鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

ブラームス:交響曲第4番ホ短調を聴く(その1)

Johannes Brahms [1833-1897]

Introduction

 今回は、ブラームス交響曲第4番ホ短調交響曲第3番完成の翌年1884年から1885年にかけてヨハネス・ブラームスが作曲した最後の交響曲である。第2楽章でフリギア旋法を用い、終楽章にはバロック時代の変奏曲形式であるシャコンヌを用いるなど、擬古的な手法を多用している。壮大な交響曲第1番とは対照的に全体的に暗めな印象がある。
 ブラームスは4つ交響曲を作曲しているが、それぞれ特徴を兼ね備えているイメージがある。
 交響曲第1番:壮大
 交響曲第2番:穏やかな田園
 交響曲第3番:壮麗な美しさ
 交響曲第4番:懐古的暗さ

 というイメージがあるが皆さんはどうでしょうか。あまりブラーム交響曲第4番は聴かないのだが、ブラームス特有の哀愁漂う雰囲気が盛り込んだ交響曲第4番は魅力だろう。
 ちなみに、ブラームス自身は「自作で一番好きな曲」「最高傑作」と述べている。私は交響曲第1番が最高傑作であると思っているが…。

ブラームス交響曲第4番ホ短調

ヘルベルト・ブロムシュテットライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

評価:8 演奏時間:約41分


 今回取り上げる演奏は、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏である。
 ドイツ系作曲家を得意とするブロムシュテットであるが、そのブロムシュテットが奏でるブラームスはどのような印象になるのだろうか。時には重厚な弦楽器の作風であるブラームスシャープで鮮明な音色を特徴とするブロムシュテットの演奏は如何なるものか。

第1楽章:Allegro Non Troppo

 極めて美しい弦楽器が第1楽章第1主題を奏でる。クレッシェンドやデクレッシェンドの動きをつけた第1主題は何かを語りかけるようだブロムシュテットのメッセージは一体なんだろう。流れるような美しい弦楽器に彩られた第1主題は御見事。重厚な木管楽器でタンゴのリズムのような第2主題であるが、流れるような主旋律に加えて、キレのある木管楽器が合わさり、快速的テンポで非常に格好良い。一気に引き込まれる。
 提示部繰返しなし。展開部に入ると第1主題の冒頭が聴こえるが転調を繰り返すため、提示部の繰り返しはない。随所に見られるホルンの雄大な響きが目立つ。提示部第1主題の美しさとは異なり、やや緊張感のある展開部であるがブロムシュテットのシャープな指揮が鋭い音色を引き出し緊張感を際立てている
 再現部もまた、提示部と同じように美しい第1主題とともに緊迫感のある疾走感が駆け巡る
 コーダは第1主題をメインに強烈で切迫した雰囲気を醸し出し、燃え盛るような勢いである。そして、悲劇的に締め括る。

第2楽章:Andante Moderato

 ホルン、そして木管が鐘の音を模したような動機を吹く。これがフリギア旋法」である。その後何度も繰り返される。熱烈とした第1楽章コーダに対して、非常に落ち着いた第2楽章は、第1楽章の熱さを鎮める効果をもたらすようだ。木管楽器→ホルンなどとフリギア旋法を美しく奏でていき、やがてヴァイオリンの非常に美しい第1主題が登場するベートーヴェンを大変尊敬したブラームスであるが、交響曲の構成もベートーヴェンに倣っているが、曲の雰囲気や音色の厚さの違いからブラームスの個性が溢れ出ているように思える。その後のチェロが奏でる第2主題も清澄な水流のように美しく流れ奏でていく。展開部を欠くソナタ形式である。
 後半部になると崇高で美しいヴァイオリンが唸り、非常に壮大な美しさを繰り広げる。

第3楽章:Allegro Giocoso

 非常に元気の良い第3楽章。きっとブロムシュテットも楽しそうに指揮をしているに違いないだろう。生き生きとした第1主題はブロムシュテットの指揮する姿が目に浮かぶ。そして、第3楽章にはトライアングルが使用される。よく聴いてみよう。第2主題は穏やかで伸びやかな音色ながらも、ブロムシュテット特有のシャープな響きをしている。
 ちょっとした息抜きとなる展開部。ホルンが控えめながらも牧歌的で流れるような主題を奏でる。
 再び激しい再現部を経て、ティンパニも加わって非常に堂々としたコーダを経て第3楽章締め括る。

