Symphonikerの音楽鑑賞日記

クラシック音楽を趣味とする早大生

【東京シティ・フィル】第350回定期演奏会 in 東京オペラシティコンサートホール

Introduction

 今回は、【東京シティ・フィル】第350回定期演奏会。プログラムは、マーラー交響曲第9番ニ長調という大曲。
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 この記事にも概説したが、マーラーの10曲ある交響曲の中で最高傑作であると評価されるのがこの交響曲第9番と言われている。
 特に第1楽章のマーラーの死に対する恐怖が忠実に再現されている点であろう。いつ聴いても悶絶する。実際、交響曲第1番「巨人」と交響曲第9番を比較すると、その雰囲気は正反対。同じマーラーの作品とは言い難い面も有する。
 私がこの、マーラー交響曲第9番で注目する点は以下の点である。

  • 第1楽章:提示部(第1主題)、展開部
  • 第2楽章:B
  • 第3楽章:中間部
  • 第4楽章:後半部クライマックス、アダージェット

 そして、指揮者は知能派で知られる高関健先生。スコアを徹底的に精緻に分析する高関先生の音楽は一体どのように聴こえるのだろうか?難しいマーラー交響曲第9番をいかに解析をするのか、それが楽しみである。
 オーケストラも東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団と初めて聴きに行くオーケストラである。

本日のプログラム

マーラー交響曲第9番ニ長調

第1楽章:Andante Comodo

 不穏な出だし。しかし、この時わたしは多少首を傾げた。「こんなものか…?都響だったらもっと良いかもしれない…」と思っていた。もっとも、マーラー交響曲第9番は2018年9月25日(私の二十歳の誕生日)にラトル@ロンドン響で聴いており、記念日的なこともあってよく覚えている。どうしても比較してしまう。しかし、私の不安はその後一気に打ち消されることになる。第1主題は不穏な雰囲気ではなく、弦楽器の美しい音色が響き渡り大変に安らかな音楽が響き渡った。高関先生の指揮は非常に分かりやすく、ドイツ的にタイムラグのある指揮振りであったが、内容は極めて緻密だ。そして、第2主題は大音量であり、迫力ある金管楽器と重厚感ある低音が鳴り響いた。しかし、バーンスタインテンシュテットのような迫力さではなく、自然体意識しているように聴こえた。
 そして長く、激動の展開部に入る。ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「人生を楽しめ(Freuet Euch des Lebens)」の引用箇所は非常に安らかに弦楽器が奏でられており、高関先生の指揮も非常に柔らかかった。ホルンも牧歌的であったが一部ちょっとしたミスがあった。ティンパニが響き始めると、1回目の激しい場面となる。ホルンも相当な音量が響きており、何よりもティンパニが強烈に打ち付けていた。1度目の激しい場面は短く、すぐにまた静かになる。そして、再び第2主題が登場するが、不穏な雰囲気よりも美しさが勝っておりすぐに安らかな雰囲気に変わった。2回目の激しい場面に至るまでの静かな場面は、高関先生の繊細な音楽作りが目立った。2回目の展開部の頂点部は、全ての楽器が最大限の音量を出し、シンバルも強烈な打点!まさに「圧倒される音楽」を作り上げた。何よりも強烈なティンパニとホルンの音色がとても印象的だった。その後の、銅鑼とトロンボーンの動機とティンパニの第1主題も超強烈!!圧倒的な音圧である。まさに、「最大の暴力で(mit höchster Gewalt)」であり、バーンスタインに引けを取らない音圧である。
 再現部は、激しい展開部の余韻を残しながら静かになっていく。鐘の音が鳴り響くも、激しさを残しながら安らぎも垣間見える弦楽器が非常に印象的だった。その後、ホルンとフルートの複雑な3連符があるが、そこも非常に丁寧に演奏され、高関先生の緻密な分析が光った。
 コーダの切れてしまいそうなフルートの高音、ヴァイオリンのソロが繊細な音色を響かせていた。
 第1楽章終了後、第4楽章が終わったかのような長時間の静寂さに包まれた。

第2楽章:Im Tempo Eines Gemachlichen Landlers

 ABCBCABAという順序で入れ替わり現れる。
 激動の第1楽章から軽快な第2楽章へ。軽快な木管楽器から弦楽器が登場するが、スタッカートではなくレガートを採用したような滑らかな滑り出しであったアバドウィーン・フィルのような演奏だった。テンポはバーンスタインのように軽快なテンポであった。
 Bに入ると軽快な三拍子を刻んでいき、唸る弦楽器よりも重厚感あふれる金管楽器が印象的だった。自然体な重厚感あふれる金管楽器は軽快な第2楽章に迫力さを齎す。目まぐるしい展開となるBは、聴いていて非常に楽しく、高関先生の指揮も大きく、分かりやすかった。高関先生と東京シティ・フィルの相性の良さがよくわかった。
 Cに入ると、静かになり、木管楽器の繊細さが際立った。この第2楽章でこれほど美しい演奏は過去に聴いたことあったかな…。
 再びBに入り、1度よりも複雑さが増していくがやはり高関先生の精緻な分析が際立ち、重厚感ある低音と繊細である高音が見事に調和されており、「第2楽章ってこんな音楽だったんだ!」と新たな発見があった。合間のシンバルも素晴らしかった。
 C→Aと静かな箇所も繊細な響きに加え、軽快なテンポによって進められていた。
 3度目のBも不協和音気味に複雑になっていくが迫力十分!
 最後のAは第1楽章のコーダのような静かな繊細さを持って、第2楽章を締める。

