブルックナーマーラーといった大編成の作品をよく行っていた。大編成だからこそ実際に聴きに行って味わえる壮大さ、迫力さを期待して足を運んでいたと思われる。とはいえ、毎年のように「第九」を聴きに行っているので全く行っていないわけでもない。もっとも、ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調はこれで3回目になる。1回目は、2017年11月16日に行われたウィーン交響楽団来日公演、2回目は2021年10月27日に行われたN響】第1941回 定期公演 Bプログラム in サントリーホール
law-symphoniker.hatenablog.com
 この時のブロムシュテットベートーヴェン交響曲第5番ハ短調は、大変凄まじい演奏であった。しかも、その演奏を鮮明に記憶しているので今回の演奏とどうしても比較してしまいがちである点が否めない。しかし、「インキネンと日本フィルのベートーヴェンを堪能することが第一である。
 一方、ベートーヴェン交響曲第6番へ長調『田園』実際に聴くのは初めてである。どんな田園風景が広がるのか。
 この「田園交響曲(敢えて通称を用いる)は他にもあり、ヴォーン・ウィリアムズ(「交響曲第3番」又は「田園交響曲」)、グラズノフ交響曲第7番)がある。不思議なことに、それぞれの田園交響曲があるのだ。北欧出身のピエタリ・インキネンのベートーヴェン交響曲第6番へ長調『田園』はどのような田園風景を表現するのだろうか。とても楽しみである。
 なお、この二つの作品については前に簡単な解説を記したため、下記より参照されたい。
law-symphoniker.hatenablog.com

本日のプログラム

japanphil.or.jp

ベートーヴェン交響曲第6番へ長調『田園』

第1楽章:Allegro Ma Non Troppo

 冒頭、弦楽器の幻想的な美しさによって幕を開ける。その後流れるような弦楽器が滑らかに奏でられていく。インキネンの田園は朝露が残った輝かしい風景が目に浮かんだ。第1主題は非常に明るく、美しい弦楽器が冴え渡った。その後の第2主題も流れるようで美しく、やや重厚感あふれるチェロとヴィオラの音色が印象的だった。提示部の繰り返しあり
 展開部に入ると、弦楽器や木管楽器の軽快な下降音型が際立つ。作品の表面を撫でるような下降音型と共に、弦楽器の美しい音色が際立った。自然な田園というよりかは、幻想的な田園に近かった。おそらく、インキネンの北欧のイメージを取り込んだものといえよう。
 再現部に入ると、再び軽快な第1主題が戻ってくる。再現部ではff(フォルテッシモ)になっているため、提示部に比べてより一層明るく元気ある演奏が繰り広げた。第2主題も非常に美しく、神秘的な田園もまた美しかった。
 コーダに入ると、重厚感ある弦楽器のハーモニーが第1主題を奏でた。全体的に快速的なテンポによって第1楽章を閉じた

第2楽章:Andante Molto Mosso

 8分の12拍子のアンダンテ。冒頭のアンサンブルが大変素晴らしく、鳥肌がたった第1楽章に引き続き第1主題は神秘的な美しい旋律、ヴァイオリンの美しい音色とともに木管楽器が美しい。随所にヴァイオリンのトリオは鳥の囀りが素晴らしかった。第2主題も原則的で煌びやかなヴァイオリンが大きく主題を奏でていき、ファゴットの重低音とヴィオラとチェロの音色が美しく奏でた。
 展開部に入ると木管楽器が主な主役となる。今回のコンサートは木管楽器も幻想的な音色を響かせていた。透き通るような新鮮な水が、川の水が流れているような風景が目に浮かんだ。とても美しい田園風景である。
 再現部では、引き続き美しい音色が響き渡る。これほど美しい第2楽章を実際に聴くことはそうそうないだろう。インキネンの滑らかなタクトから生み出される音楽は神秘的で美しいものだった
 コーダに入り、いよいよ鳥の鳴き声の再現が始まる。私はその時目を瞑って聴いていた。フルート、オーボエクラリネットが見事なハーモニーであり、自然豊かな鳥の鳴き声を見事に再現していた

第3楽章:Allegro

 金管楽器も加わって華々しくなる。今回の日本フィルの音色はホルンの音色も冴え渡った。雄大で迫力のある音色、そして爆音とまでは言わない自然な音色が田園風景をより一層自然に彩る。神秘的ながらも軽快な音楽が繰り広げられた。そして、トリオ、In tempo d' Allegroは、あまり速くなく、先鋭的な演奏が奏でられていたが、伝統的なスタイルも魅せた繰り返しあり
 そして、短い再現部を経て第4楽章へ。