第4楽章:Allegro Energico E Passionato

シャコンヌという一種の変奏曲の構成で作られた第4楽章。やや激しい音量で始めるものあれば、やや落ち着いた演奏で始めるものもある第4楽章。ブロムシュテットは後者である
 力強く重厚な弦楽器はブラームスを特徴する音楽といえよう。ブロムシュテットにかかると、美しい弦楽器の音色を響かせながらも、ブラームスの重厚な響きを併せ持った演奏を繰り広げていく。終始、緊迫感のある第4楽章であるが、ブロムシュテットだと非常に聴きやすい。緊迫感もあるも美しさもある。第12変奏におけるフルート・ソロも非常に趣のある音色であり、聴きどころの一つといえよう。その後は休符が目立つ箇所になるのだが、非常に繊細な音楽である。
 再びシャコンヌ主題が聴こえるとその後激しさを増していく。コーダに入ると第1楽章コーダのような熱狂さが再び登場し、非常に熱い演奏で締め括る
 ブロムシュテットは、シャープな演奏をするため、どちらかというとサッパリした印象を与えるが、そのような演奏によるブラームスもまた至高の音楽といえるだろう。

Brahms: Symphony No 4

Brahms: Symphony No 4

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ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)

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Herbert Blomstedt [1927-]

ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)

 1927年7月11日アメリカ合衆国マサチューセッツ州 スプリングフィールドで生まれる。
 
 今回紹介する指揮者は、ヘルベルト・ブロムシュテット現在世界最高齢元気指揮者*1である。
 ブロムシュテットは、日本でもお馴染みの巨匠指揮者の1人でもある。94歳と御高齢ながら、ブロムシュテットが奏でる音楽は実に若々しい。そして、快速的テンポでシャープな弦楽器が印象的であり、切れ味鋭い指揮という印象がある。決して80代、90代のような演奏とは思えないほどの活発さ、元気よさがブロムシュテットの魅力だろう。
 ブロムシュテットのレパートリーは、ベートーヴェンブラームスブルックナーシューベルトなどの独墺系作品をレパートリーの中心とし、大規模な合唱曲にも手腕を発揮する。また、自らが北欧出身ということもあり、シベリウス、ニールセン、ステンハンマルなどの北欧系レパートリーも取り上げている。
 聴くだけでももちろん素晴らしい演奏なのだが、ブロムシュテットは動画で見るのもこれまた楽しい。常に笑顔で楽しそうに指揮をするのである「本当に音楽が好きなんだな」といつも思う。
 現在ブロムシュテットは指揮棒を持たないが、一昔前は指揮棒を持って指揮をしていた。上述したように、笑顔で指揮することが多いが、時には大変厳しい表情で指揮をすることもある。

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(このブロムシュテットは格好良い)
 そして、近日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ブルックナー交響曲第4番を演奏した。その時の演奏があるのだが、第4楽章CODAの場面において、最後の音後、約20秒間非常に厳しい表情をする。その時のブロムシュテットの心境を伺いたいものだ。
 迫力ある第4楽章CODAであり、その場面で鳥肌が立つことはよくあるのだが、曲が終わった後にこれほど鳥肌が立つ演奏・映像はないだろう。

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主なオーケストラの首席指揮者等の在籍

首席指揮者

桂冠名誉指揮者

*1:2021年10月1日

ブラームス:交響曲第2番ニ長調を聴く(その1)

Johannes Brahms [1833-1897]

Introduction

 秋になるとブラームスが聴きたくなる今日この頃。今回取り上げるのは、ブラームス交響曲第2番ニ長調
 さて、ヨハネス・ブラームスという作曲家はご存知だろうか。音楽室に飾られている一人かもしれない。ブラームスは大層ベートーヴェンを尊敬していたとされ、交響曲第1番は推敲を重ねて約20年かけて作曲したとされている。荘厳で厳格なベートーヴェンの偉大さを詰め込んだ第1番とは対照的に、穏やかで華やかさがあるのが交響曲第2番である
 第1楽章と第4楽章が共にニ長調であり、すべての楽章が「長調」で作られた第2番はブラームス交響曲の中でも最も明るく、穏やかで華やかな曲ではないだろうか。そのような観点、雰囲気からベートーヴェンの田園交響曲(第6番)にちなんで、ブラームスの田園交響曲とも評されることもある。

