鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

〜備忘録〜【東響】ミューザ川崎シンフォニーホール開館15周年記念公演 in ミューザ川崎シンフォニーホール

プログラム

シェーンベルクグレの歌

 アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)は、20世紀を代表する作曲家の1人で、彼とその必子たちは「第2次ウィーン楽派」として知られています。彼は1899年に強楽大重奏曲「浄夜」で独自のスタイルを確立すると、その後後期ロマン派的な様式から無調へと向かい、さらに12音技法を確立します。
 彼の創作は室内楽曲や声楽曲、オペラ、オーケストラ曲など多岐にわたりますが、中でも「グレの歌」は、声楽とオーケストラのための大規模な作品です。「浄夜」や交響等「ペレアスとメリザンド」と同じく調性は必ずしも明ではなく、後期ロマン派のスタイルを踏興しています。そしてオーケストラの編成は巨大で、ワーグナーマーラーR.シュトラウスといった先人や同時代人の作品をはるかに変ぐ規模となっています。
 この作品は作曲を始めてから完成するまでに11年もの長い期間を要しています。作曲は「浄夜」が完成した翌1900年から行われ、1901年の前半には一通り完成します。そして同年夏からオーケストレーションに取りかかりますが、たびたび中断され、彼がすでに無調のスタイルを確立した1911年11月にようやく完成しました。そして1913年2月23日にフランツ・シュレーカーの指揮によりウィーンで初演され、大成功をおさめました。
 歌詞はデンマークの詩人で小説家のヤコプセンの「グレの歌」という長い詩の独訳が用いられています。
 中世デンマークのモヴァルデマールは、侍従の娘トーヴェと恋に落ちていました。彼はグレの地の城に住むトーヴェのもとを訪れると、2人は愛の歓びを分かち合います。しかしトーヴェは嫉妬に狂う王妃によって殺されてしまいます。無念のあまり、悲惨な運命をもたらした神を買るヴァルデマール王。その天罰として彼は命を落とし亡金となり、最後の審判の日までグレの地をさまよい、家来たちとともに夜ごと寄りを続けます。そして御判の日、ヴァルデマール王はトーヴェへの想いを力強い口調で訴えます。その後夜が明けると家来た
ちの亡金は墓場へと戻っていきます。すると亡_たちに代わり、力強い「夏の風」が新たな弁りの一行として現れます。輝く夏の太陽の中で、大地は草花や生き物で満たされ、新たな生命を与えられます。
 以上があらすじですが、シェーンベルクはこれを3部分に分けて作曲しました。
 第1部ではヴァルデマール王とトーヴェの愛と、トーヴェの死について歌われます。まず甘美で幻想的な序奏に始まり、ヴァルデマール王(テノール)とトーヴェ(ソプラノ)が相手への想いを交互に歌います。それに続くオーケストラの間発では、それまでに登場した様々な旋律が発展させられます。この間奏曲は優美な旅で始まりますが、次第に激しくなり切迫感を増し、それはあたかも上述の悲惨な運命を表しているかのようです。そしてコールアングレのソロが不吉な旋律を発すると曲は静まり、山場の歌が始まります。ここでは山場(メゾ・ソプラノ)がトーヴェの死や悲しみにくれる王の姿、王妃の復響心、そしてトーヴェの発送について悲痛に満ちた表情で歌います。この山場の歌は特に有名で、後に(1922年)この曲のみ単独で独唱と室内オーケストラ用に編曲されます。
 第2部は短く、ヴァルデマール王のソロ1曲のみによります。前奏では、過去の思い出を回想するかのように第1部に登場した様々な旅律が現れますが、その後激しい曲調に変わり、王の歌が始まります。彼は悲惨な運命をもたらした神に対し、怒りや呪いの言葉を吐き捨てます。
 第3部は「荒々しい」という題がついた部分から始まります。ここではまず亡愛となった王が家来たちに呼びかけ、狩りの支度をさせます。曲はチェロによる不気味な旅律から始まりますが、歌が始まると荒れ狂う曲調に変わります。そして農夫(バリトン)はその光景に恐怖を隠せません。王と家来たちは毎晩がりを続け、その様子は全部で12声からなる家来たちの身ましい合%で歌われます。しかしその最中でも、王は亡きトーヴェへの恋の気持ちを保ったままで、その気持ちを優美で悲しげな旋律により表します。一方道化のクラウス(テノール)は、彼らと一緒に弁りをしなければならないことを嘆いており、最後の審判の日を待ち望んでいます。ここでは彼の歌が不気味ながらも軽妙な音楽で表されます。そして音楽は最後の審判の場面に移ります。ヴァルデマール王は、自分とトーヴェは2人で1つであり、決して切り離してはならないのだと強い口調で訴えます。神に対する尊大ともいえる姿勢は、ここでも変わることがありません。後奏での激しい曲調は、(同じ旋律が用いられていることもあり)第2部の音楽を思わせます。その後夜明けとともに亡無たちが募へと戻る様子が男声合唱により歌われます。不気味な旅律で始まりますが、後半では明るい曲想に変わります。そして曲は「夏風の荒々しい」と題された部分に移ります。まずオーケストラのみにより神秘的な旋律が現れたのち、急速なテンポになり、語り手が夏の風の到来を告げます。そして最後は混声合唱による太陽の賛歌で、輝かしく閉じられます。

(プログラムの曲目解説、佐野旭司先生の記述を引用・抜粋)

 東京交響楽団音楽監督ジョナサン・ノット。総勢約400人近くで演奏される大曲シェーンベルクグレの歌。ノット先生と東響のコンビの凄さは前々から知っており、ついに生で聴ける日が来た。
 春に大野@都響、カンブルラン@読響で本曲を演奏したが、聴き逃してしまいショックを受けていたが、ノット@東響で行うときいて真っ先にチケットをとった記憶がある。第3部の最後の大合唱はシンバルが打ち鳴らされるたびに涙が溢れ、実際に音楽を聴いてあそこまで涙を流したのは初めての出来事だった
 録音されているため、CD販売が待ち遠しい。