鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

【書評】『京都魔界放浪記』西村京太郎

introduction

 読書録第2弾となります。私が好きな分野は、様々であり、芥川賞受賞作・直木賞受賞作・本屋大賞受賞作(ノミネートも含む)など色々なジャンルを読みますが、特にミステリー・推理小説が好きでよく読んでます。中でも、西村京太郎先生の大ファンであり、西村先生の作品は非常に多く読んできました。
 そこで、本日、西村京太郎先生の作品を読了したので1冊執筆してみることにしました。

本の簡単な紹介

本のタイトル・出版社

作者

あらすじ

「京都は魔界」その一言を残して、男は消えた──
編集長・和田は、六道珍皇寺の井戸に消えた編集者・佐伯を追い京都に来た。一方、十津川警部はある討論会で、京都もアメリカの原爆投下目標だったと知る。佐伯の事件を追って京都に来た十津川は、六道珍皇寺薬師寺をつなぐという謎のトンネルで現世とあの世がつながっている証拠を見つける。しかし十津川はある疑問を抱く──。京都を知り尽くした著者が、京都と戦争、京都人の本質をテーマに、幻想的な手法で挑んだ、意欲的エンターテインメント!

なぜこの本を読んだのか

 上記の通り、私は西村京太郎先生の大ファンです。私自身所謂乗り鉄であり、鉄道が舞台となった物語は鉄道に乗りながらその土地の様子を十津川警部とともに捜査を進めるハラハラ、ワクワク感がたまらないのです。
 西村先生はその各土地の様子や文化を巧みに表現しており、まるでその土地にいるかのような世界に引き込まれます。
 そして、この本を選んだ理由は、単純に西村京太郎先生の作品だ!という理由で手に取りました。西村先生の新しい作品が出るとつい手に取ってしまいます。
 以下、ネタバレ注意!!!




自分の考えや本への想い(以下、ネタバレ注意!!!)

 日本は広島と長崎に2回原爆を投下された唯一の被爆国である。もっとも、もともと原爆は京都に落とされるはずだった。しかし、実際には広島と長崎に投下されたのである。その理由は、京都は魔界であるからだという。そして、十津川警部は原爆について京都・長崎・広島の代表者と討論することになり、京都と原爆について真相に迫るというもの。定番の殺人事件の捜査ではなく、原爆といった歴史の真相に迫るというやや珍しい物語
 この物語は、雑誌編集者の佐伯という人物が小野篁の真似をして六道珍皇寺の井戸に入った結果、行方不明になってしまう。しかも、この佐伯は途中で死ぬのだ。この物語の主な争点は「あの世に行き来することができるか?」というものであり、京都人は「できる」と一点張りなのに対し、十津川警部や田島(十津川警部と繋がりのある記者)は「信じられない」と主張する。両者ともに譲らない議論が続く。やがて、佐伯が所属する雑誌の編集長である和田が「私は、京都人を詭弁を弄して佐伯をしに至らしめたとして告発するつもりです」と京都人相手に宣戦布告をする。
 最終章では、「あの世に行き来することができるか?」の解答がわかる。それも恐ろしいものだった。ある意味、「地獄」だった。佐伯の死について一旦は刑事事件となるが、最終的には民事事件として処理されることになる。そこでのやり取りで、「あの世=地獄」の真相が登場する。以下、引用しよう。

 蘇我は、もってきていた写真やフィルム、それに当時のバカでかい録音機を見せてくれた。肩にかつぐ型の録音機である。
 スイッチを入れると、手入れがいいのか、テープが回転し、音が飛び出してくる。


 (略)
 
 それを裏付けるようなフィルム、写真も、十津川たちは見た。いや、見せられた。
 皮膚が焼けただれて、ぶら下がっている人々。
 医者と思われる調査員が、ピンセットで、その皮膚を引きはがしていく。
 水に落ちている無数の死体を、もう、見ようともしない。


 「広島 昭和20年8月6日 18・00」
 
 の文字の入ったフィルムや写真が、十津川たち三人の前で、映され、それに合わせて、録音テープの音声が聞かされる。 
 十津川は、昭和20年8月6日、午後6時の現実と向いあった。
 先日、見せられた広島と長崎の写真は、まだ耐えられた。が、今回の写真とフィルム、そして死んでいく人々の肉声には耐えられず、目を閉じてしまった。
 それでも人々の悲鳴は聞こえてくる。何故かわからないが、涙がこぼれ落ちた。
 和田と田島も同じように衝撃を受けたのだろう。和田は下を向き、田島は体を小刻みに震わせていた

(261-263頁 太文字筆者)

 太文字部分を読んだとき、私もその映像の様子を想像した。この世とは思えないような凄惨な場面が想像された。おそらく実際は、私が想像した以上に凄惨な場面であったことに違いないだろう。
 たった一瞬の出来事で、平穏な日常を一気に掻っ攫っていく。戦争というのは極めて醜いものだ。

まとめ

 いつものように十津川警部と亀井刑事が事件を解決するストーリーかと思いきや、戦争や原爆に関するストーリーであった。
 現在もウクライナとロシアで戦争が起こっている。この作品では第三次世界大戦を予期している旨の表現がなされていたが、実際に起こり得ると思うと恐ろしいものだ。さらに、上記引用文では何を思うか。第三次世界大戦が実際に起こったとすれば、上記のような凄惨な場面が現実化してしまうことになる
 そのような場面は2度と現実化させない。戦争は2度と起こしてはならないという西村京太郎先生の強いメッセージが込められているのではないだろうか。これも、戦争を経験したことのある西村先生だからこそ、書けるよう物語なのかもしれない。