ブラームス交響曲第2番ニ長調

ギュンター・ヴァント:ハンブルク北ドイツ放送交響楽団NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団

評価:8 演奏時間:約41分


 今回取り上げる演奏は、ギュンター・ヴァント:ハンブルク北ドイツ放送交響楽団NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の演奏である。
 ブラームス指揮者といえば…カラヤンベームジュリーニusw...。しかし、今回はブルックナー指揮者で著名なギュンター・ヴァントである。ヴァントの総論的な演奏については以下の記事を参照されたい。
law-symphoniker.hatenablog.com
 ヴァントのブラームスを聴いてみたくて、一気にブラームス交響曲全集を購入したのだ。蓋を開けると、期待通り、ヴァントらしい素晴らしい演奏が入っていた。

第1楽章:Allegro Non Troppo

 体に響いてくる低弦楽器に加え、牧歌的で美しいホルンが第1主題を奏でる。静かな第1主題であるが、ヴァイオリンや木管楽器が基本動機に基づく明るい旋律を歌う経過句は非常に煌びやかとしており、盛り上がってくるとヴァントらしい力強い迫力が存在する。やがて、チェロの第2主題が流れるように奏でていく。この第2主題は、ブラームスの子守歌」として親しまれている子守歌 op.49-4を嬰ヘ短調にしたものを基礎としている。第2主題を支えるヴァイオリンの音色も美しく、木管楽器が奏でる第2主題も非常に繊細で美しい。流れるような箇所は美しく、歯切れ良いリズムの箇所は力強くとメリハリのついた演奏はブラームスの特色を十分に引き出す演奏だといえよう。
 提示部繰り返しなし。ホルンの第1主題が聴こえたらそこから展開部。2管編成ながら対位法が駆使される展開部であるが、ブルックナー指揮者として著名なヴァントが指揮すると実に明瞭に指揮をする。動静が激しい展開部であるが、ヴァントは上記のように見事にメリハリがついた演奏であり、繊細なヴァイオリン、力強い金管楽器を見事に操る。オーボエが静かに第1主題を出すと気分は落ち着き,再現部へ。
 再現部は提示部ほど激しい場面は少ないが、穏やかで繊細な演奏がなされている。特に第2主題はあらゆる楽器が落ち着いて演奏されており、木管楽器や弦楽器の繊細な響きが美しい
 コーダはテンポを落とし、非常に繊細で美しい弦楽器が奏でらておりつい体が揺れてしまうブラームスらしい美しさを残して第1楽章を締める。

第2楽章:Adagio Non Troppo

 チェロの少々もの寂しい第1主題から始まる。第1楽章とはこれはまた雰囲気がガラッと変わったような繊細な響きであるブラームスはチェロの場面が多く、しかも美しいものが非常に多い。これもブラームスの特徴の一つと言えようか。ブラームス自身「自分の生涯でいちばん美しい旋律」と語ったと言われるものでもある。繰り返すが、弦楽器が非常に美しい。第2主題は木管楽器シンコペーションは何だろう。ベートーヴェン交響曲第6番と対比するのであれば、鳥の鳴き声になるのだろうか。それにしても弦楽器が唸る美しさには圧倒される。第2楽章の目玉は最終部。金管楽器の力強い導入によって、弦楽器が連符に乗せて唸る唸る、引き締まった演奏をするヴァントにかかると物凄い迫力である。その後の静かな場面でも弦楽器が引き締まった音色である。

第3楽章:Allegretto Grazioso

 オーボエの軽やかな主題が印象的。第3楽章は短めでスケルツォ風の曲であるから、まさに伝統的な交響曲の構成といえよう。やがてテンポを早めて、弦楽器が力強く主題を奏でる。
 中間部になると、弦楽器の流れるような主題でありながらも重厚感満載のブラームス特有の弦楽器が印象的

