鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

【都響】第965回定期演奏会Bシリーズ in サントリーホール

introduction

 新年明けましておめでとうございます。2023年に入って初めてのコンサートである。今回は、都響】第965回定期演奏会Bシリーズである。今回は私の好きな作曲家の一人であるアルノルト・シェーンベルクが絡んでいる。私はベートーヴェン以降の古典派音楽から新ウィーン楽派と呼ばれる時代を中心に好む。さらに、シェーンベルクは楽器編成の大きな作品もいつくか残されている。中でも、グレの歌七管編成という規格外の規模を持つ作品である。もっとも、シェーンベルクは無調時代(十二音技法)に入ると室内楽といった小規模の作品を多く残した。この点、弟子のアントン・ウェーベルンは師であるシェーンベルクの影響を受けたことが窺えるだろう。
 そして、指揮者は東京都交響楽団終身名誉指揮者小泉和裕先生である。渾身の指揮で生み出される音楽はいかなるものか、期待が膨らむ。

本日のプログラム

シェーンベルク浄められた夜

 浄められた夜は、弦楽六重奏の作品であって金管楽器木管楽器は登場しない。弦楽器で構成された作品であるから、比較的小規模の作品である。弦楽器が非常に美しい作品であり、シェーンベルクを代表する作品の一つである
 予習として、以下の演奏を聴いていた。

 この作品はデーメル*1の詩に対応して、5つの部分に分けることができる。もっとも、単一楽章の作品であると理解するのが一般的であるが、便宜上、デーメルの詩に対応して5つの項目に分けて述べることとする。

1. Sehr Langsam

 冒頭、シェーンベルクらしい独特の不穏の雰囲気、暗さというものが漂う。しかし、都響の弦楽器の音色が非常に美しく、厚みがあった。そして、小泉先生の大きな指揮ぶりに合わせて音が緩急をつけていく。ヴァイオリンの繊細なトリオの音色が際立つ。弦楽器のみで構成されている作品なのに大編成のオーケストラを聴いてるかのようだった。

2. Etwas Bewegter

 盛り上がり、複雑な音楽へ移行する。複雑な構造であるが、各パートの音色が響き渡り、精緻な音楽を作り上げていた。各々の音色が飛び交うがトゥッティとなると一体となって真のある図太く、力強い音色が襲いかかってきた渾身の小泉先生の指揮に十分応え、数あるものを凌駕するかのような音圧に圧倒された。強弱が激しい部分であるが、小泉先生のしなやかな指揮によってドラマティックに仕上げられていたカラヤンを彷彿させるような勢いには思わず体が硬直した。

3. Schwer Betont

 引き続き悲痛な雰囲気となる。低音が力強く鳴り響き、小泉先生の渾身の指揮に応えるかのように弦楽器奏者が一斉に目の色を変えるかのような熱気が漂った。後半になると一気に雰囲気が変わり穏やかになる。

4. Sehr Breit Und Langsam

 ここからは圧倒的な美しさが際立った。陰鬱な雰囲気を次第に浄化するかのような都響サウンドには驚かされた。いつも、都響の弦楽器の素晴らしさを体感しているが、今回は特にその点を意識した。途中からヴァイオリンの高らかな音色に加えて、チェロやヴィオラが波を描くような場面があるのだが、そこは夜の大海原が浮かんできた「青白い月の光が大海原を照らし、その光が波打つ水面に揺られる」そのような情景を浮かべながら聴いていた。しかし、盛り上がるところは穏やかさから熱気に包まれた。

5. Sehr Ruhig

 いよいよ終わりとなる。ヴァイオリンの高らかな音色に加えて、チェロやヴィオラが波を描くような場面がより顕著になる。不穏な雰囲気であったが、次第に美しく壮麗な音楽へと変遷し「浄められた夜」を描いていた
 最後の音が消えた時、完全に小泉先生と都響の世界に包み込まれ、現実世界からかけ離されていた。

ブラームスシェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番ト短調

 ブラームスシェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番ト短調であり、私が最も楽しみにしている作品である。通称「ブラシェン」という。私がこの作品と出会ったのは、2020年4月12日放送のクラシック音楽である。放送内容は、N響第1931回定期公演であり、クリストフ・エッシェンバッハが、本作品を演奏し、第3楽章と第4楽章の美しさと壮大さに深い感銘を受け、スコアも購入したほどである。若い頃のアルノルト・シェーンベルクは、ヨハネス・ブラームスに傾倒していた。シェーンベルクは、「ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番ト短調」を好んでいたが、ピアノが上手過ぎると他の楽器が霞んでしまいバランスが悪いとされていた。そこで、シェーンベルクは、すべての音を聴いてみたいということで管弦楽に編曲したのであるブラームス特有の弦楽器の厚みを活かした美しい作品であり、第4楽章の華やかさや勇ましさが十二分に発揮されている。もちろん、私も好きな作品のひとつである。
 予習として、以下の演奏を聴いていた。

www.hmv.co.jp

 本記事の「ブラームスシェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番ト短調」についてスコアを持っており、そこに詳しい解説が記されているのですが生憎手許にございませんので後日その解説の内容を反映させたものを再度投稿する予定です

第1楽章:Allegro

 提示部クラリネットが第1主題を奏でた。その後の、弦楽器の低音による第1主題が非常に重厚な音色でブラームス特有の厚みを充分に発揮されていた。強弱が激しい第1主題であるが、小泉先生の巧みであり、かつ力強い指揮によってパワフルな冒頭部分を形成した。激しい経過句の後に、チェロが第2主題を奏でるのだが、第1主題の緊迫感のある場面とは裏腹に穏やかで甘美な音色を響かせていた。その後の木管楽器による第2主題も甘美な音色を響かせていた。その後、舞踏会に近いような軽快で滑らかに弦楽器が奏でられる場所もあるのだが、冒頭からは考えつかないような明るさと楽しさがあった。
 展開部。第1主題が奏でられる。展開部は全体的にこの第1主題が支配的となる。ブラームスらしい特有の厚みを活かしており、都響と小泉先生の厚き信頼関係がその点から窺えた。緩急自在によって演奏されており、明暗がかなりはっきりしていた印象である。クライマックスになると圧倒的音圧を奏で、ものすごい勢いとクレッシェンドに圧倒された
 再現部。曲調が明るくなる。繊細で美しい弦楽器が非常に印象的だった。再現部第1主題ではシンバル等の打楽器が加わって迫力を増していく。今後の展開が恐ろしいほどの迫力さであった。再現部第2主題では提示部のような甘美なチェロではなく、第1主題をそのまま承継するかのようなやや暗い曲調でヴァイオリンによって奏でられる。
 コーダ。第1主題が断片的に演奏され、チェロやコントラバスによって奏でられる音色はものすごい緊迫感であった。そして、何事もなかったように第1楽章を閉じた。

第2楽章:Intermezzo. Allegro ma non troppo

 三部形式であるので「A-B(トリオ)-A」として述べる。
 A 木管楽器が活躍する。若干第1楽章第1主題の不穏さは残るものの、流れるような第1主題は甘美な音色で奏でられ少し雰囲気を和ませた。その後の第2主題では多少活発的になり、引き込むような弦楽器が奏でられるのだが転調するので様々な場面が垣間見えた。ハ長調になると繊細で美しい音楽が際立った
 B 快速的テンポで弾むような雰囲気へと一転した。木管楽器の軽快な音色と迫力のあるヴァイオリンと重厚でしっかりとした低弦楽器が非常に素晴らしかった。小泉先生による白熱しきた指揮からはとてつもない迫力と推進力に圧倒された
 A 短いトリオはあっという間に終了。ここでは、Aを繰り返すので省略。

第3楽章:Andante con moto

 第2楽章と同様、三部形式であるので「A-B(トリオ)-A'」として述べる。
 A この作品の中で最も見所となる場面ではなかろうか。なんといっても弦楽器によるトゥッティの重厚で壮大な主題が非常に印象的なのである。ここでは、完全に小泉先生の指揮が冴え渡り、多少遅めのテンポで堂々と重厚な音色によって主題を奏でたのである。これには圧巻の一言に尽き、私の涙腺決壊の危険性が非常に高まった木管楽器が活躍する。若干第1楽章第1主題の不穏さは残るものの、流れるような第1主題は甘美な音色で奏でられ少し雰囲気を和ませた。その後の第2主題では多少活発的になり、引き込むような弦楽器が奏でられるのだが転調するので様々な場面が垣間見えた。ハ長調になると繊細で美しい音楽が際立った
 B 行進曲的な曲調へ変わる。小泉先生はゆったりとしたテンポから少し上げて活発的に曲を進めた。そして、頂点部分に至るとシンバルも加わって金管楽器木管楽器といったあらゆる楽器が鳴り響き、非常に壮大な頂点部を形成した。これは素晴らしかった。
 A' 再びテンポを遅めて主題を奏でた。多少冒頭と変形されているので「A'」とした。やはり重厚な弦楽器によって奏でられた主題は素晴らしく、あまりの美しさと壮大にさについに涙腺が決壊した。まだ第4楽章が控えているというのに…。こんなに素晴らしいものを聴いて良いのだろうか…。

