鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

【書評】『金閣寺』三島由紀夫

本の簡単な紹介

本のタイトル・出版社

作者

 (1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
新潮社掲載より引用(三島由紀夫 | 著者プロフィール | 新潮社

あらすじ

 「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」。吃音と醜い外貌に悩む学僧・溝口にとって、金閣は世界を超脱した美そのものだった。ならばなぜ、彼は憧れを焼いたのか? 現実の金閣放火事件に材を取り、31歳の三島が自らの内面全てを託した不朽の名作。血と炎のイメージで描く〈現象の否定とイデアの肯定〉──三島文学を貫く最大の原理がここにある(三島由紀夫 『金閣寺』 | 新潮社

なぜこの本を読んだのか

 この金閣寺は今回初めて読む作品ではない。この作品を初めて読んだのは高校2年生の頃だった。高校1年の時に芥川龍之介先生羅生門を国語の授業で扱った時に文豪の作品に嵌った時期があった。夏目漱石太宰治あたりを読んだ記憶があるが、中でも惹かれたのがこの三島由紀夫先生金閣寺だった。いつの頃か忘れてしまったが、あの金色で美しい金閣寺は放火事件に遭い、復元されたものだと知った。そして、この三島先生の金閣寺がその事件をもとに書かれた作品だということを知り、とても興味を抱いて読み始めた。
 後述するが、この作品は私の物事の考え方や見え方に大きな影響を与えた。そして、早大を修了した今、もう一度三島文学に触れておきたいと思い、改めて金閣寺を読んでみることにしたのだ。

感想

 この作品の主人公は「私」。後に「私」の名前は溝口であることが明らかにされる。
 私自身過去に二度実際に金閣寺を見に行ったことがある。小六の時と中学校の修学旅行の頃だった記憶しているが、金色に輝いていた金閣寺は美しかった記憶があるがだいぶ昔のことになっている。しかし、金色に輝く金閣寺は今でも実際に見て目に焼き付けたいという気持ちがある。金色に輝いているから何だという問いに対しては、「美しい」からである。
 私(溝口)は、父親よれば

金閣ほど美しいものは地上になく、又金閣というその字面、その音韻から、私の心が描き出した金閣は、途方もないものであった。」

 とされている。有名な話であるが、金閣寺の正式名称は鹿苑寺である。参考程度に銀閣寺は慈照寺が正式名称であることも有名な話である。私自身溝口ではないので同じ気持ちであるかは判別不能であるが、「金閣寺」という呼称には何か惹かれる思いはある。
 後に私(溝口)は、父親と一緒に京都へ行きそこで初めて金閣寺と対面することになる。この当時の金閣寺はいわば修繕前の金閣寺であるから金色に輝く金閣寺ではない。その時の「私」(溝口)の心情は以下のように表現している。

 私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起こらなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉が止まっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落ち着かない感じさえを受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。

 そこまで言われてしまうと金閣寺も可哀想であるが、実際に焼失前の金閣寺は以下のようなものだ。比較してみよう。


 その差は、一目瞭然といえようか。確かに同一の金閣寺であるが焼失前の金閣寺はどこか廃墟のような感じだ。
 そして、この点に着目したのはおそらく私だけだと思うが、三島先生が東大法学部卒ということもあって神道優位について私(溝口)の父と金閣寺の住職で議論をしている場面がある。

 父と住職は、軍や官僚が神社ばかりを大事にして寺を軽んじ、軽んじるばかりか圧迫することを憤慨し、これからの寺の経営はどういうふうにやってゆくべきか、などという議論をした。

 これは、現在の日本国憲法政教分離憲法20条3項、89条1項)の制度をなす議論である。当時は大日本帝国憲法の時代であり、旧憲法28条には信教の自由を保障していたが、法律におらずめ入れによって信教の自由を制限することも許される、という解釈がなされていた。また、実際には「神社は宗教にあらず」とされ、神社神道は国境として扱われ優遇されていたのだ*1。この点はフィクションではなく、実際に昭和期になると、キリスト教大本教など他の宗教に対する弾圧も行われていた*2このような憲法学的な要素も三島先生は小説に取り込んでいるところに素晴らしさを感じた
 全体を通したことだが、三島先生独特の表現は難解さを伴う。しかし、その時の心情を言葉をもって表現するには三島先生の膨大な語彙力と表現力によって、そのように表現することが最も精確なのだろう。例えば、颱風が近づいてきた時の様子は以下のように表現されている。