第3楽章:Rondo, Burleske

 ABABC(中間部)Aという構成。
 トランペットがもっとも緊張する第3楽章であるが、難なく第3楽章の幕を開けた。テンポは標準的であり、力強く重厚感あふれる弦楽器が第3楽章のAを進めていく。それに加えて、重厚感あふれるホルンの音色が素晴らしい響きをしていた。
 Bに入ると弾むような楽しい部分であり、第2楽章のAのような軽快さがここで再び登場する。
 やがてシンバルが打たれるとCに入り、ニ長調でトランペットが柔らかく回音音型を奏する。第4楽章の回音音型を予兆させる音色であり、この時点では第4楽章の素晴らしさは知らなかった。しかし、振り返ると、この回音音型が思わぬ帰結に驚くことがあった。第3楽章Cの回音音型は極めて幻想的で美しく、天国のような安らぎを感じた。トランペットの音色、透き通るような弦楽器が際立った。素晴らしい中間部だった。
 そして、コーダとも言えるAであるが、狂乱的に締め括るのであるがテンポは多少早めて力強く締め括った。

第4楽章:Adagio

 いよいよ最終章である。短い序奏はとてもテンポが遅く、スコアの客観的な解釈ではなく、高関先生の主観的な解釈に基づくものと推測される
 主要主題に入ると少しテンポを加速し(むしろ標準的)、東京シティ・フィルの自然体ながらも幻想的で美しい音色を響かせていた。それにしても、美しいヴァイオリンと重厚感あるチェロ等の低弦楽器が見事なハーモニーを響かせていた。途中のホルンの雄大さはもちろんのこと、随所に見られるコントラファゴットがものすごい重厚感ある音色を響かせていたのが印象的であった。とても安楽な気分になった。
 中間部に入るとハープのリズムに木管楽器が奏でる。どこかもの寂しそうであったが、高関先生と東京シティ・フィルの演奏は繊細で安らかな雰囲気であった。徐々に盛り上がり、主要主題を力強く奏でる。ここからやや長い時間をかけてクライマックスを築いていく。金管楽器が加わり、トロンボーンが力強く主要主題を奏で、強烈なティンパニが鳴り響く圧倒的なクライマックスである。その後のヴァイオリンの悲痛な叫びのような下降音階も素晴らしかった。ホルンの堂々たる主要主題も素晴らしい音量であるも、安らから雰囲気はずっと続いていた。アダージッシモに向けてデクレッシェンドになっていくが息を引き取るかのような雰囲気になるのだが、今日は違った。
 本当の最後、最後の34小節(アダージッシモ)は、息を呑むほどの繊細さと美しさに包まれる。テンポは緩めることなく少し淡々と進められていた印象であったが、凄まじい緊張感に包まれた。そして、見事な繊細さと安らぎ最後はヴィオラが主要主題をオルゴールが止まるように締めくくるのだが、高関先生は左指で1、2、3…とカウントして最後の音が消えていった
 その後、長い沈黙の後、割れんばかりの拍手となった。

総括

 いや、とんでも無いほど素晴らしい演奏を聴いた!!
 実は今回の演奏に入る前に高関先生によるプレ・トークが行われていた。このマーラー交響曲第9番マーラーの死」という暗示が込められた作品であるというのが広く認識されているところであると思われる。私もそのように認識していた。
 しかし、高関先生によるとマーラーは死ぬ直前まで元気でいた」と仰った。さらに、心臓病は医師の誤診であるという。マーラーの死はブドウ球菌感染症(?)によるものであり、現代の医療では抗生物質によって治療することが可能である。もし仮に、マーラーの生存当時に現代の医療が存在していたら、マーラーは今後どのような作品を書いたのだろうか。さらに、高関先生はマーラー交響曲第10番もほぼ書き終えていた」という。今までのマーラーだいぶイメージと離れるものとなった。
 さらに、マーラー交響曲第9番は、オーケストレーションが薄いと言われがちであるが、近日、マーラーが出版直前に修正を加えたスコアが存在することが発表され、高関先生は今回の演奏で一部加えたと仰った。


 なるほど、通りで今日の演奏は「安らかさ」が印象的だった。「マーラーの死」ではなく、マーラーがなくなった天国の安らかさ」となったのであろう。
 高関先生のプレ・トークがより一層本作品の理解が深まり、そのような状態で演奏を聴くという初体験のコンサートであった。
 音楽の知の巨人による音楽は分かりやすくも、精緻な演奏が繰り広げられた。

前回のコンサート

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