第4楽章:Rondo alla Zingarese

 ロンド形式「A-B-A-C-展開部(B-C-A)コーダ(B-C-A)」という構成で述べる。
 A やはりラトルほどの速さではなかったが、強い推進力で進められていた。この第4楽章に入ってからステージの雰囲気がガラリと変わり、どこか競い合うような白熱したものが存在した。活発的な弦楽器がここまた印象的だったが、シロフォンやタンバリンといった楽器が加わり、ブラームスから一気にシェーンベルクの世界に移り変わった。
 B 木管楽器の流れるようで目まぐるしい場面である。グロッケンシュピールがしっかりと響いており、シェーンベルクの世界を作り上げていた。行進曲的な曲調へ変わる。小泉先生はゆったりとしたテンポから少し上げて活発的に曲を進めた
 A 再びこの場面。最初に比べて幾分楽器が増えており、これまた違う白熱した展開が開かれた。
 C ついに来た!私はこの「C」が一番好きなのである。弦楽器の堂々とした音色によって始まり、その後の木管楽器が非常に勇ましく、堂々とした音楽に鳥肌が止まらない。やはり何度聴いても痺れる。小泉先生の何もかも引き込んでしまうような大きな指揮ぶりからはスケールの大きな音楽が繰り広げられていた。私としてはもう冥土の土産となっても構わない。
展開部。Bの目まぐるしい木管楽器が登場し、すぐさまCへ。トランペットも加わったCは非常に堂々としたファンファーレを形成し、その後のAでは何もかも凌駕するかのような力強い弦楽器に圧倒され、強烈なシンバルも加わってもはや都響が崩壊しそうなほどの迫力だった泣く子も黙る、小泉の渾身の音楽作り」
 コーダクラリネットカデンツァで一旦落ち着いた。その後、各弦楽器がのソロ・パートがあるのだが、それは原曲の作風を残したのだろう。コーダのAでは、さらにテンポを速めて狂乱状態を極めて、圧倒的音楽を奏でたまま一気に締めくくった

総括

 新年早々とんでもない演奏を聴いた。前半のシェーンベルク浄められた夜では、緻密な弦楽器による演奏と迫力さに圧倒された。どこか、リヒャルト・シュトラウス*2メタモルフォーゼンのような緻密さを感じた。さらに、終盤の方にはヴァイオリンやヴィオラの波打つような場面では、ラヴェル*3組曲「鏡〜海原の小舟」を彷彿させた。実は、本日に至るまでこの作品についてはあまりよくわかっていない点が多かった。しかし、小泉先生の深い洞察力と高い表現力によってこの作品の素晴らしさ、美しさというものに気がついた
 後半のブラームスシェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番ト短調は期待通り、いやそれを上回るかのような素晴らしい演奏であった。終始充実感満載の演奏であり、第4楽章展開部以降では、オーケストラが壊れてしまうのではないかと思うほどの迫力に圧倒された。あの程度の迫力を感じたのは久しぶりだった(もっとも、テンシュテットであればアンサンブルの崩壊という蓋然性が高いかと思われる)。
 そして、これが2023年に入って初めてのコンサートであった。そこで、何か新しいことを取り入れてみようと思い、私がコンサート前に予習として聴いていた演奏を紹介してみることにした。どんなに私が知っている曲でも、十分に予習をしてから聴くのが私のポリシーであり、「聴き比べ」というクラシック音楽の醍醐味も堪能することができるからである。

前回のコンサート

law-symphoniker.hatenablog.com

*1:リヒャルト・フェードル・レオポルト・デーメル(Richard Fedor Leopold Dehmel、1863年11月18日 - 1920年2月8日):ドイツの詩人

*2:リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss、1864年6月11日 - 1949年9月8日):ドイツの作曲家・指揮者。

*3:ジョゼフ・モーリス(モリス)・ラヴェル(Joseph Maurice Ravel、1875年3月7日 - 1937年12月28日):フランスの作曲家