第4楽章:Allegro

 不穏な雰囲気ながらも幻想的で美しい弦楽器が奏でられていた。迫力ある音色と思いきや、柔らかい音色が押し寄せた。嵐が来たのだ!インキネンの嵐は数々の立木が倒されるような激しいものではなく、雨よりも風が強いような嵐であった。ティンパニの力強いアクセントは、激しい雷を表していた
 そして頂点部のピッコロは少々抑えめ。そして少し落ち着いてくる。
 幻想的に木管楽器とヴァイオリンがハ長調を奏で流。しかし、テンポは多少速めでさっぱりとしておりあっという間に嵐が去ってしまったようだ

第5楽章:Allegretto

 甘美なクラリネットのソロによって、第5楽章を幕を開ける。提示部、その後のホルンの音色も実に雄大で美しかった。第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ホルンと第1主題を奏でていくのだが、第1楽章から引き続き、幻想的な弦楽器の音色と自然豊かで雄大なホルンによって奏でられていた。その後の経過句のチェロとヴァイオリンの音色も非常に神秘的で美しかった。
 展開部は、第1主題が断片的に中断される。展開部も一直線のように美しい音楽が奏でられた。金管楽器も鋭い音色を響かせず、他の楽器と調和され一体となって柔らかな音楽が形成されていった
 再現部は、第1主題が変形されて演奏される。第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリンと続いていくが、最初の第1ヴァイオリンが幻想的で美しい音色を響かせる。第2ヴァイオリンの後は、ホルンではなく、ヴィオラとチェロが低音で第1主題の変形を奏でる。やはり、その他の楽器の方が大きくヴィオラとチェロの音色はほぼかき消されてしまった。。経過句は提示部と同様に幻想的で美しい音色が続いた。
 長いコーダは、断片的に第5楽章の今までの部分を再現する。壮大に演奏する箇所もあれば、静かに演奏する箇所もある。美音が湧き出るような美しい音色が響き渡った
 最後まで神秘的な音楽が奏でられていた。しかし、指揮棒が降ろされる前に拍手があったことは残念だった。

ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調

第1楽章:Allegro Con Brio

 拍手の後直ちに演奏が開始されたブロムシュテットN響時は音が出るまで間があり、ものすごい緊張感と緊迫感に包まれた。それがなかったのは驚きであった。
 冒頭の運命の動機は、前者の方は滑らかに、後者は切れ味鋭くという新鮮な幕開けとなった。第1主題の弦楽器は第6番と同様に神秘的な音色が奏でられていた。しかし、第5番は第6番と違う雰囲気の作品であるから、神秘的で美しい弦楽器の音色は似合わない。この部分は大きな疑問であった。また、それに伴って強烈な金管楽器も当然ながら今回は登場しない。正直にいうと、全く緊張感・緊迫感のない第1主題であった。第2主題は多少穏やかになるため、神秘的な音色であってもよかもしれない、しかし、打点が弱かった不満はあるも、第2主題の音色は良かった提示部繰り返しあり
 ホルンが雄大に第1主題動機を奏でる展開部に入る。第1主題が主となるが、上記の通り穏やかすぎて頭に入ってこないやはり第1主題には多少の迫力、緊張感がないとダメである
 その後、大迫力の再現部第1主題!と思ったが、なんだあのナヨナヨとした動機は!!あっけなく過ぎ去ってしまった。そこは強烈な金管楽器を叫ぶような演奏を期待していた。その後のオーボエ・ソロはテンポを遅くして美しく歌い上げた。そして、第2主題については記憶にない。私が第1楽章の中で最も好きな箇所であるが、記憶にないということは印象に残らなかったのであろう。緊迫感に包まれるはずの第1楽章がここまでナヨナヨした演奏だとは思いもよらなかった。
 コーダの動機もフワッとした演奏であった。しかし、第1楽章全体を通すと強い推進力で奏でられていた。

第2楽章:Andante Con Moto

 A-B-A'-B-A"-B'-A'"-A""-codaから成る緩徐楽章かつ、変奏曲である。
 緩徐楽章であるため、穏やかで美しい音色の方が良い。それはその通りであって、今回の日本フィルの弦楽器の音色は第1主題が柔らかい音色に加えて厳格な雰囲気が感じられた。第2主題の部分は、柔らかいトランペットの音色が響き渡った。私は3階席で聴いていたが、トランペット真正面の座席に座っていたら違ったのだろう。
 2回目の第2主題は、1回目と同様に柔らかいトランペットの音色が響き渡った。その後の弦楽器が滑らかに奏でる箇所は、滑らかに奏でられており一直線に進んでいった。
 神秘的で幻想的な演奏が繰り広げられていたが、この第2楽章の緩徐楽章は素晴らしかった

