Introduction
本日は、史上最高の第九に挑むvol.2である。
12月となると、ベートーヴェン交響曲第9番が日本各地で演奏される。よって、年末にベートーヴェン交響曲第9番を聴かなければ年を越せない。昨年は新型コロナウイルスの状況により、実際にコンサートへ行くことはできなかった。その前は、毎年のように東京都交響楽団のオーケストラ「都響スペシャル『第九』」を聴きに行っていた。しかし、今年は都響と私のスケジュールが合わず、都響の第九は聴きに行けないことになってしまった。その代わり、「次回のコンサート」にある読売日本交響楽団の第九を聴きに行くことにした。読売日本交響楽団は、御三家(NHK交響楽団・東京都交響楽団・読売日本交響楽団)の一つであり、非常に楽しみである。
さて、その読響の前に、コバケンの第九である。小林研一郎先生(以下、「コバケン先生」)は日本を代表する指揮者であり、音楽に対する熱情が非常に大きい指揮者である。以前から、コバケン先生の演奏を聴きに行きたかったのだが、なかなか日程が合わなかったり、私が知らない曲を扱うなどして聴きに行く機会がなかった。そして、今年に日本フィルとの演奏で「第九」を聴きに行こうかと思っていたところ、すでに完売となっていた。コバケン先生と日本フィルは日本一の信頼関係のあるコンビであるから人気なのも頷ける。そして、「何かないかな〜」と思っていたら、今回のプログラムを見つけた。
そう、私は、「コバケン先生の『第九』が聴きたい」のである。よって、迷わず、今回のコンサートに行くことを決めたのだ。
安否両論が起こり得るコバケン先生であるが、もう81歳なのである。指揮している姿をみると元気一杯であるが、年齢を考えると元気な時に聴きに行くべきだろう、と思っている。実際、私が大学3年時(コロナ禍になる1年前)、1月〜12月の間に15回コンサートに行き、中でも11月に行われたウィーン・フィルとベルリン・フィルも思い切っていったのだ。「行ける時に行くべき、聴ける時に聴くべき」ということがよく思い知った。
炎のマエストロによる第九は、「史上最高の第九」になるのか、私もそれに挑んで行く!
本日のプログラム
- ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」
- ソプラノ:市原愛
- メゾ・ソプラノ:山下牧子
- テノール:笛田博昭
- バス:寺田功治
- 合唱:史上最高の第九に挑む合唱団
- 管弦楽:コバケンとその仲間たちオーケストラ
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」
コバケン先生登場…の前に、ベートーヴェンとコバケン先生に関する映像が20分ほど…。あれは要らん。
第1楽章:Allegro ma non troppo, un poco maestoso
いよいよ、コバケン先生による第九が始まる。冒頭の第1主題は大迫力であった。トランペット5本、ホルン6本、フルート7本、オーボエ5本と規格外の楽器編成による演奏は途轍もない破壊力であった。しかし、各々の楽器の自己主張が激しく、一体感が欠けていたように思う。本日のオーケストラは、プロ・アマが混同したオーケストラであるから仕方のないことだろう。第1主題は上記のように途轍もない破壊力であったが、第2主題は増強した木管楽器が柔らかく、優しい音色が響き渡った。
展開部も弦楽器の音色が冴え渡っていたが、やはり纏まりが欠けていたように聴こえた。止むを得ない。
そして、激しい再現部第1主題では、ホルンがベル・アップをしていた。これには驚いた。ステージ正面やや左側に座っており、ホルンのベルがこちらを向いていたこともあって、よく響いた。トランペット5本の勢いにも負けず、しっかりと響いてきた。大迫力の再現部第1主題は若干力んだ感じがむしろちょうど良いのである。
最後のコーダの部分も、ホルンをベル・アップをしており、コバケン先生の熱の篭った演奏を持って第1楽章を閉じた。
第2楽章:Molto vivace
こちらも迫力十分な出だしであった。ヴァイオリン→全合奏と盛り上がっていくのだが、全合奏になるとどの楽器も主役となった激しい演奏が繰り広げられた。ティンパニの迫力も凄まじいものだった。テンポは標準的であったが、コバケン先生の渾身のタクトが目に焼きついた。繰り返しなし。
トリオに入ると、穏やかに流れるように変わり滑らかに奏でられた。木管楽器や金管楽器を増強しているせいか、弦楽器の音色があまり届かなかったように思う。テンポも標準的。
そして、再び主部が戻り第2楽章を閉じる。
その後、ソリストの登場とチューニングが行われた。
第3楽章:Adagio molto e cantabile
冒頭ファゴットによって開始されるが、ゆっくりとしたテンポであった。ヴァイオリンによる第1主題が美しい旋律を奏でた。その後、木管が加わると増強のせいか弦楽器が消されてしまう。少しバランスが欠けていたように思う。第2主題も滑らかに弦楽器が音を奏でた。コバケン先生の情熱の籠ったタクトによって奏でられる美しい旋律はより一層祈りが込められたような、神聖な雰囲気であった。
ホルンのソロの後の8分の12拍子は、一直線。弦楽器の滑らかな変奏に加えて温もりのある柔らかい木管楽器が美しかった。多少テンポも速くなったようで聴きやすくなり、動きも出た。最終部のコーダのファンファーレはトランペット5本の威力がすごかったようで、天を貫くような音色であった。ちょっと鳴らしすぎ?
