はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」ということで、何か書いてみようと思って、交響曲と指揮者を選出してみることにした。ということで、
はてなブログ10周年おめでとうございます!!
早速であるが、私が選ぶ好きな交響曲10選は以下の通り。
- ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調
- ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調
- ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調
- ブラームス:交響曲第1番ハ短調
- ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調
- ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
- ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
- マーラー:交響曲第2番ハ短調
- マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
- マーラー:交響曲第9番ニ長調
結局ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーといった後期ロマン派音楽に偏ってしまった。それぞれ作曲家と作品一つずつということも考えたが、以上の10個の作品については何度聴いても感動するし、その作品の素晴らしさについて声を大にして伝えたいものばかりなのである。甲乙付け難く、10選の中に入れようか迷った作品については番外編ということで羅列することにした。
そして、今回は約2年ぶりの改訂ということで、各演奏について私の推薦盤と宇野功芳氏、中野雄氏、福島章恭氏のそれぞれの推薦盤も合わせて紹介することにしてみた。新たな試みである。
好きな交響曲10選
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調
概要
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調。ベートーヴェンの最も重要な作品のひとつであると同時に、器楽音楽による表現の可能性を大きく広げた画期的大作である。この交響曲第3番は全体を通じて約60分弱とベートーヴェンの中で第9番に次ぐ演奏時間の長さである。
当時のハイドンやモーツァルトの交響曲は全体で約30分〜40分程度であったが、ここにきて約60分近い大作が登場したのであるから、当時としては異例の演奏時間の長さであろう。もっとも、後期ロマン派音楽になれば1時間超えるものばかりであるし、マーラー交響曲第3番は約100分ほどの演奏時間を要するものもある。そういった意味を踏まえると、このベートーヴェン交響曲第3番は今後の作曲家・音楽に大きな影響を与えた作品と言っても過言ではないだろう。
さて、この交響曲第3番であるが、フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲された。第1楽章の格好良く、雄大な主題はまさに「英雄」といえよう。そして、第2楽章の葬送行進曲は、ナポレオンがセントヘレナに幽閉され、そこで死んだとき、「私はこのことを予期していた」と語ったそうだ。そして、名指揮者ブルーノ・ワルターは「ナポレオンは死んだが、ベートーヴェンは生きている」という言葉を残した*1。
もう一つ特筆するとしたら、第1楽章codaのトランペットである。以下の図を見ていただきたい。
指揮者によって(A)と(B)のどちらかで演奏される。当初は(A)の方だったが、当時トランペットは(B)のような高音は吹けないとされ、トランペットは第1楽章第1主題の途中で墜落してしまう。ニコラウス・アーノンクールはトランペットの脱落を「英雄の失墜(死)」を表すと主張している。この点について、以下の演奏については、どちらの演奏かもちろん示すつもりである。
なお、この第1楽章codaの論争(?)は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」の第1版と第2版の相違にも同様のことが言えるのではないだろうか。
私見においては、(A)の場合は、第2楽章の葬送行進曲を想起させる、英雄の失態を示す(ニコラウス・アーノンクールと同様)。一方、(B)の場合は、英雄は最後まで英雄である、堂々たる英雄なのだ。個人的にはどちらでも良い。指揮者はどのように解釈して(A)または(B)を選択したのか、という解釈の推論をする方がよほど楽しい。
第2楽章は一変して葬送行進曲。非常に暗く、荘厳な曲である。しかし、途中ハ長調になる部分があり(マジョーレ)、明るくなる部分が緊張感を和らげる。
低弦楽器が、「ド・ソ・ラ・シ」が聴こえたら、マジョーレが開始。しかし、その後展開部において極めて荘厳なフガートが登場する。