第3楽章:Allegro

 スケルツォ部分では、ホルンが自然な音色で雄大に、第1楽章第1主題動機を奏でる。しかし、弦楽器は相変わらず迫力ない音色であってどうも薄い。インキネンの解釈なのか、日本フィルの音なのか変わらないが、ちょっと残念。
 トリオに入るとハ長調に転じ、コントラバス等の低弦楽器が重厚な音色を響かせる。トリオは快速的テンポであって強い推進力があって素晴らしかった。相変わらず柔らかい音色であったが、重厚感あふれる力強いチェロとコントラバスの音色は迫力があった。
 再現部を終えて第4楽章に向けて静寂に包まれる。そして、第4楽章へ。

第4楽章:Allegro

 「ドー・ミー・ソー」と一気に太陽の光が差し込むような明るさだった。その後、日本フィルが燃え盛る。テンポは多少速めであって強い推進力によって奏でられていく。その後のホルンの勇壮に奏でる箇所は、これは期待通りの音色であって雄大な音色が響き渡った。トランペットも伸びやかな音色で3階席でも響き渡った。第2主題も快速的テンポで進められており、シャープな音色も相まって若々しい弦楽器が冴え渡った。提示部繰り返しあり
 第2主題がメインとなる展開部へ。全ての楽器が柔らかい音色を響かせており、張り詰めた強烈な金管楽器もなく芸劇を柔らかく包み込んだ
 再現部に入ると、「ドー・ミー・ソー」と再び堂々たる幕開けである。その後のホルンの雄大に奏でるはずの箇所は、提示部と同様。再現部に入ると怒号の数が増えてくる。
 コーダに入れば、ピッコロも加わって華やかさを増していく。そして、徐々に熱気を帯びていきテンポも快速的となった。かなりの熱気であり、3階席であってもその迫力さは十分に伝わってきたフルトヴェングラーティーレマンほどではないが、それに相応するような白熱さであった。

総括

 約5年ぶりとなったインキネンと日本フィルのコンサートであった。インキネンのベートーヴェンはやはり神秘的で穏やかなものとなった。
 まずは交響曲第6番からいこう。自然豊かな田園風景を描く作品であり、インキネンの音楽と合致すると予想しており、美しく穏やかな音楽が展開されていた。また、フィンランド出身ということもあってか、神秘的な側面も感じ取ることができシベリウスのような雰囲気も垣間見えた。
 一方交響曲第5番は第4楽章だけ素晴らしかった。「終わりよければすべてよし」という言葉があるが今回はその言葉で済まされるようなものではない。やはり、緊迫感のある第1楽章はとても重要である。上にも述べたが、この穏やかな第6番と第5番では曲の雰囲気が全く異なるのである。それにも関わらず、第6番と同じような演奏で第5番を演奏されると緊迫感が欠けてしまい、ものすごい消化不良を起こした。これだったら、どちらかに第7番を持ってきた方が良かったのではないかな…?
 しかし、第4楽章は熱気のこもった素晴らしい演奏であったから良かったとしよう。
 そして、今回は、私一人ではなく、同じ早大の友人と一緒に行った。初めての本格的なコンサートであったが、非常に喜んでくれていたのでホッとした。次は9月25日の私の誕生日に付き合ってくれるようで(笑)
 その時は、迫力ある演奏が繰り広げられることを望む。

前回のプログラム

law-symphoniker.hatenablog.com

*1:この作品に「運命」という題名が付けられることが多いが、通称であってベートーヴェン自身による正式な命名ではない。その理由で、本稿では「運命」という題名を付さないで記す。

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調を聴く(その2)

ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調

ヘルマン・シェルヘン:ルガノ放送交響楽団

評価:6 演奏時間:約34分

第1楽章:Allegro Con Brio

 堂々たる出だし。しかし、冒頭部からしばらくして第1主題が奏でられるフルトヴェングラー、いやそれ以上の溜めがあるかもしれない。オケはベルリン・フィル等に比べて劣るが張り詰めた弦楽器が鳴り響く。第2主題に至ってはやや落ち着いて安らかな演奏が展開される。ピッチは多少高めであるが1965年付近の演奏であるため、録音技術は目を瞑るべき。提示部繰り返しあり
 ホルンが雄大に第1主題動機を奏でる展開部に入る。弦楽器の音色がかなり張りのある音色が繰り広げられる。微妙にヘルシェンの鬼演が垣間見える。フルトヴェングラーとは違った気迫がひしひしと近づいている。
 タメの入った迫力ある第1主題動機が奏でられるオーボエ・ソロは流れるようにサッパリと過ぎ去っていく。そして、第2主題は明るい木管楽器と爽やかな弦楽器が奏でられ、標準的なテンポながらも力強いリズムを刻む。たまに、シェルヘンの唸り声が聴こえる。張り詰めた弦楽器が当時の演奏を物語る。
 コーダも力強い演奏のまま集結する。

