鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

【書評・2023年本屋大賞受賞】『汝、星のごとく』凪良ゆう

本の簡単な紹介

本のタイトル・出版社

  • 『汝、星のごとく』(講談社、2022年)

作者

  • 凪良ゆう(1973 - )

 京都市在住。2007年に初著書が刊行され本格的にデビュー。BLジャンルでの代表作に連続TVドラマ化や映画化された「美しい彼」シリーズなど多数。17年に『神さまのビオトープ』(講談社タイガ)を刊行し高い支持を得る。19年に『流浪の月』と『わたしの美しい庭』を刊行。20年『流浪の月』で本屋大賞を受賞。同作は22年5月に実写映画が公開された。20年刊行の『滅びの前のシャングリラ』で2年連続本屋大賞ノミネート。本書は、第168回直木賞候補、第44回吉川英治文学新人賞候補、2022王様のブランチBOOK大賞、キノベス!2023第1位、そして23年、2度目となる本屋大賞受賞作に選ばれた。
 講談社掲載より引用(『汝、星のごとく』(凪良 ゆう)|講談社BOOK倶楽部

あらすじ

その愛は、あまりにも切ない。

正しさに縛られ、愛に呪われ、それでもわたしたちは生きていく。
本屋大賞受賞作『流浪の月』著者の、心の奥深くに響く最高傑作。


ーーわたしは愛する男のために人生を誤りたい。

風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海(あきみ)と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂(かい)。
ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。
生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語。

ーーまともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。
 講談社掲載より引用(『汝、星のごとく』(凪良 ゆう)|講談社BOOK倶楽部

なぜこの本を読んだのか

 私は極力本屋大賞受賞作品を毎年読むように努めている。しかし、年によっては多忙を極めていて本屋に立ち寄る暇すらなかった。
 現在かなり落ち着いて読書の時間も設けることもできている。そしていつか本屋に立ち寄った時に「2023本屋大賞受賞」と金の文字で大きく書かれた帯を纏った本作品を見つけた。せっかく時間ができたことだし、本屋大賞受賞した作品を読める機会だと思い購入したのである。

感想

 互いに孤独と欠落を抱えた青埜櫂井上暁海。とてもお互いに幸せな家庭のに囲まれた人物とはいえない。やがて青埜櫂井上暁海は付き合いうことになるが、その心情の変化は心が温まる場面もあった。気がついたらその人のことを意識し始め、好きになる気持ちが大きくなることはあるだろう
 青埜櫂は文章に才能があり、尚人と一緒に漫画を描き始める。やがて青埜櫂は東京に出て漫画家として成功を収める。一方で井上暁海はパッとせず、地元の島に就職して青埜櫂とは対照的な状態になってしまう。この点、私の過去と重なった。実は遠距離の経験もあり、私自身決して進学校とは言えない高校から法学部に進学、そして現役で早大大学院まで登り詰めた過去がある。学を身につけた訳であるが向こうは短大卒だった。青埜櫂井上暁海ほどではないが、どこか過去の自分を見ているような感覚になった。また、東京で活躍している青埜櫂はどこか太田裕美木綿のハンカチーフ」のような流れかとも思った。
 青埜櫂井上暁海はやがて別れる。別れた後の青埜櫂がとてつもないほど人生のどん底に突き落とされてしまう。尚人とはスキャンダルによって漫画の連載は中止。気力を失い、やがてはホームレスとなり胃癌まで患ってしまうほどだ。
 一方で井上暁海は驚くことに高校の先生である北原先生と結婚することになる。青埜櫂と別れて北原先生と結構するとは誰が予想するか。しかし、北原先生の結婚があって「わたしは愛する男のために人生を誤りたい」という意味がわかる青埜櫂井上暁海は別れて以来、特に井上暁海青埜櫂の状況についてほとんど知らない状態だった。やがて、井上暁海青埜櫂が胃癌で入院していることを聞き、櫂の母親から櫂のところへ行ってほしいと言われ、北原先生からも櫂のところへ行くように指示をする。
 そして、青埜櫂井上暁海は会うことになったが、まさか高円寺で一緒に暮らすことになるとはね…。法律を専門的に学んだ私からしたら言いたいことは山ほどある。まず、同居義務違反が認められよう(民法752条)。また、倫理的にも疑問があるところではある。しかし、青埜櫂井上暁海はやはり結ばれるべき運命だったのかもしれない。この二人には何も邪魔されるものはなく、この二人だからこそ互いに幸せを感じることもあるのかもしれない。

 「なんや、糸の切れた凧みたいな気分やわ」
 咄嗟に心が引き絞られた。
 ーどこにも飛んで行かないで。
 ーずっと私のそばで生きていて。
 喉元まで競り上がってくる言葉を飲み込んだ。
 「好きなこと飛んで行っていいよ」
 「ほんま?」
 「ちゃんと追いかけるし、ちゃんと追いつくから」

 井上暁海は本当に青埜櫂のことを愛していたんだ。好きでいたんだ。そう思ってくれる人がいるだけでどれほど幸せなのだろう。尤も、井上暁海は上記の通り北原先生の奥さんでもある。そして、青埜櫂と同居し、好きでいることも上記の通り問題点でもある。しかし、上記の通り、「わたしは愛する男のために人生を誤りたい」という判断は井上暁海にとって正しい判断であったのだろう。
 最後は、青埜櫂井上暁海は高校時代に見られなかった花火大会を一緒に見る。しかし、途中で、青埜櫂井上暁海の手を握り返すことが無くなった。
 …あまりにも切ない井上暁海青埜櫂に対する愛である。

まとめ

 久しぶりに恋愛小説(?)というもの読んだ。
 小説みたいな恋愛を実際に体験することって幸せなのだろうか。実際に、井上暁海青埜櫂に対する想いが実際にあれば幸せに思う。何を持って恋愛なのだろうか。
 「人は幸せになるために生きている」だから自由に生きる。だから、付き合うのも別れるのも自由なはず。しかし、別れというものは自由であるにも関わらず辛い。読んでいて幸せな気分になるし、辛い部分もあった。そして、続きが気になってしかたなかった。

 幸せだって一つ欠けて仕舞えば辛いものになるのだから。

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