軽く聴き流していたとしても、この箇所が聴こえると真剣を集中させて聴いてしまう。ベートーヴェンの荘厳さが十二分に発揮されている箇所といえよう。
一方第3楽章は軽快な音楽であり、このスケルツォは交響曲第7番第3楽章、交響曲第9番第2楽章に引き継がれることになろう。
中でも、このトリオにおけるホルンが非常に雄大で格好良い箇所である。
そして、第4楽章は変奏曲となっている。もっとも、第6変奏で一気に雰囲気が変わり、下記の第7変装はホルンが再び主役となる場面が登場する。
なぜだがホルンを起立させて演奏したくなる気がするのは私だけだろうか。
さすが「英雄」とだけあって、英雄らしい非常に格好良い作品である。交響曲第3番がなければ、交響曲第5番も交響曲第7番も交響曲第9番も誕生しなかったのだから、奇跡の交響曲ともいえよう。
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調
概要
ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調。ご存知の方も多いだろう。「運命」の愛称で知られているクラシック音楽中の中でも名曲である。実際に、三大交響曲として、ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」、シューベルト交響曲第8(7)番「未完成」、そして、ベートーヴェン交響曲第5番である。
実際に交響曲において「5」という数字は、今後の作曲家に大きな影響を与えた。交響曲作曲家として5番目の交響曲を作曲するときは相当熱を入れたようだ。実際に「交響曲第5番」で人気の作品を書いた作曲家を考えてみよう。
ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ…。実際に、ベートーヴェンはピアノ協奏曲第5番「皇帝」も非常に人気である。また、ベートーヴェンの交響曲の中でも最も緻密に設計された作品であり、その主題展開の技法や「暗から明へ」というドラマティックな楽曲構成は後世の作曲家に模範とされた。ブラームス交響曲第1番が同様に「暗から明へ」という構造になっている。そして、同じハ短調であることも注目されよう。
そして、ベートーヴェン交響曲第5番は聴き比べにも非常に参考になる曲である。もっとも有名な第1楽章提示部第1主題がメインとなる。速く指揮する指揮者もいれば、1音1音しっかりと鳴らす指揮者もいる。同じ曲でも指揮者が異なれば全く違う、これがクラシック音楽の醍醐味といえよう。
上記画像は再現部に入る少し前からの楽譜であるが、ここはものすごい迫力であり、第1楽章の中でももっとも緊迫感のある瞬間だろう。
私が第1楽章の中でもっとも好きな再現部第2主題。。暗→明という構成を取る中、明るさへ若干顔を覗かせるハ長調の第2主題はたまらない。
第2楽章において、私は2回目の第2主題(78小節目以降)の方が好きなのである。
弦楽器が32部音符になっており、より一層華々しく活発的になるのである。
そして、98小節以降のヴィオラとチェロの流れるような旋律がある。32部音符ながら滑らかに奏でられる旋律は第2楽章の中でもっとも美しく甘美な音色が楽しめる場面といえよう。
第3楽章はトリオの以下の場面がある。
チェロとコントラバスによって奏でられるトリオは「象のダンス」とベルリオーズが呼んだ。ハ短調→ハ長調へと第4楽章に向けた前兆とも解釈されよう。
第4楽章は、「ドーミーソー」と非常に単純な旋律だが、大変華々しく最終を飾るにもっとも相応しい。
私が第4楽章中でもっとも好きな場面は以下の部分。
第4楽章336〜337小節の弦楽器がトゥッティで「ソドソミーレドソー」と奏でる場面があるのだが、私が第4楽章の中でもっとも好きな箇所なのである。たったの1〜2秒しかないのに、ベートーヴェンの力強さと弦楽器の美しさ重厚さが兼ね備えられた場面なのである。素早く演奏するのもよし、ゆっくりとしたテンポで演奏するのもし。あらゆる奏法によってもこの1小節はベートーヴェンらしさを存分に発揮する場面でもある。
そして、ベートーヴェンの交響曲として唯一フェルマータで終えるのもこの第5番のみである。もっとも、交響曲第3番第4楽章の最終音をどれだけ伸ばして演奏するか否かによっても種類があるが、第5番ほど長く伸ばして演奏はされない。
推薦盤
- ハンス・クナッパーツブッシュ:フランクフルト放送交響楽団〔福島章恭〕*8
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調
概要
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調。「第九」の名称で広く知られているクラシック音楽の数ある中で傑作といえる作品である。
個人的に数ある交響曲の中で、ベートーヴェン交響曲第9番が最高傑作であると認識している。作曲当時、交響曲の中で合唱が組み込まれている作品は画期的であっただろう。このような音楽作品を「合唱交響曲」と称する。ちなみに、初めて「合唱交響曲」という用語を使用したエクトル・ベルリオーズだといわれている*10。