第2楽章:Andante Con Moto

 A-B-A'-B-A"-B'-A'"-A""-codaから成る緩徐楽章かつ、変奏曲である。
 第1楽章に比べて落ち着いた印象であるが、弦楽器の音色がやや微妙。オケのレベルが表れるのは仕方のないこと。第2主題の部分は、相当の迫力であり、行進曲のような力強い足取りである。トランペットの音色がよく響いている。その後の流れるような弦楽器の箇所も、やや微妙な印象を受ける。テンポは至って標準的。
 2回目の第2主題は、シェルヘンが吠えまくっている。そして、弦楽器が32部音符でより細かく演奏されることが要因かわからないが、1回目の第2主題よりテンポが快速的である。その後の弦楽器が滑らかに奏でる箇所は、なんと一つのクレッシェンドになっており、だんだんと大きくなっている。これはなかなか面白い解釈である。もっとも、低弦楽器の音色はあまり変わらず、刻んでいく木管楽器等が徐々に大きくなっていく辺りがやや謎。良い意味で言えば、個性的というべきか。
 緩徐楽章と位置付けられる第2楽章であるが、シェルヘンがかなり叫んでいる。何故か、珍しいものだ。躍動感の大きい第2楽章であった。

第3楽章:Allegro

 スケルツォ部分では、ホルンが力強く、第1楽章第1主題動機を奏でる。ホルンの音色は雄大な音色を響かせる。しかし、弦楽器はスタッカートではなく、レガートっぽく途切れずに演奏されている。個人的に切れ味のある第1楽章第1主題動機が好きであるため、このように続けて演奏されてしまうとどうもだらけてしまう印象である。ちょっと残念。
 トリオに入るとハ長調に転じ、コントラバス等の低弦楽器が重厚な音色を響かせる。このハ長調は、第4楽章の明るさを予兆させる。随所アンサンブルが乱れている箇所がある。
 再現部を終えて第4楽章に向けて静寂に包まれる。そして、シェルヘンの大きな怒号と合わせて第4楽章へ。

第4楽章:Allegro

 「ドー・ミー・ソー」とトランペットが張りのある音色を力強く第1主題を奏でる。テンポはあまり速くなく、力強さが伝わる。その後のホルンの勇壮に奏でる箇所は、なんとホルンの音色はあまり聴こえず、寧ろ木管楽器(特にオーボエ)がはっきりと聴こえてくる。ホルンはどこへ行った?第2主題はしっかりとしたテンポで進められていく。提示部繰り返しなし
 第2主題がメインとなる展開部へ。ちょっとよろよろしているが、緊迫感は十分に伝わり、随所にシェルヘンの怒号が飛びかう。そして、静寂な第3楽章の再現。
 再現部に入ると、「ドー・ミー・ソー」と再び堂々たる幕開けである。その後のホルンの雄大に奏でるはずの箇所は、提示部と同様に木管楽器が主となって奏でられている。再現部に入ると怒号の数が増えてくる。
 コーダに入れば、ピッコロも加わるも途中で裏返ったりしている。その後低弦楽器が唸り、高音楽器が高らかに鳴り響く。
 シェルヘンの叫び声も相まって加速していき、最後は堂々と締めくくる。

 ハッキリ言って、世界の主要なオーケストラに比べて演奏技術ははるかに劣っている。従って、上手な演奏を期待してはいけない。しかし、このシェルヘンの極めて独特な解釈とルガノ放送交響楽団の演奏によって生み出される音楽は極めて独特なものであり、緊迫感が生じる
 このような個性的な演奏を聴くのもたまには悪くはない。

ベートーヴェン:交響曲第6番へ長調『田園』を聴く(その1)