第4楽章:Allegro Con Spirito

 もごもごと細かい音が動くような第1主題から始まるが、金管楽器が加わると快速的テンポで実に賑やかである。聴いていて心地よいテンポである。何よりも、厚みのあるヴァイオリンとヴィオラの第2主題が非常に美しく、流れるようで大変素晴らしい。しっかりとトレモロも聴こえてくる。随所に見られるホルンの下降音階も雄大な響きをしている。
 冒頭の第1主題が聴こえたら展開部。再現部かと思うがそうではない。フルートやオーボエといった木管楽器が軽やかに奏でながらも、随所断片的に弦楽器の力強い旋律がある。引き締まった演奏を繰り広げるヴァントにかかると、動静の差が大きく聴いていて楽しい。静かに木管楽器とヴァイオリンが聴こえるといよいよ再現部。
 再現部の第1主題は弦楽器の音程差が激しく、高音時の繊細な響きと低音時の重厚な響きが一挙に楽しめ。その後、すぐに第2主題に入るのだが、非常に重厚な響きであって力強さが満載である
 いよいよ、コーダに入ると力強さを増してトロンボーンの高音をはじめ、金管楽器が華やかに活躍し、堂々と力強く締め括る
 あらゆる楽器が様々な表情を見せる大変充実した演奏である。

ギュンター・ヴァント(Günter Wand)

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Günter Wand [1912-2001]

ギュンター・ヴァント(Günter Wand)

 1912年2月4日ドイツ帝国 エルバーフェルトで生まれる。
 2001年2月14日ドイツ連邦共和国にて亡くなる。
 
 今回紹介する指揮者は、ギュンター・ヴァントハイドンモーツァルトベートーヴェンシューベルトブラームスブルックナーといったドイツ音楽を得意とする指揮者である。
 もっとも、ヴァント=ブルックナー指揮者というイメージが強い指揮者でもある。実際に、ヴァントはブルックナーを特別なレパートリーとしており、録音数も極めて多い。そして、ヴァントの音楽は極めて正統派であって厳格な雰囲気を醸し出す。そのような音楽スタイルと、厳格な対位法で作曲されたブルックナーの作品とは相性が良いのだろう。私はバーンスタインのような弾けるような音楽よりも、ベームのような厳格な雰囲気の指揮者の方が好きなので、ヴァントの演奏ももちろん好きである。
 晩年になると、ヴァントは様々な世界的オーケストラに登壇し、ブルックナーの演奏を残した。例えばベルリン・フィルミュンヘン・フィルがある。特にヴァントとミュンヘン・フィルのブルックナーは至高の作品であると思っており、機会があればその演奏について記しておきたい。
 なお、ヴァントの大きな特徴はテンポにある。多くの指揮者は晩年になるにつれ、テンポが遅くなっていく傾向にあるヘルベルト・フォン・カラヤンカール・ベーム、セルジュ・チェリビダッケオットー・クレンペラーも晩年になると遅くなる傾向にある。しかし、ヴァントは晩年になってもテンポは変わらない。ヴァントの中で正確なテンポがあるようだ。そして、金管楽器も迫力ある音量で鳴らす。カラヤンとはこれはまた違う。とにかく「厳しい」のだ。私が学部時代の哲学の先生が「ヴァントの演奏はもちろん素晴らしいが、長くは聴けない」と仰っていた。確かにヴァントのブルックナー(特に第8番)を聴き通すのはちょっと骨が折れる。
 しかし、ヴァントのブルックナーは他の指揮者とは違う独特の素晴らしい世界観が広がるため、非常にお気に入りの指揮者である。
 ヴァントは数回NHK交響楽団と共演をしており、現にその演奏が残されている。また、北ドイツ放送交響楽団(現:NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)と来日しており、ブルックナー交響曲第8番を演奏している。