その後、合唱交響曲を作曲したものとして…
- メンデルスゾーン(第2番)
- マーラー(第2番・第3番・第4番・第8番)
- ラフマニノフ(鐘)*11
- ヴォーン・ウィリアムズ(海の交響曲、南極交響曲)
- スクリャービン(第1番)
- ブライアン(第1番)
- 黛敏郎(涅槃交響曲)
以上が挙げられよう。もちろん他にもたくさんある。合唱が伴うとオーケストラも大きくなり、合唱も組み込まれ非常にダイナミックで迫力のある音楽が期待される。そのため、合唱が伴う作品はそのような醍醐味があるため、その日のコンサートで合唱交響曲を扱うとなるとその日は非常に楽しみで満ち溢れている。
さて、この時期にベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調の記事を書いたとして、年末といえば第九だからである。実際に日本の各地のオーケストラがこの第九を演奏するのである。しかし、年末に第九を演奏するのは日本だけというのも驚きである。
そして、ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調の逸話として以下の逸話が残されている。
「参加者の証言によると、第九の初演はリハーサル不足(2回の完全なリハーサルしかなかった)であり、かなり不完全だったという示唆がある。ソプラノソロのゾンタークは18歳、アルトソロのウンガーは21歳という若さに加え、男声ソロ2名は初演直前に変更になってしまい(バリトンソロのザイペルトが譜面を受け取ったのは、初演3日前とされる)、ソロパートはかなりの不安を抱えたまま、初演を迎えている。さらに、総練習の回数が2回と少なく、管楽器のエキストラまで揃ったのが初演前日とスケジュール上ギリギリであったこと、演奏者にはアマチュアが多く加わっていたこと(長年の戦争でプロの演奏家は人手不足だった。例えば初演の企画段階でも「ウィーンにはコンサート・ピアニストが居ない」と語られている)、加えて合奏の脱落や崩壊を防ぐためピアノが参加して合奏をリードしていた。
一方で、初演は大成功を収めた。『テアター・ツァイトゥング』紙に「大衆は音楽の英雄を最高の敬意と同情をもって受け取り、彼の素晴らしく巨大な作品に最も熱心に耳を傾け、歓喜に満ちた拍手を送り、しばしばセクションの間、そしてセクションの最後には何度も繰り返した」という評論家の記載がある 。ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが正指揮者として、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がった。ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思い、演奏後も聴衆の方を向くことができず、また拍手も聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかった。見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、初めて拍手を見ることができた、という逸話がある。観衆が熱狂し、アンコールでは2度も第2楽章が演奏され、3度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話が残っている。」 (下線部筆者)
この逸話には少々否定的な見解も存在するが、耳の聴こえないベートーヴェンが聴衆の方を向いた時に拍手を見ることができた部分は実に感慨深いものがある。当時、交響曲等の作品の初演は作曲者による指揮で行うというものが慣例だった。
推薦盤
- ヴィルヘルム・フルトヴェングラー:バイロイト祝祭管弦楽団〔中野雄〕*15
- ヴィルヘルム・フルトヴェングラー:バイロイト祝祭管弦楽団【当方推薦盤】
なお、宇野功芳氏と中野雄氏が推薦している演奏はいわば偽物の演奏である。1951年のバイロイト音楽祭について以下の記事を参照されたい。
law-symphoniker.hatenablog.com
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ブラームス:交響曲第1番ハ短調
概要
span style="color: #673ab7">ブラームス:交響曲第1番ハ短調。ブラームスの交響曲の中でも最も有名な交響曲といえよう。
もっとも、第1楽章冒頭の迫力ある悲痛な叫びのような序奏は初めて聴いた時、雷に打たれたような衝撃が走ったことを強く記憶している。その時の演奏が、叔父の所有しているカラヤン@ベルリン・フィル(DG)の演奏だった。
第1楽章から非常に中身の濃い曲であり、ブラームス特有の濃厚さが詰まっている。
そして、第2楽章・第3楽章の流れるように落ち着いた美しさもブラームスの特徴のひとつといえよう。古典的な交響曲は、第3楽章にスケルツォを置くことが多いのだが、本曲は第2楽章に続いて第3楽章も緩徐楽章なのである。ある意味、新しい第3楽章ともいえよう。
なんと言っても、最終章である。長い序奏部のあとの、提示部第1主題は第4楽章のなかで最も重要な主題であり、印象深いものである。
