はじめに
病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞こえてくる。
「恋に深く絶望しアヘンを吸った、豊かな想像力を備えたある芸術家」の物語を音楽で表現した。
物語性のある作品であるベルリオーズの幻想交響曲を本日取り上げたい。
まず、なぜこの作品について記そうと思ったのか。それは、2021年9月25日の東京交響楽団定期演奏会にてこの作品を扱うことになり、私がその日のコンサートに行くからという理由である。
もっとも、9月25日は私の誕生日であり、自分への誕生日プレゼントとして聴きに行くのである。
一時期、よく幻想交響曲を聴いていたのだがここ最近全く聴いておらず、挙句の果てに「もう聴かないからいいかな…?」と思って所持していたCDを売りに出すという結末であった。そして、自分の誕生日に本曲を扱うことになり、寝ないように予習の意味を込めて先日CDを購入したのである。
さて、ベルリオーズの幻想交響曲であるが、ベルリオーズを代表する作品のみならず、初期ロマン派音楽を代表する作品である。あくまでも素人的私見であるが、古典派とロマン派の大きな違いは以下のようにあるのではないかと思っている。
古典派 | ロマン派 |
楽器編成が小さい | 楽器編成が大きい |
楽曲構成が形式的 | 楽曲構成が形式的ながらも物語性がある |
演奏時間が短い | 演奏時間が長い |
ロマン派音楽も初期ロマン派〜後期ロマン派があるが、後期になるにつれて60分を超えるのが当然のような作品が非常に多い。なかでも、マーラー交響曲第3番第1楽章だけでも30分以上あり、ハイドンの交響曲1曲分の長さのものもある。それだけ、楽曲編成も大きくなるにつれ、複雑で主題も多く取り入れられたりするからだろう。
ベルリオーズの幻想交響曲も初期ロマン派音楽だが、特筆すべき点がある。それが、ハープである。「少なくとも4台必要である」。少なくとも4台!?通常のハープは大体2台くらいで演奏される。4台とは凄い。
実際、ハープが主となる部分は第2楽章序奏部である。
様々な箇所に革新的な部分を取り込んだ幻想交響曲、後期ロマン派音楽に大きな影響を与えたと評価されるのも当然といえよう。
ベルリオーズ:幻想交響曲
シャルル・ミュンシュ:パリ管弦楽団
評価:10 演奏時間:約45分【当方推薦盤】
今回取り上げる演奏は、上記の演奏。
シャルル・ミュンシュという指揮者については、こちらの記事を参照されたい(とても簡略的で申し訳ない…)。
law-symphoniker.hatenablog.com
フランス出身の指揮者、フランスのオーケストラが、フランス出身の作曲家をした演奏の中身はいかに…、
第1楽章:「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)
彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み。
木管楽器が静かに幻想交響曲の幕を開ける。やがて、少々悲しげな弦楽器が序奏部を奏でていく。張りのある音色、繊細な音色を響かせている。それにしても、全体の盛り上がりがとてつもなく、フルトヴェングラーの独特のクレッシェンドを想起させるほどである。そして、哀愁漂う序奏部もテンポを揺らしながら抑揚ある演奏をしている。
主部(ソナタ部分)に入り、大きな音色の箇所はテンポをあげて非常に元気よく進められている。特にコーダの盛り上がる部分は弦楽器の弓が擦り切れそうな勢いであり、ミュンシュの凄さがこれでもかと伝わってくる。そして、嵐がさったような穏やかさで第1楽章を終える。
第2楽章:「舞踏会」 (Un bal)
とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う。
私が最も好きな第2楽章。ウィンナ・ワルツとは少々異なった雰囲気の華やかさはまさに「舞踏会」といえよう。
冒頭、徐々に込み上げてくるような序奏部分。序奏部分が頂点に達したところで主部に入るのだが、あまりの力みっぷりに思わず笑ってしまった。
購入時、真っ先に第2楽章を聴きたくて一番最初に聴いたのだが、当該箇所を聴いた瞬間に「ミュンシュって凄い力強く指揮する指揮者だな…。」と思った。強ちのその印象は間違っていなかったようだ…。
録音の影響か、ミュンシュの指示なのか不明だが、かなりシャープな弦楽器の響きをしている。しかし、鋭い音色をしながらも穏やかに流れるように奏でるワルツは、華やかさを十分に引き出している。
もっとも好きな箇所は、チェロも主部を奏でる低く重厚感あふれる中間部であるが、大変濃厚で重厚感ある主部に感動した。
この演奏は、コルネットはなし。コルネットが入っている演奏の方が珍しい気がするが…。
【ちょっとひとこと】
少々補足的なことを記したい。私は小学校時代の管楽器クラブに在籍していた頃、コルネットを吹いていたので、コルネットありだとちょっと嬉しい。トランペットより、柔らかい音色を奏でるため、華やかなワルツに見事に溶け込む。
最終部はテンポを早めていき、特に締め括りは相当テンポをあげて演奏されており、弦楽器の指はどうなっているのやら…。悪魔的なミュンシュの指揮によく応えたというべきであろう。
第3楽章:「野の風景」 (Scène aux champs)