 「強まれ!強まれ!もっと迅く!もっと力強く!」
 森はざわめきだした。池辺の樹の枝々は触れ合った。夜空の色は平静な藍を失って、深い納戸いろに濁っていた。虫のすだきは衰えていないのに、そこらをけば立たせ、そぎ立てるような風の多い神秘な笛音が近づいた。
 私は月の前をおびただしい雲が飛ぶのを見た。南から北へ向かって、山々の向こうから、次々と大軍団のように雲がせり出してくる、それらが悉く、南からあらわれて月の前をよぎり、金閣の屋根を覆って、何か大事へいそぐように北へ駆け去ってゆくのである。私の頭上では金の鳳凰が叫ぶ声を聴くように思った。

 その時の様子が目に浮かぶようだ。単に風が「ヒューヒュー」といった擬音語ではなく、しっかりとした言葉で表現されているのだ。
 そして、気になる私(溝口)金閣寺を焼く動機であったがそれはあまりに突然すぎた私(溝口)が西舞鶴へ行った(帰った)時に日本海を訪ねた時に急に金閣を焼かなければならぬ」と決心するのである。
 決して充実した少年時代を送ることができず、吃音も患っていた私(溝口)。そして、数少ない友人の一人である鶴川の死亡。そして柏木との出会いもあるが、私(溝口)の西舞鶴の借金を金閣の住職に伝えられ、「お前をゆくゆくは後継にしようと心づもりしていたこともあったが、今ははっきりそういう気持ちがないことを言うて置く」とまで宣言される。あれだけ金閣に憧れていたのに住職からこんなこと言われて仕舞えば落ち込むのも無理もない。
 そうであれば、住職を殺すのではなく、金閣を焼かなければ世界を変えることはできない。そう私(溝口)は思ったのだろう。
 そして、いざ金閣寺を焼く。私(溝口)はカルモチンと短刀を持参していたが忘れてしまった。どうも私(溝口)金閣寺の究竟頂で死ぬことを考えたらしい。しかし、究竟頂に入ることが出来ず、慌てて飛び出し韋駄天のように左大文字山の頂上まで行った。そしたら、なんとカルモチンと短刀がポケットから出てきた。それを谷底に捨て、タバコを吸い、「生きようと思った」のである。
 どうも私(溝口)は牢獄の中で生きることを決めていたらしい。しかし、な金閣寺の炎に包まれながら死ぬことを考えていたが、究竟頂に入れずに現場から逃げて生きようと思ったのか、その動機も気になるところでもある。
 あれだけ憧れていた金閣を焼いてしまおうと思った動機は一体なんだろう。鶴川との関係?金閣の後継となることが出来なかったことの恨み?また、金閣の炎につ包まれて死ぬことが本望なのだろうか?
 実際の事件は以下のようなものである(Wikipediaで失礼)。
ja.wikipedia.org

まとめ

 もう一度読んで思ったが、やはり三島文学は難しい。三島先生の超人を超えるような語彙力には驚かされるばかり。しかし、主人公である私(溝口)の心情は三島先生でなければ精確に表現できないのだろう。時に鶴川や柏木と交わした宗教的・哲学的な議論、そして日に対する考察は迫力あるものである。
 三島文学の不思議さには、独特のものがある。なぜ難解な文章なのにあれだけ内容・表現に惹き込まれるのか。不思議で不思議で仕方がない。一応法務博士(早稲田大学を取得している私であるが、その要因には法的要素が含まれていると考える。三島先生は東大法学部を卒業しており、時には判決文を読んでいるような感覚に陥ることがある。判決文は一般的な日常生活ではまず目にすることがない。そこで、参考程度に実際の判決文をいかに引用してみる。