Introduction

 今回取り上げるのは、ベートーヴェン交響曲第6番へ長調『田園』ベートーヴェンの中でも代表的な作品の一つでもある。
 この曲を取り上げた理由として、2022年4月17日の日本フィルの定期演奏会でこの作品を取り上げることにある。いつも「予習」として、どんなに知っているよく、何回聴いたかわからない程聴いた曲でも予め聴いてからコンサートに行くことにしている。自分が聴いた演奏と、実際の演奏でどのような差異があるのか、これが楽しみであるし、「指揮者の数だけ音楽がある」という私自身の信念に基づくものでもある。
 さて、このベートーヴェン交響曲第6番へ長調『田園』であるが、ベートーヴェンの9つある交響曲の中でもやや特徴的な構成になっている。それは、第3楽章〜第5楽章までアタッカ(休みなし)で続けて演奏されることである。一つ前の作品、交響曲第5番でも第3楽章〜第4楽章は続けて演奏されるが、3つの楽章を続けて演奏する作品はベートーヴェンの中ではこの第6番しかない。
 そして下記にもある通り、各楽章に副題が付されている。

  • 第1楽章:「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
  • 第2楽章:「小川のほとりの情景」
  • 第3楽章:「田舎の人々の楽しい集い」
  • 第4楽章:「雷雨、嵐」
  • 第4楽章:「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」

 この交響曲第6番が優れている点は、この副題と曲の内容が見事に合致していることだ。
 確かに第1楽章の弾むようで楽しげな音楽は、「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」といえよう。指揮者によって速いテンポで演奏されることもあれば、遅いテンポで演奏されることもある。テンポによって「愉快の感情」いかなる内容かは指揮者の解釈次第となろう。これも聴きどころの一つだ。なお、冒頭のフェルマータの部分は、気分の良いとこ(田園)にパッと出てきたので、そこに立ち止まって辺りを眺めるという解釈もある*1
 何より、第2楽章のandanteが美しい内容であることも外せない。流れるように美しい弦楽器はまさに「小川のほとりの情景」であり、小川の清らかなせせらぎが目に浮かぶ。最後の木管楽器鳥の鳴き声を再現している点も素晴らしい。

フルート:ナイチンゲールオーボエ:ウズラ。クラリネットカッコウ

 そして、第3楽章の楽しげな「田舎の人々の楽しい集い」、第4楽章の激しい「雷雨、嵐」、第5楽章の「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」へと続いていく。
 途中の第4楽章〜第5楽章に入る間が、雨や風が落ち着き、嵐が鎮まり、そして徐々に空が明るなり、雲の間から日光が差し込み、あたりの草花に雫が残ったまま輝かしい田園風景が登場するような描写が実に素晴らしいといつも思う。ここもテンポによって、嵐が去る速度、嵐がさった後の感謝の気持ちがいかなるものかも解釈のポイントとなろう。この点についても、朝比奈先生は絶賛していた*2

ベートーヴェン交響曲第6番へ長調『田園』

ハンス=シュミット・イッセルシュテットウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

評価:8 演奏時間:約42分

第1楽章:Allegro Ma Non Troppo

 この記事に限ったことではないが、一番最初に取り上げる演奏はいつも悩む。さて、軽やかに弦楽器が冒頭の第1主題を奏でる。その後、ウィーン・フィルの甘美な音色とともに自然なクレッシェンドによって幕を開ける。第1主題は非常に明るく、軽快に進んでいく。その後の第2主題も流れるようで美しく、奏でられている。まるで、第2楽章の小川の流れを予兆させるかのようだ。提示部の繰り返しはなし
 展開部に入ると、弦楽器や木管楽器の軽快な下降音型が際立つが、自然なクレッシェンドが非常に心地良い。田園の穏やかな風景と爽やかな風が感じられよう。
 再現部に入ると、再び軽快な第1主題が戻ってくる。一見同じ演奏に聴こえるが、提示部第1主題ではf(フォルテ)であるのに対して、再現部ではff(フォルテッシモ)になっている。第2主題も非常に美しく、輝かしい。
 コーダに入ると変ロ長調に転調するがすぐにへ長調に戻る。第1主題の軽快さに加え壮大さが加わる。華々しく美しいコーダによって第1主題を締めくくる。