第1楽章の暗さ→第4楽章の明るさというわかりやすい構造であるが…類似した構成の曲がブラームス交響曲第1番の前にすでに登場しているのである。それが、ベートーヴェン交響曲第5番である。ブラームスはベートーヴェンの影響を強く受けていることが推定されよう。
そして、ブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の作曲、発表に関して非常に慎重であった。通常は数か月から数年とされる作曲期間であるが、最初のこの交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した*16。
また、ハンス・フォン・ビューローは、この曲を「ベートーヴェンの交響曲第10番」とも評価した。近時、この評価の仕方について様々な意見が出てるところだが、ブラームスの交響曲の中も素晴らしい作品であることについては異論はなかろう。
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調
概要
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調。私の中でも、最も好きな交響曲の1つである。
さて、アントン・ブルックナーという作曲者をご存知だろうか。ブルックナーは、後期ロマン派音楽を代表する作曲家であり、リヒャルト・シュトラウス、グスタフ・マーラーと並んで、三大後期ロマン派音楽作曲家とも評されることもある。その中でも、交響曲第8番は、ブルックナーの中でも代表的な作品に挙げられており、録音CDも非常に多い。
さて、アントン・ブルックナーという作曲家は、どちらかというと苦労人であり、幾度となく落胆を繰り返した作曲家である。後述の通りであるが、この交響曲第8番も全面的に改訂され、普段聴くことのできるものは、第2稿の方であって全面的に改訂されているものが殆どである。さらに、この改訂においては、ロベルト・ハースとレオポルド・ノヴァークというブルックナー研究者が携わっており、よくCDの裏側に「〇〇版」と記載されているものが多い。実際何か違うのか?と言われると違う、のであるがそれは楽譜を見比べて初めて分かったり、指摘されて初めて分かるというものばかりであってそこまできにする必要はないかと思う。
もう一つ、ブルックナーの特徴を語ると、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを尊敬していたことが挙げられる。実際にベートーヴェンの全交響曲とブルックナーの全交響曲を対比してみよう。
ベートーヴェン | ブルックナー | |
交響曲第1番 | ハ長調 | ハ短調 |
交響曲第2番 | ニ長調 | ハ短調 |
交響曲第3番 | 変ホ長調 | ニ短調 |
交響曲第4番 | 変ロ長調 | 変ホ長調 |
交響曲第5番 | ハ短調 | 変ロ長調 |
交響曲第6番 | ヘ長調 | イ長調 |
交響曲第7番 | イ長調 | ホ長調 |
交響曲第8番 | ヘ長調 | ハ短調 |
交響曲第9番 | ニ短調 | ニ短調 |
同一の調は太文字にした。これほどベートーヴェンと同一の調を用いて作曲していることから、ブルックナーのベートーヴェンに対する尊敬さはここから窺われよう。
そして、このブルックナー交響曲第5番は、「筋金入りのブルックナー指揮者のみが近づくことの許された作品」と評されるほど難解な曲である。しかし、対位法が駆使された響きは、まさにパイプオルガンのようであり、第4楽章codaでは圧倒的な音楽的建造物を構築するのである。
よって、もっともブルックナーらしい交響曲といえよう。
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
概要
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調。私の中でも、最も好きな交響曲の1つである。演奏時間が80分(CD1枚分)を越えることもある長大な曲で、後期ロマン派音楽の代表作の一つに挙げられる。
おそらく、この交響曲第8番がブルックナーの中でも最も充実した内容を持つ交響曲ではないだろうか。宇野後功芳先生も同様の旨を述べている*24。「二連符+三連符」というブルックナー・リズムに加えて、悲痛な叫びを上げるような壮大な第1楽章。圧倒的ない美しさと迫力を兼ね備えた第3楽章。最後の「闇に対する光の完全な勝利」というほどの第4楽章coda。第1楽章アレグロ、第2楽章スケルツォ、第3楽章アダージョ…と、ベートーヴェン交響曲第9番の楽曲構成とほとんど同じであり、この点からも、ブルックナーはベートーヴェンを尊敬していたことが窺われよう。
「朝比奈隆のようなブルックナーを得意とする指揮者が「第八」を指揮する、という前日の晩は、遠足へ行くような前の小学生のように胸が弾む。もう嬉しくてたまらないのだ。」*25
私も同様である。2019年3月17日のエリアフ・インバル@東京都交響楽団のコンサートは本当に楽しみで、ワクワクしていた気持ちを思い出した。実際に、その時のコンサートは凄まじいものであり、全観客が全集中して聴いていた。サントリーホールが緊迫感に満ち溢れた空気であったことは今でも鮮明に覚えている。