「2 憲法は,20条1項後段,3項,89条において,いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けているところ,一般に,政教分離原則とは,国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされている。そして,我が国においては,各種の宗教が多元的,重層的に発達,併存してきているのであって,このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには,単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず,国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため,政教分離規定を設ける必要性が大であった。しかしながら,国家と宗教との関わり合いには種々の形態があり,およそ国家が宗教との一切の関係を持つことが許されないというものではなく,政教分離規定は,その関わり合いが我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に,これを許さないとするものであると解される。
 そして,国又は地方公共団体が,国公有地上にある施設の敷地の使用料の免除をする場合においては,当該施設の性格や当該免除をすることとした経緯等には様々なものがあり得ることが容易に想定されるところであり,例えば,一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても,同時に歴史的,文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり,観光資源,国際親善,地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく,それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該免除がされる場合もあり得る。これらの事情のいかんは,当該免除が,一般人の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考えられるから,政教分離原則との関係を考えるに当たっても,重要な考慮要素とされるべきものといえる。そうすると,当該免除が,前記諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて,政教分離規定に違反するか否かを判断するに当たっては,当該施設の性格,当該免除をすることとした経緯,当該免除に伴う当該国公有地の無償提供の態様,これらに対する一般人の評価等,諸般の事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解するのが相当である。
 以上のように解すべきことは,当裁判所の判例最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁,最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁,最高裁平成19年(行ツ)第260号同22年1月20日大法廷判決・民集64巻1号1頁,最高裁平成19年(行ツ)第334号同22年1月20日大法廷判決・民集64巻1号128頁等)の趣旨とするところからも明らかである。
 3(1) 前記事実関係等によれば,本件施設は,本件公園の他の部分から仕切られた区域内に一体として設置されているところ,大成殿は,本件施設の本殿と位置付けられており,その内部の正面には孔子の像及び神位が,その左右には四配の神位がそれぞれ配置され,家族繁栄,学業成就,試験合格等を祈願する多くの人々による参拝を受けているほか,大成殿の香炉灰が封入された「学業成就(祈願)カード」が本件施設で販売されていたこともあったというのである。
 そうすると,本件施設は,その外観等に照らして,神体又は本尊に対する参拝を受け入れる社寺との類似性があるということができる。
 本件施設で行われる釋奠祭禮は,その内容が供物を並べて孔子の霊を迎え,上香,祝文奉読等をした後にこれを送り返すというものであることに鑑みると,思想家である孔子を歴史上の偉大な人物として顕彰するにとどまらず,その霊の存在を前提として,これを崇め奉るという宗教的意義を有する儀式というほかない。また,参加人は釋奠祭禮の観光ショー化等を許容しない姿勢を示しており,釋奠祭禮が主に観光振興等の世俗的な目的に基づいて行われているなどの事情もうかがわれない。そして,参加人の説明によれば,至聖門の中央の扉は,孔子の霊を迎えるために1年に1度,釋奠祭禮の日にのみ開かれるものであり,孔子の霊は,御庭空間の中央を大成殿に向かって直線的に伸びる御路を進み,大成殿の正面階段の中央部分に設けられた石龍陛を越えて大成殿へ上るというのであるから,本件施設の建物等は,上記のような宗教的意義を有する儀式である釋奠祭禮を実施するという目的に従って配置されたものということができる
 また,当初の至聖廟等は,少なくとも明治時代以降,社寺と同様の取扱いを受けていたほか,旧至聖廟等は,道教の神等を祀る天尊廟及び航海安全の守護神を祀る天妃宮と同じ敷地内にあり,参加人はこれらを一体として維持管理し,多くの参拝者を受け入れていたことがうかがわれる。旧至聖廟等は当初の至聖廟等を再建したものと位置付けられ,本件施設はその旧至聖廟等を移転したものと位置付けられていること等に照らせば,本件施設は当初の至聖廟等及び旧至聖廟等の宗教性を引き継ぐものということができる。