主なオーケストラの首席指揮者等の在籍

【東響】第693回 定期演奏会 in サントリーホール

Introduction

 2019年12月24日以来のコンサート。そして、2021年9月25日は私の23回目の誕生日
 実は、毎年自分の誕生日に首都圏のどこかでコンサートが行われていると、自分自身への誕生日ということで足を運んでいることにしている。
 もっとも、大学1年当時(上京した年)は11月15日に初めてコンサートに行ったので、大学2年以降は以下のコンサートに行った。詳細な内容については後日時間があったら公開しようと思っている。

(2018年9月25日(大学2年20歳))
 20歳の誕生日は、サー・サイモン・ラトルロンドン交響楽団の来日公演だった。プログラムは、マーラー交響曲第9番ニ長調。世界的マーラー指揮者であるサー・サイモン・ラトルによるマーラー交響曲第9番は一生の記憶に残るコンサートとなった。
 ロンドン交響楽団の高貴な音色が響き渡るサントリーホールは一気に空気を変えた。その感覚は今でも忘れることはない。
 ブルックナー交響曲第8番のDVDのライナー・ノーツにラトルのサインをいただいたことは、何事にも変えられない素晴らしい誕生日プレゼントとなった。

(2019年9月25日(大学3年21歳))
 初めてN響。オール北欧作曲家という少々独特のプログラム。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席フルート奏者、エマニュエル・パユ先生のフルートは別格なほど美しく響いていた。
 なお、ニールセン:フルート協奏曲のリハーサルのさい、以下の会話があった。

 パーヴォ・ヤルヴィ「テューニングは行うかい?」
 エマニュエル・パユ「いや、その必要はない。始めよう。」
 パーヴォ・ヤルヴィ「流石、超一流だな。」

 これぞ一流というのだろう。某ミュンヘン・フィル首席指揮者が読響に客演した際、テューニングだけでも数十分要したとは大違いだ(一流指揮者であることは否定しない)。
 大学4年(2020年9月25日(大学4年22歳))の時は、沼尻竜典先生の大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴きに行こうかと思っていたが、当時新型コロナウイルスに対して戦々恐々としていた時期もあって断念した。
 そして、2年ぶりの自分への誕生日プレゼントとしてのコンサート、そして、約1年半ぶりの生音のコンサートとなった。
 調べたところ、東京交響楽団の第693回定期演奏会が行われるというので思い切っていくことにした。1番の目的は、ベルリオーズ幻想交響曲である。
 ベルリオーズ幻想交響曲については、こちらの記事の「はじめに」を参照されたい。
law-symphoniker.hatenablog.com

 実際に幻想交響曲は2回ほど聴きに行ったことがある。1回目は以下のコンサート。

 2018年3月26日のエリアフ・インバル指揮・東京都交響楽団の演奏であった。インバルらしく、堂々とした幻想交響曲であったと記憶しているが、スダーンによる幻想交響曲はどうなるだろうか…。
 東京交響楽団は過去に2回聴いたが、2回とも感極まって涙を流したオーケストラである。卒業式等で泣くことはなく、決して涙脆い法ではないのだが…。
 そのようなオーケストラと東京交響楽団桂冠指揮者ユベール・スダーンによる幻想交響曲はいかに!?

本日のプログラム


フランク:交響詩「プシュケ」より第4曲“プシュケとエロス”

 冒頭弦楽器の美しい導入がある。早速東京交響楽団の極めて美しく透き通るような弦楽器が鳴り響く。それに問いかけるように木管楽器が優しく奏でる。何よりも冒頭のチェロが極めて甘美な音色であって開始早々すでに涙を流した。スダーンは椅子に腰掛けていたが、腕を大きく動かして非常にダイナミックに指揮をしていた。ベルリン・フィルよりもはるかに美しい、そんな弦楽器の響きだった
 弦楽器の崇高な主題も美しく壮大に唸りまくる!桂冠指揮者ユベール・スダーンの凄さを十分に感じた。これだけ素晴らしい音楽を一番最初に演奏して良いのか?ベルリオーズ幻想交響曲を控えているにもかかわらず、これだけ美しい音楽を奏でられるともう十分に満足。フィナーレで涙を流すことはあったが、一番最初の曲で涙を流したのはこの演奏が初めてだった。記憶を喚起しながら以下の演奏を聴いていたのだが、ジュリーニベルリン・フィルよりもはるかに弦楽器が透き通っており、まさに美しい大海原を表現しているようだった。
 私の中でフランクの作品は交響的変奏曲しか知らなかったのだが、こんな美しい曲があったのか…。多忙で本曲を予習しなかったので、寝ないか不安だったが、眠気なんて一切なく、本当に美しい曲に酔いしれていた。
 サントリーホールは一気にスダーンと東響の世界に包まれてしまった。そして、多くの聴衆の方々はその世界に飲み込まれてしまったのに違いなかろう。