ある夏の夕べ、田園地帯で、彼は2人の羊飼いが「ランツ・デ・ヴァッシュ」(Ranz des vaches)を吹き交わしているのを聞く。牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由[主題]がすべて合わさり、彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。もう1人は、もはや答えない。日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……。
コーラングレ(イングリッシュホルン)と舞台裏のオーボエによって演奏される。あまり幻想交響曲は聴いたことがないのだが、もう一枚の演奏に比べるとかなり早いテンポで演奏されている(この点についてはまた別のお話)。そして、第1楽章同様に張りのある音色、繊細な弦楽器が響き渡る。やはり、中間部に入るとテンポを大きく揺らし、抑揚の差が激しい。
終盤の4個のティンパニも非常に重々しく轟いており、遠くの雷鳴を奏し、静かに終わる。
第4楽章:「断頭台への行進」 (Marche au supplice)
彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる。
第3楽章終盤のティンパニの雰囲気をそのまま承継するように第4楽章へ突入。冒頭部のティンパニのトリルが急に大きくなるものだがら少々吃驚。
やはり、ミュンシュらしく通常より早いテンポで演奏されており、どんどん場面が進んでいく。そして、堂々とした金管楽器がなり響いており、まさに壮観な演奏であるが、恐ろしいほどバストロンボーンの低い音色が聞こえてくる点に驚きだ。しかし…随所に「ウェーイ!」と叫ぶ声が聴こえるが、ミュンシュの声である。ミュンシュの気迫の凄さはここにも現れているのか!!
終盤も相当のテンポを上げており、最後は堂々たるフィナーレで締める。
第5楽章:「魔女の夜宴の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)
彼はサバト(魔女の饗宴)に自分を見出す。彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。愛する旋律が再び現われる。しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声…… 彼女が悪魔の大饗宴に加わる…… 弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。サバトのロンド。サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに。
さまざまな表情が繰り出される第5楽章冒頭。ミュンシュ特有のテンポの揺らしが物語の場面を明確に表現してる。まさしく、「奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。」
やがて、鐘が鳴り、グレゴリオ聖歌『怒りの日』(Dies Irae)がファゴットとオフィクレイドで奏される。その後の弦楽器によるロンドが実に激しい。
弦楽器が弦や弓が擦り切れてしまうような気迫、そしてそれをかき消してしまう勢いのティンパニと金管楽器が相乗効果を生み、言葉で説明するには困難な程度の盛り上がりを見せる。この場にいたらどうなっていたんだろうか…。
特に終わりに向けてより一層激しさを増し、暴力的・悪魔的なテンポに基づく激しい金管楽器の音色、唸りをあげる弦楽器が鳴り響いており、最後の最後の怒涛のテンポアップが最終部の盛り上げに一気に引き込む!!ここまで激しい演奏を繰り広げたにも関わらず、金管楽器を殺しにかかるような長いフェルマータを持って終結する。
なお、音楽評論家の平林直哉氏は以下のようなコメントを残している。
【平林直哉氏のコメント】
これは人間の演奏ではない。神と悪魔が手を組んだ饗宴である。
大爆発、驚天動地、未曾有、空前絶後、千載一遇-こうした言葉をいくつ並べてもこの 演奏の凄さを言い表すのに十分ではない。
トリカブトの百万倍の猛毒を持った極めて危険なライヴ録音。(盤鬼)
これは納得のコメントである。
総括
実はこのCDを購入したきっかけは、上記にある通り、2021年9月25日の東京交響楽団定期演奏会にてこの作品を扱うことになり、私がその日のコンサートに行くからという理由である。久しく聴いていないものだから、予習用にと購入したものである。
しかし、とても予習用には適さない演奏である笑。とても、これ以上激しい幻想交響曲はそうそう無いだろうと思われる。
もっとも、ロジェストヴェンスキー指揮:レニングラード・フィルの演奏も極めてハイテンションであるとの評価があるが、これと比べてどうだろうか…。あくまで予想だが、この演奏以上の迫力・テンションはロジェストヴェンスキーでさえも覚束無いのでは無いだろうか。
さて、9月25日の幻想交響曲はどうなるだろうか。ミュンシュのような演奏を期待してはいけない。東京交響楽団は非常に美しく、素晴らしいオーケストラであると認識しているから、美しい幻想交響曲を演奏してくれることを期待しよう。
9月25日のコンサートについてはまた後日に記すことにするので、お楽しみにしてください。