第2楽章:Andante Molto Mosso

 8分の12拍子のアンダンテ。しかし、イッセルシュテットはまるでワルツのようなテンポで刻んでいく第1主題の美しい旋律、そして円やかなクラリネットの音色が素晴らしい。随所にヴァイオリンのトリオは鳥の鳴き声を表現する。第2主題も非常美しく、ヴァイオリンが大きく主題を奏でていく。さらに、ファゴットの重低音とヴィオラとチェロの音色が重厚さを加えていく
 展開部に入ると木管楽器が主な主役となり、自然豊かな風景に明るさを加えていく。フルートの音色が非常に透き通っていて、辺り一面に豊かな田園風景が浮かんでいく。クレッシェンドとヴィオラとチェロの壮大さは自然の壮大を十分に表現しているといえよう。
 再現部では、チェロやヴィオラの重低音に加えて、美しい第1主題がヴァイオリンと木管楽器によって彩られるベートーヴェンはどのような田園風景を見たのだろうか。さぞ美しいに違いない。そして、このイッセルシュテットのワルツのような優雅なテンポがより一層「小川のほとりの情景」を引き立てる。
 コーダに入り、いよいよ鳥の鳴き声の再現が始まる。ウィーン・フィルのフルート、オーボエクラリネットは軽やかな音色で見事に鳥の鳴き声を再現している。やがて、穏やかに第2楽章を閉じる。

第3楽章:Allegro

 標準的なテンポで優雅にヴァイオリンと木管楽器が奏でられている。途中の木管楽器も軽快な音色を奏で、ホルンの主題も非常に雄大に奏でられている。そして、トリオ、In tempo d' Allegroは、あまり速くなく、どっしりとしたテンポで弦楽器が勇壮に奏でられている繰り返しあり
 そして、短い再現部を経て第4楽章へ。

第4楽章:Allegro

 若干慎重なテンポで静かにスタッカートを刻んでいく。そして爆発したかのような金管楽器いよいよ嵐が来たのだ!イッセルシュテットの嵐は「自然」を全面的に要求しているのか、そこまで激しい嵐ではない。しかし、第1楽章〜第3楽章の軽快な音楽から一転して緊張感があるのは、やはり恐ろしい嵐なのだろう
 この重々しいテンポがより一層の嵐の不穏さを強調する。頂点部のピッコロは少々抑えめ。そして少し落ち着いてくる。
 木管楽器とヴァイオリンがハ長調を奏で、嵐がさり空がだんだん明るくなる。テンポもゆったりとしており、本当に嵐が去りゆくようだ。

第5楽章:Allegretto

 クラリネットのソロによって、第5楽章を幕を開ける。提示部、その後のホルンの音色も実に雄大で美しい。第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ホルンと第1主題を奏でていくのだが、ホルンの音色が自然な音色ながらも雄大で非常に美しい。その後の経過句のチェロとヴァイオリンの音色も非常に美しい。第2主題のハ長調のクレッシェンドも自然な強弱である。
 展開部は、第1主題が断片的に中断される。その後の木管楽器とヴァイオリンのクレッシェンドが非常に美しく、スケールの大きい音楽を奏でる。ハ長調に転調する場面のトランペットの音色が非常に穏やかである。
 再現部は、第1主題が変形されて演奏される。第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリンと続いていくが、最初の第1ヴァイオリンが繊細で美しい音色を響かせる。第2ヴァイオリンの後は、ホルンではなく、ヴィオラとチェロが低音で第1主題の変形を奏でる。しかし、その他の楽器の方が音量が大きくちょっと聴こえにくい。経過句は提示部と同様に美しい音色を響かせている。
 長いコーダは、断片的に第5楽章の今までの部分を再現する。壮大に演奏する箇所もあれば、静かに演奏する箇所もある。イッセルシュテットはその強弱を自然に操る。無駄を取り除いた自然体を貫く演奏は非常に美しく、輝かしい田園風景をお届けする。
 最後は意外とハッキリとした終わり方。

*1:東条碩夫『朝比奈隆 ベートーヴェン交響曲を語る』144頁〔朝比奈隆〕(中央公論新社、2020年)

*2:前掲・東条碩夫・166頁

【東京シティ・フィル】第350回定期演奏会 in 東京オペラシティコンサートホール

Introduction

 今回は、【東京シティ・フィル】第350回定期演奏会。プログラムは、マーラー交響曲第9番ニ長調という大曲。
law-symphoniker.hatenablog.com
 この記事にも概説したが、マーラーの10曲ある交響曲の中で最高傑作であると評価されるのがこの交響曲第9番と言われている。
 特に第1楽章のマーラーの死に対する恐怖が忠実に再現されている点であろう。いつ聴いても悶絶する。実際、交響曲第1番「巨人」と交響曲第9番を比較すると、その雰囲気は正反対。同じマーラーの作品とは言い難い面も有する。
 私がこの、マーラー交響曲第9番で注目する点は以下の点である。