そして、第3楽章を閉じる。
第4楽章:Presto − Allegro assai
Presto / Recitativo。大迫力な幕開け。増強されたトランペットの音色が凄まじかった。
Allegro ma non troppo。重厚な低弦楽器のレチタティーヴォが響き渡る。コントラバスをよく見ていたのだが、一番右側で手前の方1人だけフレンチ・ボウであった点に目をひいた。日本人の多くはジャーマン・ボウで演奏することが多いのに珍しいと思って見ていた。
Allegro assai 。いよいよ名曲の旋律がここで登場する。最初はチェロとコントラバス。静寂に演奏されるはずなのに、この旋律が登場しただけで鳥肌がたった。やはり名曲は素晴らしい。そして、金管楽器が加わると思っていた通り、5本によるトランペットが華々しい音色を響かせた。コバケン先生の熱量も増していき、壮大な音楽が登場した。
Presto / Recitativo。バリトン歌手寺田功治さんが"O Freunde, nicht diese Töne!"と歌い、2階最上階席まで響いてきた。
Allegro assai ニ長調 4分の4拍子
"Freude, schöner Götterfunken"
バリトンの独唱から合唱が登場する。合唱団はP席に市松模様に配置され、特別なマスクを着用したまま歌うという方法を採っていた。マスクのせいかやや声量が籠ってしまっていた気がするが、聴いている分にはそこまで大きな支障がなかった。
やがて、アルトやソプラノが加わるが、ソプラノの声もよく響いていた。
Alla marcia Allegro assai vivace。行進曲である。テノール歌手笛田博昭さんが堂々とした声量で歌っていた。その後、シンバルやトライアングも次第に大きくなり、コバケン先生の熱もより一層増していき、壮大になってきた。コバケン先生の熱量の凄さを堪能した。
その後、管弦楽のみによるスケルツォ風のフガートの長い間奏が力強く奏されるが、強い推進力が伴った。それが収まったあと、超有名な箇所となる。その時、一体感が生まれた。オーケストラ、合唱が見事に合致し、壮大な音楽になっていた。いつ聴いても、この部分は感動する。
Andante maestoso。 ト長調 2分の3拍子
ここで初めてトロンボーンが登場する。トロンボーンも6本とかなり増強していたが柔らかく荘厳な響きであったところに少々意表をついた。非常に荘厳な雰囲気となる箇所であるから、教会のように神聖な雰囲気となった。合唱も荘厳でであった。
Adagio ma non troppo, ma divoto。
Allegro energico, sempre ben marcato。
Allegro ma non tanto。
Prestissimo 。
以上のように、進んでいき、最終部のプレスティッシモに入る。いよいよ終わるのかといつも思う箇所である。コバケン先生の燃えるタクトに伴って、さまざまな楽器がなり日々逝いていた。最後の最後のでトランペットが壮大に華やかに鳴り響き、トロンボーンのアクセントが印象的であった。そして、力強く締め括った。
その後、激しい拍手が鳴り響いた。
総括
コバケン先生のコンサートということで物凄い熱量に期待していたが、オーケストラがプロ・アマが混合していたオーケストラだった影響からか、プロのレベルと差があることがわかってしまった。ちょっと、バランスが欠けていた印象があった。しかし、ホルン7本、トランペット5本、トロンボーン6本、フルート7本は圧巻であった。
コバケンとその仲間たちオーケストラは、プロ・アマの他に視覚障害者も含んだオーケストラであった。第二ヴァイオリンやクラリネット・ヴィオラ奏者に全盲の方が居られた。最後にコバケン先生による挨拶があり、「全盲の方なのに、指揮者の指示が見えているんじゃないか」と述べておられた。
普段プロのオーケストラを聴いているからかやや期待外れな箇所もあったが、全盲などの視覚障害者も含めたオーケストラの音色も聴くことはそうそう無い。
良い経験をした。