www.youtube.com
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
概要
ブルックナーが交響曲第8番ハ短調を作成した直後の1887年8月12日にブルックナー:交響曲第9番ニ短調の構想の練り始めたが、すぐに第二次改定を実施する。そして、この曲は「第9番」「ニ短調」ということで、あのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを意識し、「彼はベートーヴェンの『交響曲第9番』と同じ「ニ短調」という調性を選んだことについて、人々の反応を気にしたものの断固とした決意を持った」とされている(Wikipediaより)。しかし、ベートーヴェン交響曲第9番は、決して模倣のモデルなどではなく、自身の特色を明確に示すための引き立て役でしかないとして、ブルックナーのオリジナリ性を強く強調する見解もある*30。その理由として、ベートーヴェンの場合は、属音の持続低音として、混沌から動機が想像され、主要主題が展開してゆく下地となっている一方で、ブルックナーは主調がすでに楽章冒頭で明確に提示されているからだという*31。
私見では、「ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調」で述べたが、ベートーヴェンとブルックナーの作品を対比すると、ベートーヴェンを全く意識していないというのは流石に無理ではないか。尤も、ブルックナーは交響曲第7番で初めて成功し、それにホ長調というベートーヴェンの交響曲の作品の中では扱われていない調で成功を収めたことからすると、ベートーヴェンから脱却し、交響曲第9番ニ短調においてもブルックナー自身のオリジナリ性が発揮されたと見ることも可能であろう。
さて、このブルックナー:交響曲第9番ニ短調は第3楽章までしかなく、いわば未完成作品である。しかし、第3楽章までとはいえ、その完成度は高く、第4楽章は蛇足にさえ思わせる内容である。
もっとも、ブルックナーが亡くなる直前まで交響曲第9番を作曲し続けたことから、第4楽章の楽譜は断片的に残っており、のちにブルックナーの研究者によって第4楽章が補筆し、完成されたものもある。「サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版(SPCM版)」というものであるが、非常に荘厳で美しいニ長調が印象的である。
推薦盤
- ギュンター・ヴァント:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〔宇野功芳〕*32
- カール・シューリヒト:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団〔福島章恭〕*33*34
- カール・シューリヒト:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団団【当方推薦盤】
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
概要
圧倒的なフィナーレで多くの人気を集めるマーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」。私がこの曲に出会ったのは、確か中学3年生の頃であり、叔父から教わったものだ。初めてフィナーレを聞いた時、あまりの大迫力と荘厳さに圧倒され、鳥肌が立ったことを強く覚えている。確かあの時の演奏は、ベルナルド・ハイティンク:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だった。
この曲は全てを聴き通すとなると、それなりの体力を要する。非常に重い第1楽章から始まり、第1楽章も20分程度あるので第1楽章からそれなりの覚悟が要求される。そして、第5楽章も35分とハイドンの交響曲1曲分の長さがあり、最後の最後に圧倒的なフィナーレを待ち受けているのである。全て聴き通した時の達成感は素晴らしいものだ。
そして、私はこの曲をマーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」実際に聴きに行ったのである。
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いざ実際に聴いてみるとあっという間だった。しかし、それ以上に充実した約80分であった。この時の感動・衝撃は今でも強く印象に残っている。そして、この作品についてはこの時のコンサートに発刊された「月刊都響」の岡田暁生先生の解説が記載されているので、詳しい解説内容はこちらを参照されたい。
推薦盤
- ヘルマン・シェルヘン:ウィーン国立歌劇場管弦楽団〔福島章恭〕*37
- ベルナルド・ハイティンク:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〔中野雄〕*38