  • 第1楽章:提示部(第1主題)、展開部
  • 第2楽章:B
  • 第3楽章:中間部
  • 第4楽章:後半部クライマックス、アダージェット

 そして、指揮者は知能派で知られる高関健先生。スコアを徹底的に精緻に分析する高関先生の音楽は一体どのように聴こえるのだろうか?難しいマーラー交響曲第9番をいかに解析をするのか、それが楽しみである。
 オーケストラも東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団と初めて聴きに行くオーケストラである。

本日のプログラム

マーラー交響曲第9番ニ長調

第1楽章:Andante Comodo

 不穏な出だし。しかし、この時わたしは多少首を傾げた。「こんなものか…?都響だったらもっと良いかもしれない…」と思っていた。もっとも、マーラー交響曲第9番は2018年9月25日(私の二十歳の誕生日)にラトル@ロンドン響で聴いており、記念日的なこともあってよく覚えている。どうしても比較してしまう。しかし、私の不安はその後一気に打ち消されることになる。第1主題は不穏な雰囲気ではなく、弦楽器の美しい音色が響き渡り大変に安らかな音楽が響き渡った。高関先生の指揮は非常に分かりやすく、ドイツ的にタイムラグのある指揮振りであったが、内容は極めて緻密だ。そして、第2主題は大音量であり、迫力ある金管楽器と重厚感ある低音が鳴り響いた。しかし、バーンスタインテンシュテットのような迫力さではなく、自然体意識しているように聴こえた。
 そして長く、激動の展開部に入る。ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「人生を楽しめ(Freuet Euch des Lebens)」の引用箇所は非常に安らかに弦楽器が奏でられており、高関先生の指揮も非常に柔らかかった。ホルンも牧歌的であったが一部ちょっとしたミスがあった。ティンパニが響き始めると、1回目の激しい場面となる。ホルンも相当な音量が響きており、何よりもティンパニが強烈に打ち付けていた。1度目の激しい場面は短く、すぐにまた静かになる。そして、再び第2主題が登場するが、不穏な雰囲気よりも美しさが勝っておりすぐに安らかな雰囲気に変わった。2回目の激しい場面に至るまでの静かな場面は、高関先生の繊細な音楽作りが目立った。2回目の展開部の頂点部は、全ての楽器が最大限の音量を出し、シンバルも強烈な打点!まさに「圧倒される音楽」を作り上げた。何よりも強烈なティンパニとホルンの音色がとても印象的だった。その後の、銅鑼とトロンボーンの動機とティンパニの第1主題も超強烈!!圧倒的な音圧である。まさに、「最大の暴力で(mit höchster Gewalt)」であり、バーンスタインに引けを取らない音圧である。
 再現部は、激しい展開部の余韻を残しながら静かになっていく。鐘の音が鳴り響くも、激しさを残しながら安らぎも垣間見える弦楽器が非常に印象的だった。その後、ホルンとフルートの複雑な3連符があるが、そこも非常に丁寧に演奏され、高関先生の緻密な分析が光った。
 コーダの切れてしまいそうなフルートの高音、ヴァイオリンのソロが繊細な音色を響かせていた。
 第1楽章終了後、第4楽章が終わったかのような長時間の静寂さに包まれた。

第2楽章:Im Tempo Eines Gemachlichen Landlers

 ABCBCABAという順序で入れ替わり現れる。
 激動の第1楽章から軽快な第2楽章へ。軽快な木管楽器から弦楽器が登場するが、スタッカートではなくレガートを採用したような滑らかな滑り出しであったアバドウィーン・フィルのような演奏だった。テンポはバーンスタインのように軽快なテンポであった。
 Bに入ると軽快な三拍子を刻んでいき、唸る弦楽器よりも重厚感あふれる金管楽器が印象的だった。自然体な重厚感あふれる金管楽器は軽快な第2楽章に迫力さを齎す。目まぐるしい展開となるBは、聴いていて非常に楽しく、高関先生の指揮も大きく、分かりやすかった。高関先生と東京シティ・フィルの相性の良さがよくわかった。
 Cに入ると、静かになり、木管楽器の繊細さが際立った。この第2楽章でこれほど美しい演奏は過去に聴いたことあったかな…。
 再びBに入り、1度よりも複雑さが増していくがやはり高関先生の精緻な分析が際立ち、重厚感ある低音と繊細である高音が見事に調和されており、「第2楽章ってこんな音楽だったんだ!」と新たな発見があった。合間のシンバルも素晴らしかった。
 C→Aと静かな箇所も繊細な響きに加え、軽快なテンポによって進められていた。
 3度目のBも不協和音気味に複雑になっていくが迫力十分!
 最後のAは第1楽章のコーダのような静かな繊細さを持って、第2楽章を締める。