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ショーソン:愛と海の詩

 アリス・クートの代役で加納悦子さんがメゾ・ソプラノに。
 愛と海の詩は水の花」「間奏部」「愛の死」の3部構成。
 水の花

L'air est plein d'une odeur exquise de lilas,
Qui, fleurissant du haut des murs jusques en bas,
Embaument les cheveux des femmes.
La mer au grand soleil va toute s'embraser,
Et sur le sable fin qu'elles viennent baiser
Roulent d'éblouissantes lames.

Ô ciel qui de ses yeux dois porter la couleur,
Brise qui vas chanter dans les lilas en fleur
Pour en sortir tout embaumée,
Ruisseaux qui mouillerez sa robe,
Ô verts sentiers,
Vous qui tressaillerez sous ses chers petits pieds,
Faites-moi voir ma bien-aimée !

Et mon cœur s'est levé par ce matin d'été ;
Car une belle enfant était sur le rivage,
Laissant errer sur moi des yeux pleins de clarté,
Et qui me souriait d'un air tendre et sauvage.

Toi que transfiguraient la Jeunesse et l'Amour,
Tu m'apparus alors comme l'âme des choses ;
Mon cœur vola vers toi, tu le pris sans retour,
Et du ciel entr'ouvert pleuvaient sur nous des roses.

Quel son lamentable et sauvage
Va sonner l'heure de l'adieu !
La mer roule sur le rivage,
Moqueuse, et se souciant peu
Que ce soit l'heure de l'adieu.

Des oiseaux passent, l'aile ouverte,
Sur l'abîme presque joyeux ;
Au grand soleil la mer est verte,
Et je saigne, silencieux,
En regardant briller les cieux.

Je saigne en regardant ma vie
Qui va s'éloigner sur les flots ;
Mon âme unique m'est ravie
Et la sombre clameur des flots
Couvre le bruit de mes sanglots.

Qui sait si cette mer cruelle
La ramènera vers mon cœur ?
Mes regards sont fixés sur elle ;
La mer chante, et le vent moqueur
Raille l'angoisse de mon cœur.

大気は芳しいリラの香りに満ちて
リラの花は壁の上から下まで咲き乱れ
リラの香りは女たちの髪の毛を燻らせる
海は輝く太陽に燃えあがらんばかり
波は細やかな砂に口づけをするかのように
寄せては返す

おお、彼女の眼の色の如き大空は
そよ風は花咲くリラの中を歌いながら吹きわたり、
芳しい香りを漂わせる
おお、彼女の服を濡らす小川の流れよ
彼女の可愛らしい足元で
身を震わせる緑の小道よ
私を愛しい恋人に会わせておくれ!

あの夏の朝、私の心は目を覚ました
ひとりの可愛い女の子が浜辺で
眩しい視線を私に注ぎ
優しく素朴な表情で、私に微笑みかけてきからだ

青春と恋愛の化身のようなお前は、
あたかも何かの魂のように、私の前に姿を現わした
私の心は君の方へ吸い寄せられ、お前はそれを
しっかりと捉えて放さなかった。すると、空から
二人の上に、薔薇の花が雨のように降ってくるのだった。

ああ、別れを告げようとする時の響きは
何と哀しく、粗野なのだろう!
浜辺に寄せては返す海は
微かに微笑みつつ、
冷笑しているかのようだ。

今が別れの時だというのに。
鳥たちは翼を広げて、殆ど嬉しそうに
深い淵の上を飛んで行く。
輝く太陽に照らされて、海は緑色に光り
私は黙って、輝く大空を見詰めつつ
心を痛めるばかり。

