鵺翠の音楽の世界と読書の記録

クラシック音楽を趣味とする早大OB

【東響】第693回 定期演奏会 in サントリーホール

Introduction

 2019年12月24日以来のコンサート。そして、2021年9月25日は私の23回目の誕生日
 実は、毎年自分の誕生日に首都圏のどこかでコンサートが行われていると、自分自身への誕生日ということで足を運んでいることにしている。
 もっとも、大学1年当時(上京した年)は11月15日に初めてコンサートに行ったので、大学2年以降は以下のコンサートに行った。詳細な内容については後日時間があったら公開しようと思っている。

(2018年9月25日(大学2年20歳))
 20歳の誕生日は、サー・サイモン・ラトルロンドン交響楽団の来日公演だった。プログラムは、マーラー交響曲第9番ニ長調。世界的マーラー指揮者であるサー・サイモン・ラトルによるマーラー交響曲第9番は一生の記憶に残るコンサートとなった。
 ロンドン交響楽団の高貴な音色が響き渡るサントリーホールは一気に空気を変えた。その感覚は今でも忘れることはない。
 ブルックナー交響曲第8番のDVDのライナー・ノーツにラトルのサインをいただいたことは、何事にも変えられない素晴らしい誕生日プレゼントとなった。

(2019年9月25日(大学3年21歳))
 初めてN響。オール北欧作曲家という少々独特のプログラム。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席フルート奏者、エマニュエル・パユ先生のフルートは別格なほど美しく響いていた。
 なお、ニールセン:フルート協奏曲のリハーサルのさい、以下の会話があった。

 パーヴォ・ヤルヴィ「テューニングは行うかい?」
 エマニュエル・パユ「いや、その必要はない。始めよう。」
 パーヴォ・ヤルヴィ「流石、超一流だな。」

 これぞ一流というのだろう。某ミュンヘン・フィル首席指揮者が読響に客演した際、テューニングだけでも数十分要したとは大違いだ(一流指揮者であることは否定しない)。
 大学4年(2020年9月25日(大学4年22歳))の時は、沼尻竜典先生の大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴きに行こうかと思っていたが、当時新型コロナウイルスに対して戦々恐々としていた時期もあって断念した。
 そして、2年ぶりの自分への誕生日プレゼントとしてのコンサート、そして、約1年半ぶりの生音のコンサートとなった。
 調べたところ、東京交響楽団の第693回定期演奏会が行われるというので思い切っていくことにした。1番の目的は、ベルリオーズ幻想交響曲である。
 ベルリオーズ幻想交響曲については、こちらの記事の「はじめに」を参照されたい。
law-symphoniker.hatenablog.com

 実際に幻想交響曲は2回ほど聴きに行ったことがある。1回目は以下のコンサート。

 2018年3月26日のエリアフ・インバル指揮・東京都交響楽団の演奏であった。インバルらしく、堂々とした幻想交響曲であったと記憶しているが、スダーンによる幻想交響曲はどうなるだろうか…。
 東京交響楽団は過去に2回聴いたが、2回とも感極まって涙を流したオーケストラである。卒業式等で泣くことはなく、決して涙脆い法ではないのだが…。
 そのようなオーケストラと東京交響楽団桂冠指揮者ユベール・スダーンによる幻想交響曲はいかに!?

本日のプログラム


フランク:交響詩「プシュケ」より第4曲“プシュケとエロス”

 冒頭弦楽器の美しい導入がある。早速東京交響楽団の極めて美しく透き通るような弦楽器が鳴り響く。それに問いかけるように木管楽器が優しく奏でる。何よりも冒頭のチェロが極めて甘美な音色であって開始早々すでに涙を流した。スダーンは椅子に腰掛けていたが、腕を大きく動かして非常にダイナミックに指揮をしていた。ベルリン・フィルよりもはるかに美しい、そんな弦楽器の響きだった
 弦楽器の崇高な主題も美しく壮大に唸りまくる!桂冠指揮者ユベール・スダーンの凄さを十分に感じた。これだけ素晴らしい音楽を一番最初に演奏して良いのか?ベルリオーズ幻想交響曲を控えているにもかかわらず、これだけ美しい音楽を奏でられるともう十分に満足。フィナーレで涙を流すことはあったが、一番最初の曲で涙を流したのはこの演奏が初めてだった。記憶を喚起しながら以下の演奏を聴いていたのだが、ジュリーニベルリン・フィルよりもはるかに弦楽器が透き通っており、まさに美しい大海原を表現しているようだった。
 私の中でフランクの作品は交響的変奏曲しか知らなかったのだが、こんな美しい曲があったのか…。多忙で本曲を予習しなかったので、寝ないか不安だったが、眠気なんて一切なく、本当に美しい曲に酔いしれていた。
 サントリーホールは一気にスダーンと東響の世界に包まれてしまった。そして、多くの聴衆の方々はその世界に飲み込まれてしまったのに違いなかろう。

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ショーソン:愛と海の詩

 アリス・クートの代役で加納悦子さんがメゾ・ソプラノに。
 愛と海の詩は水の花」「間奏部」「愛の死」の3部構成。
 水の花

L'air est plein d'une odeur exquise de lilas,
Qui, fleurissant du haut des murs jusques en bas,
Embaument les cheveux des femmes.
La mer au grand soleil va toute s'embraser,
Et sur le sable fin qu'elles viennent baiser
Roulent d'éblouissantes lames.