- クラウス・テンシュテット:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団【当方推薦盤】
マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
概要
マーラー交響曲第5番嬰ハ短調を取り上げる。このマーラー交響曲第5番嬰ハ短調は、私にとって非常に思い入れのある作品であり、私が初めてマーラーの作品を聴いたのがこの作品である。叔父が所有していたCDを借りては聴いており、その時は、小澤征爾:ボストン交響楽団の演奏であったことを記憶している。
もっとも、その後に、レナード・バーンスタイン:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のCDも見つけ、聴いたところあっという間に後者の演奏に乗り移ってしまった(この演奏については、いつか記事に上げることにする)。
どこかでも述べた気がするが、私は小澤征爾の音楽が何が良いのかがわからない。何が人気なのかは全くわからないのである。しかし、一曲だけ小澤征爾の演奏で感動したものがあった。その中身については、また別のお話…。
さて、このマーラー交響曲第5番嬰ハ短調の魅力に取り憑かれたのは、第1楽章の暗く、大迫力の演奏と第5楽章の最終部の華やかで迫力ある演奏。これが一気にマーラーの世界に引き込まれたことを記憶している。そして、第3楽章の「ホルン協奏曲」とも呼ばれるほど、ホルンが活躍する場面も忘れてはいけない。
さらに、マーラー交響曲第5番にはアルマ・マーラーとの関係で以下のエピソードがある。面倒臭いのでWiki先生からそのまま貼り付ける。
- マーラーがアルマと出会ったのは、交響曲第5番の作曲中である。メンゲルベルク*39によると、第5番の第4楽章アダージェットはアルマへの愛の調べとして書かれたという。アルマがメンゲルベルクに宛てた書簡によると、マーラーは次の詩を残した。「Wie ich dich liebe, Du meine Sonne, ich kann mit Worten Dir's nicht sagen. Nur meine Sehnsucht kann ich Dir klagen und meine Liebe. (私がどれほどあなたを愛しているか、我が太陽よ、それは言葉では表せない。ただ我が願いと、そして愛を告げることができるだけだ。)」
- アルマの回想によれば、アルマは第5交響曲を初めて聞いた際、よい点を褒めつつも、フィナーレのコラールについて「聖歌風で退屈」と評した。マーラーが「ブルックナー*40も同じことをやっている。」と反論すると、アルマは「あなたとブルックナーは違うわ。」と答えた。マーラーはこのときカトリックに改宗し、その神秘性に過剰に惹かれていたとアルマは述べている。
- アルマはこの曲のパート譜の写譜を一部手伝っている。初演は1904年10月にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によってなされたが、アルマの回想によると同年はじめにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるリハーサルがなされたという。アルマはその様子を天井桟敷で聴いていた。アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。それを追って帰宅したマーラーに対しアルマは「あなたはあれを打楽器のためだけに書いたのね」と訴えると、マーラーはスコアを取り出し赤チョークで該当箇所の打楽器パートの多くを削除したという。
- マーラーは1905年から第5番の改訂に取りかかるが、これには、アルマの意見もとり入れられたという。
(下線部筆者)
2点ほど補足しよう。2つ目のエピソードであるが、後述するように、第5楽章において第1主題と第2主題が対位的に演奏される。対位法交響曲といえば、ブルックナーであり、実際にマーラーはブルックナーの講義に出席していた。しかし、本曲とブルックナーとは全く曲調が異なるのであり、ブルックナーのような荘厳さではなく、華やかさが全面的に出ている。したがって、類似性はあるものの、雰囲気は全く異なるのである。
もう一点は、3つ目のエピソードである。「アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。」とあるが、暗譜しており、なおかつ、ある箇所が改変されていることがわかるとはよほどこの曲について知っていたことが窺える。私じゃ無理。振り返れば補足というような補足じゃなかったなぁ…。
マーラー:交響曲第9番ニ長調
概要
マーラー:交響曲第9番ニ長調。グスタフ・マーラーは10個の交響曲を作成しており、順番に見ていくと、第1番・第2番…第8番・大地の歌・第9番となっている。なぜ、「大地の歌」は交響曲第9番と名付けられなかったのか、それは「第九の呪い(ジンクス)」に由来する。「第九の呪い(ジンクス)」とは、文字通り、交響曲第9番を作曲すると死ぬ、というものだ。実際に、ベートーヴェン、シューベルト*44、ドヴォルザーク*45、ブルックナー、ヴォーン・ウィリアムズなど主要な作曲家ばかりである。そして、グスタフ・マーラーもそのうちの1人であり、「死」から恐れたために、交響曲第9番と名付けず、「大地の歌」としたのが通説的である。