自分の命が、波間を少しずつ
遠ざかって行くのを見詰める
私の魂は奪われてしまった
波の陰うつなさざめきが
私のすすり泣く声を覆い隠す。

この残酷な海が彼女を私の心に連れ戻してくれると
誰が言えるのだろうか?
私の視線は彼女に釘付けになる
海は歌い、風は冷やかすかのように、
私の心の苦悩を嘲る。

 まさしく「水」のように美しかった。上記のようにスダーンの演奏は透き通るように美しかった。加納悦子さんの歌声はサントリーホール上段まで響いてきた。スダーンによる大きな動き、東京交響楽団の美しい弦楽器、雄大なホルン、サントリーホールは美しい水で溢れていた。
 加納悦子さんは表情豊かであり、動くが大きくみていてものすごく感動した。水の花は美しく、極めて神々しい。
 間奏曲。約2分半の短い作品。
愛の死

Bientôt l'île bleue et joyeuse
Parmi les rocs m'apparaîtra ;
L'île sur l'eau silencieuse
Comme un nénuphar flottera.

À travers la mer d'améthyste
Doucement glisse le bateau,
Et je serai joyeux et triste
De tant me souvenir bientôt !

Le vent roulait les feuilles mortes ;
Mes pensées
Roulaient comme des feuilles mortes,
Dans la nuit.

Jamais si doucement au ciel noir n'avaient lui
Les mille roses d'or d'où tombent les rosées !
Une danse effrayante, et les feuilles froissées,
Et qui rendaient un son métallique, valsaient,
Semblaient gémir sous les étoiles, et disaient
L'inexprimable horreur des amours trépassés.

Les grands hêtres d'argent que la lune baisait
Étaient des spectres : moi, tout mon sang se glaçait
En voyant mon aimée étrangement sourire.

Comme des fronts de morts nos fronts avaient pâli,
Et, muet, me penchant vers elle, je pus lire
Ce mot fatal écrit dans ses grands yeux : l'oubli.

Le temps des lilas et le temps des roses
Ne reviendra plus à ce printemps-ci ;
Le temps des lilas et le temps des roses
Est passé, le temps des œillets aussi.

Le vent a changé, les cieux sont moroses,
Et nous n'irons plus courir, et cueillir
Les lilas en fleur et les belles roses ;
Le printemps est triste et ne peut fleurir.

Oh ! joyeux et doux printemps de l'année,
Qui vins, l'an passé, nous ensoleiller,
Notre fleur d'amour est si bien fanée,
Las ! que ton baiser ne peut l'éveiller !

Et toi, que fais-tu ? pas de fleurs écloses,
Point de gai soleil ni d'ombrages frais ;
Le temps des lilas et le temps des roses
Avec notre amour est mort à jamais.

やがて、青く喜びあふれた島が
岩間に姿を現わし
島は穏やかな海面の上で
水蓮の如く漂う。

紫の水晶のような海を渡って
小舟は静かに滑るように進む
私は、やがて、様々なことを回想し
喜び、悲嘆に打ちひしがれるだろう。

枯葉が風に舞っていた。私の想いもまた、
夜の暗闇の中で、枯葉のように舞う
霧の滴を零す、夥しい数の金色の薔薇の花が、
漆黒の空にかくも輝いたことはなかった!

皺くちゃになった枯葉は、
金属的な音を立てながら、
不気味なワルツを踊っていた
そして、星空の下で呻くように、
過ぎ去った愛の言い難い恐怖を
語るのだった。

銀色に輝くブナの大木は月の接吻を受けて
あたかも亡霊のようだ
私は、愛する恋人が不気味に微笑むのを見て、
血も凍るかのような恐怖を抱くのだった。

僕らの顔色は死人の如く蒼ざめていた
私は無言のまま、彼女の方に身を傾けた
彼女の大きな瞳の中にある言葉が読み取れた
その運命的な一言は「忘却」。

リラも薔薇も花咲く季節は、
この春には二度と戻ってこない
リラも薔薇も、そしてナデシコの花咲く季節も
また過ぎ去ってしまったのだ

風向きは変わり、空は陰鬱になった、
僕らはもうリラの花や美しい薔薇を
喜んで摘みには行くことはないだろう
春は悲しく、もう花咲くこともないのだ

ああ、僕らに明るい日差しを注いでくれた
過ぎ去りし年の楽しげで優しい春よ、
僕らの愛の花はすっかり色褪せ、萎れてしまった
ああ!お前の□づけでさえ、その花を
蘇らせることが出来ないのか!