Ô ciel qui de ses yeux dois porter la couleur,
Brise qui vas chanter dans les lilas en fleur
Pour en sortir tout embaumée,
Ruisseaux qui mouillerez sa robe,
Ô verts sentiers,
Vous qui tressaillerez sous ses chers petits pieds,
Faites-moi voir ma bien-aimée !

Et mon cœur s'est levé par ce matin d'été ;
Car une belle enfant était sur le rivage,
Laissant errer sur moi des yeux pleins de clarté,
Et qui me souriait d'un air tendre et sauvage.

Toi que transfiguraient la Jeunesse et l'Amour,
Tu m'apparus alors comme l'âme des choses ;
Mon cœur vola vers toi, tu le pris sans retour,
Et du ciel entr'ouvert pleuvaient sur nous des roses.

Quel son lamentable et sauvage
Va sonner l'heure de l'adieu !
La mer roule sur le rivage,
Moqueuse, et se souciant peu
Que ce soit l'heure de l'adieu.

Des oiseaux passent, l'aile ouverte,
Sur l'abîme presque joyeux ;
Au grand soleil la mer est verte,
Et je saigne, silencieux,
En regardant briller les cieux.

Je saigne en regardant ma vie
Qui va s'éloigner sur les flots ;
Mon âme unique m'est ravie
Et la sombre clameur des flots
Couvre le bruit de mes sanglots.

Qui sait si cette mer cruelle
La ramènera vers mon cœur ?
Mes regards sont fixés sur elle ;
La mer chante, et le vent moqueur
Raille l'angoisse de mon cœur.

大気は芳しいリラの香りに満ちて
リラの花は壁の上から下まで咲き乱れ
リラの香りは女たちの髪の毛を燻らせる
海は輝く太陽に燃えあがらんばかり
波は細やかな砂に口づけをするかのように
寄せては返す

おお、彼女の眼の色の如き大空は
そよ風は花咲くリラの中を歌いながら吹きわたり、
芳しい香りを漂わせる
おお、彼女の服を濡らす小川の流れよ
彼女の可愛らしい足元で
身を震わせる緑の小道よ
私を愛しい恋人に会わせておくれ!

あの夏の朝、私の心は目を覚ました
ひとりの可愛い女の子が浜辺で
眩しい視線を私に注ぎ
優しく素朴な表情で、私に微笑みかけてきからだ

青春と恋愛の化身のようなお前は、
あたかも何かの魂のように、私の前に姿を現わした
私の心は君の方へ吸い寄せられ、お前はそれを
しっかりと捉えて放さなかった。すると、空から
二人の上に、薔薇の花が雨のように降ってくるのだった。

ああ、別れを告げようとする時の響きは
何と哀しく、粗野なのだろう!
浜辺に寄せては返す海は
微かに微笑みつつ、
冷笑しているかのようだ。

今が別れの時だというのに。
鳥たちは翼を広げて、殆ど嬉しそうに
深い淵の上を飛んで行く。
輝く太陽に照らされて、海は緑色に光り
私は黙って、輝く大空を見詰めつつ
心を痛めるばかり。

自分の命が、波間を少しずつ
遠ざかって行くのを見詰める
私の魂は奪われてしまった
波の陰うつなさざめきが
私のすすり泣く声を覆い隠す。

この残酷な海が彼女を私の心に連れ戻してくれると
誰が言えるのだろうか?
私の視線は彼女に釘付けになる
海は歌い、風は冷やかすかのように、
私の心の苦悩を嘲る。

 まさしく「水」のように美しかった。上記のようにスダーンの演奏は透き通るように美しかった。加納悦子さんの歌声はサントリーホール上段まで響いてきた。スダーンによる大きな動き、東京交響楽団の美しい弦楽器、雄大なホルン、サントリーホールは美しい水で溢れていた。
 加納悦子さんは表情豊かであり、動くが大きくみていてものすごく感動した。水の花は美しく、極めて神々しい。
 間奏曲。約2分半の短い作品。
愛の死

Bientôt l'île bleue et joyeuse
Parmi les rocs m'apparaîtra ;
L'île sur l'eau silencieuse
Comme un nénuphar flottera.

À travers la mer d'améthyste
Doucement glisse le bateau,
Et je serai joyeux et triste
De tant me souvenir bientôt !

Le vent roulait les feuilles mortes ;
Mes pensées
Roulaient comme des feuilles mortes,
Dans la nuit.