 以上によれば,本件施設については,一体としてその宗教性を肯定することができることはもとより,その程度も軽微とはいえない
 (2) 本件免除がされた経緯は,市が,本件施設の観光資源等としての意義に着目し,又はかつて琉球王国の繁栄を支えた久米三十六姓が居住し,当初の至聖廟等があった久米地域に本件施設が所在すること等をもって本件施設の歴史的価値が認められるとして,その敷地の使用料(公園使用料)を免除することとしたというものであったことがうかがわれる。
 しかしながら,市は,本件公園の用地として,新たに国から国有地を購入し,又は借り受けたものであるところ,参加人は自己の所有する土地上に旧至聖廟等を有していた上,本件土地利用計画案においては,本件委員会等で至聖廟の宗教性を問題視する意見があったこと等を踏まえて,大成殿を建設する予定の敷地につき参加人の所有する土地との換地をするなどして,大成殿を私有地内に配置することが考えられる旨の整理がされていたというのである。また,本件施設は,当初の至聖廟等とは異なる場所に平成25年に新築されたものであって,当初の至聖廟等を復元したものであることはうかがわれず,法令上の文化財としての取扱いを受けているなどの事情もうかがわれない
 そうすると,本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値をもって,直ちに,参加人に対して本件免除により新たに本件施設の敷地として国公有地を無償で提供することの必要性及び合理性を裏付けるものとはいえない
 (3) 本件免除に伴う国公有地の無償提供の態様は,本件設置許可に係る占用面積が1335平方メートルに及び,免除の対象となる公園使用料相当額が年間で576万7200円(占用面積1335平方メートル×1か月360円×12か月)に上るというものであって,本件免除によって参加人が享受する利益は,相当に大きいということができる。また,本件設置許可の期間は3年とされているが,公園の管理上支障がない限り更新が予定されているため,本件施設を構成する建物等が存続する限り更新が繰り返され,これに伴い公園使用料が免除されると,参加人は継続的に上記と同様の利益を享受することとなる。
 そして,参加人は,久米三十六姓の歴史研究等をもその目的としているものの,宗教性を有する本件施設の公開や宗教的意義を有する釋奠祭禮の挙行を定款上の目的又は事業として掲げており,実際に本件施設において,多くの参拝者を受け入れ,釋奠祭禮を挙行している。このような参加人の本件施設における活動の内容や位置付け等を考慮すると,本件免除は,参加人に上記利益を享受させることにより,参加人が本件施設を利用した宗教的活動を行うことを容易にするものであるということができ,その効果が間接的,付随的なものにとどまるとはいえない。
 (4) これまで説示したところによれば,本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値を考慮しても,本件免除は,一般人の目から見て,市が参加人の上記活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ないものといえる
 (5) 以上のような事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すると,本件免除は,市と宗教との関わり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして,憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当すると解するのが相当である。」( 最大判令和3年24日民集第75巻2号29頁〔孔子廟違憲判決〕)(下線部筆者)

 上記感想で述べたように、父と鹿苑寺の住職と交わした議論は、実際に帝国憲法時代の議論であり、現在の日本国憲法政教分離憲法20条3項、89条1項)の制度の根幹をなしたものである。そして、上記最高裁判決は政教分離憲法20条3項、89条1項)に関するものであるので、一例として紹介した。
 ふと読み返すと、この令和3年大法廷判決は見事な法的三段論法であって法的思考力を鍛える上では格好の素材であろう。
 さて、これ以上判例の解説をするとタイトルの範疇から外れてしまう。このように判決文は一文が長く内容の論旨を汲み取るのが難しい。三島先生の文章も一部において一文が長いものが多かった。そして、三島先生の豊富な語彙力がより一層難解さを極める。
 しかし、その難解な文章なのにその世界に惹き込まれたならば、すでに三島文学の虜になってしまっているのである

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 そして、三島先生の素敵な笑顔。

*1:芦部信喜高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店、第7版、2019年)159頁、渡辺康行他『憲法Ⅰ』(日本評論社、2016年)172頁[渡辺康行]、安西文雄他『憲法学読本』(有斐閣、第3版、2018年)125頁[安西文雄]

*2:前掲注1・172頁[渡辺康行]