お前、一体どうしたというのだ? 花は咲かず、
楽しげな陽光も、爽やかな木陰もないとは!
リラも薔薇も花咲く季節は、僕らの愛と共に
逝ってしまったのだ、永遠に。

 水の花とは異なり、少し暗い。それにしても強弱が激しく、素晴らしい響きであった。
 東京交響楽団は本当に素晴らしいオーケストラ!

ベルリオーズ幻想交響曲

第1楽章:「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)

 冒頭シャープな弦楽器が鳴り響く。序奏部は落ち着いた印象であったが、強弱が激しく、序奏部だけでも圧倒される。
 主部に入り、ハ長調になると一変して雰囲気がガラッと変わるティンパニの張りの音色が実に堂々としている。弦楽器、金管楽器木管楽器とあらゆる楽器が輝いている。素晴らしい東京交響楽団を見事に指揮するスダーンの凄さに圧倒された。特に静かなコーダ前の堂々とした場面は見事なハーモニーであった。その後のコーダも実に穏やかで美しかった。

第2楽章:「舞踏会」 (Un bal)

 私の大好きな第2楽章。ハープは2台であったが、主部に入る前はよく響いていた。
 東京交響楽団による美しい弦楽器による主部はいかにも舞踏会である。スダーンの腕の動きが大きくなるにつれて音の海が広がっていく。
 中間部のチェロとヴィオラは見事な低弦楽器の響きがホール中に響き渡っており、まさに至高の時間であった。その後、コルネットはなかったが、非常に穏やかで優雅な雰囲気であった。
 最後も柔らかい音色に包まれて第2楽章締めくくった。

第3楽章:「野の風景」 (Scène aux champs)

 コーラングレイングリッシュホルン)と舞台裏のオーボエによって演奏される。コーラングレが素晴らしい響きであり思わず感動した。舞台裏のオーボエも非常に牧歌的で良い響きであった。
 東京交響楽団はとにかく弦楽器が美しかった。本当に美しく、ただその美しさに酔いしれていた。
 最後に、コーラングレによる牧歌が奏されると、4個のティンパニが遠くの雷鳴奏でるが、迫力あるティンパニだった。

第4楽章:「断頭台への行進」 (Marche au supplice)

 冒頭のティンパニの強打に圧倒。その後のファゴットであるが、本当によく響いており大変驚いた。その後の行進曲も迫力ある金管楽器が非常に神々しかった。行進曲は繰り返しなし。
 その後シンバルが登場するとバスドラムとともに重厚感と迫力が凄まじかった。シンバルが打ち鳴らされるたびに身体中の芯まで響いてきた。東響の底力を感じた。圧倒的なコーダで締め括る
 行進曲の時の金管楽器は鋭く迫力ある音色だったが、最終部のフィナーレ部分は柔らかい音色に変わった。その変化は聴いていて驚いた。第4楽章終わっても拍手はなかった。

第5楽章:「魔女の夜宴の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)

  さまざまな表情が繰り出される第5楽章冒頭。フルート等の木管楽器グリッサンドで音が下がる演奏に驚き
 やがて、鐘が鳴り、グレゴリオ聖歌『怒りの日』(Dies Irae)がファゴットとオフィクレイドで奏される。スダーンの腕に合わせて「コーン、コーン」と鳴り響いた。
 その後、さまざまな楽器が見事に調和され、暴力的なティンパニ、思わず仰け反ってしまう金管楽器。すべての楽器が「我こそ主役」のようなフィナーレは圧巻の演奏。燃える燃える東京交響楽団圧倒的なフィナーレで華々しく締め括る。
 その後の拍手の嵐は凄まじいものだった。コロナが流行していなかったら「ブラボー」の嵐だったことに違いない。
 その後、スダーンが一般参賀の際、スタンディングオベーションとなった
 まさに、最高の幻想交響曲だったに違いない!!