第3楽章:Rondo, Burleske

 ABABC(中間部)Aという構成。
 トランペットがもっとも緊張する第3楽章であるが、難なく第3楽章の幕を開けた。テンポは標準的であり、力強く重厚感あふれる弦楽器が第3楽章のAを進めていく。それに加えて、重厚感あふれるホルンの音色が素晴らしい響きをしていた。
 Bに入ると弾むような楽しい部分であり、第2楽章のAのような軽快さがここで再び登場する。
 やがてシンバルが打たれるとCに入り、ニ長調でトランペットが柔らかく回音音型を奏する。第4楽章の回音音型を予兆させる音色であり、この時点では第4楽章の素晴らしさは知らなかった。しかし、振り返ると、この回音音型が思わぬ帰結に驚くことがあった。第3楽章Cの回音音型は極めて幻想的で美しく、天国のような安らぎを感じた。トランペットの音色、透き通るような弦楽器が際立った。素晴らしい中間部だった。
 そして、コーダとも言えるAであるが、狂乱的に締め括るのであるがテンポは多少早めて力強く締め括った。

第4楽章:Adagio

 いよいよ最終章である。短い序奏はとてもテンポが遅く、スコアの客観的な解釈ではなく、高関先生の主観的な解釈に基づくものと推測される
 主要主題に入ると少しテンポを加速し(むしろ標準的)、東京シティ・フィルの自然体ながらも幻想的で美しい音色を響かせていた。それにしても、美しいヴァイオリンと重厚感あるチェロ等の低弦楽器が見事なハーモニーを響かせていた。途中のホルンの雄大さはもちろんのこと、随所に見られるコントラファゴットがものすごい重厚感ある音色を響かせていたのが印象的であった。とても安楽な気分になった。
 中間部に入るとハープのリズムに木管楽器が奏でる。どこかもの寂しそうであったが、高関先生と東京シティ・フィルの演奏は繊細で安らかな雰囲気であった。徐々に盛り上がり、主要主題を力強く奏でる。ここからやや長い時間をかけてクライマックスを築いていく。金管楽器が加わり、トロンボーンが力強く主要主題を奏で、強烈なティンパニが鳴り響く圧倒的なクライマックスである。その後のヴァイオリンの悲痛な叫びのような下降音階も素晴らしかった。ホルンの堂々たる主要主題も素晴らしい音量であるも、安らから雰囲気はずっと続いていた。アダージッシモに向けてデクレッシェンドになっていくが息を引き取るかのような雰囲気になるのだが、今日は違った。
 本当の最後、最後の34小節(アダージッシモ)は、息を呑むほどの繊細さと美しさに包まれる。テンポは緩めることなく少し淡々と進められていた印象であったが、凄まじい緊張感に包まれた。そして、見事な繊細さと安らぎ最後はヴィオラが主要主題をオルゴールが止まるように締めくくるのだが、高関先生は左指で1、2、3…とカウントして最後の音が消えていった
 その後、長い沈黙の後、割れんばかりの拍手となった。

総括

 いや、とんでも無いほど素晴らしい演奏を聴いた!!
 実は今回の演奏に入る前に高関先生によるプレ・トークが行われていた。このマーラー交響曲第9番マーラーの死」という暗示が込められた作品であるというのが広く認識されているところであると思われる。私もそのように認識していた。
 しかし、高関先生によるとマーラーは死ぬ直前まで元気でいた」と仰った。さらに、心臓病は医師の誤診であるという。マーラーの死はブドウ球菌感染症(?)によるものであり、現代の医療では抗生物質によって治療することが可能である。もし仮に、マーラーの生存当時に現代の医療が存在していたら、マーラーは今後どのような作品を書いたのだろうか。さらに、高関先生はマーラー交響曲第10番もほぼ書き終えていた」という。今までのマーラーだいぶイメージと離れるものとなった。
 さらに、マーラー交響曲第9番は、オーケストレーションが薄いと言われがちであるが、近日、マーラーが出版直前に修正を加えたスコアが存在することが発表され、高関先生は今回の演奏で一部加えたと仰った。


 なるほど、通りで今日の演奏は「安らかさ」が印象的だった。「マーラーの死」ではなく、マーラーがなくなった天国の安らかさ」となったのであろう。
 高関先生のプレ・トークがより一層本作品の理解が深まり、そのような状態で演奏を聴くという初体験のコンサートであった。
 音楽の知の巨人による音楽は分かりやすくも、精緻な演奏が繰り広げられた。

前回のコンサート

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