しかし、「大地の歌」を作曲した後に、交響曲第9番を作曲し、50歳という若さで亡くなってしまった。「第九のジンクス」は成立してしまったのである。
実際に、この交響曲第9番は第1楽章と第4楽章が、マーラーが思う「死」というものを表現しており、特に第1楽章冒頭の不規則な動機はマーラーが患っていた心臓病の不整脈だと解するものも見受けられる*46。特に第1楽章は、金管楽器や打楽器が粟粒を生じさせるような恐怖で聴く者の肺腑を貫くようであり、マーラーは死を恐れ、のた打ち回り、悶え苦しんでいるものだ*47。
しかし、第2楽章は弾むようなレントラー、第3楽章の中間部は美しいトランペットの回想主題が盛り込まれ、全ての楽章で聴きどころがある素晴らしい作品である。そして、第4楽章は重厚な弦楽器が鳴り響くアダージョ。特に、最後の34小節は、コントラバスを除く弦楽器だけで演奏される。回音音型を繰り返しながら浮遊感を湛えつつ、「死に絶えるように(ersterbend)」で曲を閉じる。こうして、マーラーは静かに息を引き取った。
この点について、第4楽章はオーケストレーションが薄く、のちに改訂されると予想されたものがあるが、これはこれで良いのだろう。
そして、このマーラー交響曲第9番は「最高傑作」と評されることもあり、私もその評価を支持する。
*1:宇野功芳『クラシックの名曲・名盤』(講談社、1989年)25頁
*2:宇野功芳『クラシック音楽の名曲・名盤』(講談社現代新書、1989年)25頁
*3:宇野功芳ほか『クラシックCDの名盤』(文春新書、1999年)101頁〔宇野〕
*4:前掲注3・101頁〔福島〕
*5:前掲注3・101頁〔中野〕
*6:前掲注2・28頁
*7:前掲注3・107頁〔宇野〕
*8:前掲注3・106頁〔福島〕
*9:前掲注3・108頁〔中野〕尚、本誌はEMIレーベルのもの。
*12:前掲注2・40頁
*13:前掲注3・117頁〔宇野〕
*14:前掲注3・106頁〔福島〕
*15:前掲注3・116頁〔中野〕
*16:交響曲第1番 (ブラームス) - Wikipedia
*17:前掲注2・50頁
*18:前掲注3・239頁〔宇野〕
*19:前掲注3・239頁〔福島〕
*20:前掲注3・116頁〔中野〕
*21:前掲注3・224頁〔宇野〕
*22:前掲注3・239頁〔福島〕
*23:前掲注3・116頁〔中野〕
*24:宇野・前掲51頁
*25:宇野・前掲52頁
*26:前掲注3・220頁〔宇野〕
*27:前掲注2・52頁
*28:前掲注3・228頁〔福島〕
*29:前掲注3・230頁〔中野〕
*30:ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン(髙松佑介訳)『ブルックナー交響曲』(春秋社、2018年)178頁
*31:前掲注30・178頁
*32:前掲注3・233頁〔宇野〕
*33:前掲注2・55頁
*34:前掲注3・232頁〔福島〕
*35:前掲注3・233頁〔中野〕
*36:前掲注3・293頁〔宇野〕
*37:前掲注3・292頁〔福島〕
*38:前掲注3・293頁〔中野〕
*39:ウィレム・メンゲルべクル[1871年3月28日 - 1951年3月22日]。オランダの指揮者。フランツ・ヴュルナーの弟子であるため、ベートーヴェン直系の曾孫弟子にあたり、ベートーヴェン解釈には一目を置かれた。過去に、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者[1895-1945]、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督[1922-1930 ]、ロンドン交響楽団首席指揮者[1930-1931]を務めた。
*40:アントン・ブルックナー[1824年9月4日 - 1896年10月11日]。オーストリアの作曲家、オルガニスト。交響曲と宗教音楽の大家として知られる。当ブログでも何度か登場し、私が好きな作曲家でもある。
*41:前掲注3・296頁〔宇野〕
*42:前掲注3・292頁〔福島〕
*43:前掲注3・297頁〔中野〕
*44:現在「ザ・グレイト」は「交響曲第8番」とし、未完成交響曲は「交響曲第7番」とされているが、ここでは「ザ・グレイト」を交響曲第9番、未完成交響曲は「交響曲第8番」として扱う。詳細については、 フランツ・シューベルト - Wikipedia の「3 作品演奏の諸問題」を参照されたい。
*45:交響曲第9番「新世界より」は、当時交響曲第5番として出版された。初めの4曲は生前には出版されなかったため番号が振られなかったためである。
*47:宇野・前掲68頁
*48:前掲注3・301頁〔宇野〕
*49:前掲注3・300頁〔福島〕
*50:前掲注3・301頁〔中野〕
*51:前掲注2・69頁