Jamais si doucement au ciel noir n'avaient lui
Les mille roses d'or d'où tombent les rosées !
Une danse effrayante, et les feuilles froissées,
Et qui rendaient un son métallique, valsaient,
Semblaient gémir sous les étoiles, et disaient
L'inexprimable horreur des amours trépassés.

Les grands hêtres d'argent que la lune baisait
Étaient des spectres : moi, tout mon sang se glaçait
En voyant mon aimée étrangement sourire.

Comme des fronts de morts nos fronts avaient pâli,
Et, muet, me penchant vers elle, je pus lire
Ce mot fatal écrit dans ses grands yeux : l'oubli.

Le temps des lilas et le temps des roses
Ne reviendra plus à ce printemps-ci ;
Le temps des lilas et le temps des roses
Est passé, le temps des œillets aussi.

Le vent a changé, les cieux sont moroses,
Et nous n'irons plus courir, et cueillir
Les lilas en fleur et les belles roses ;
Le printemps est triste et ne peut fleurir.

Oh ! joyeux et doux printemps de l'année,
Qui vins, l'an passé, nous ensoleiller,
Notre fleur d'amour est si bien fanée,
Las ! que ton baiser ne peut l'éveiller !

Et toi, que fais-tu ? pas de fleurs écloses,
Point de gai soleil ni d'ombrages frais ;
Le temps des lilas et le temps des roses
Avec notre amour est mort à jamais.

やがて、青く喜びあふれた島が
岩間に姿を現わし
島は穏やかな海面の上で
水蓮の如く漂う。

紫の水晶のような海を渡って
小舟は静かに滑るように進む
私は、やがて、様々なことを回想し
喜び、悲嘆に打ちひしがれるだろう。

枯葉が風に舞っていた。私の想いもまた、
夜の暗闇の中で、枯葉のように舞う
霧の滴を零す、夥しい数の金色の薔薇の花が、
漆黒の空にかくも輝いたことはなかった!

皺くちゃになった枯葉は、
金属的な音を立てながら、
不気味なワルツを踊っていた
そして、星空の下で呻くように、
過ぎ去った愛の言い難い恐怖を
語るのだった。

銀色に輝くブナの大木は月の接吻を受けて
あたかも亡霊のようだ
私は、愛する恋人が不気味に微笑むのを見て、
血も凍るかのような恐怖を抱くのだった。

僕らの顔色は死人の如く蒼ざめていた
私は無言のまま、彼女の方に身を傾けた
彼女の大きな瞳の中にある言葉が読み取れた
その運命的な一言は「忘却」。

リラも薔薇も花咲く季節は、
この春には二度と戻ってこない
リラも薔薇も、そしてナデシコの花咲く季節も
また過ぎ去ってしまったのだ

風向きは変わり、空は陰鬱になった、
僕らはもうリラの花や美しい薔薇を
喜んで摘みには行くことはないだろう
春は悲しく、もう花咲くこともないのだ

ああ、僕らに明るい日差しを注いでくれた
過ぎ去りし年の楽しげで優しい春よ、
僕らの愛の花はすっかり色褪せ、萎れてしまった
ああ!お前の□づけでさえ、その花を
蘇らせることが出来ないのか!

お前、一体どうしたというのだ? 花は咲かず、
楽しげな陽光も、爽やかな木陰もないとは!
リラも薔薇も花咲く季節は、僕らの愛と共に
逝ってしまったのだ、永遠に。

 水の花とは異なり、少し暗い。それにしても強弱が激しく、素晴らしい響きであった。
 東京交響楽団は本当に素晴らしいオーケストラ!

ベルリオーズ幻想交響曲

第1楽章:「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)

 冒頭シャープな弦楽器が鳴り響く。序奏部は落ち着いた印象であったが、強弱が激しく、序奏部だけでも圧倒される。
 主部に入り、ハ長調になると一変して雰囲気がガラッと変わるティンパニの張りの音色が実に堂々としている。弦楽器、金管楽器木管楽器とあらゆる楽器が輝いている。素晴らしい東京交響楽団を見事に指揮するスダーンの凄さに圧倒された。特に静かなコーダ前の堂々とした場面は見事なハーモニーであった。その後のコーダも実に穏やかで美しかった。

第2楽章:「舞踏会」 (Un bal)

 私の大好きな第2楽章。ハープは2台であったが、主部に入る前はよく響いていた。
 東京交響楽団による美しい弦楽器による主部はいかにも舞踏会である。スダーンの腕の動きが大きくなるにつれて音の海が広がっていく。
 中間部のチェロとヴィオラは見事な低弦楽器の響きがホール中に響き渡っており、まさに至高の時間であった。その後、コルネットはなかったが、非常に穏やかで優雅な雰囲気であった。
 最後も柔らかい音色に包まれて第2楽章締めくくった。

第3楽章:「野の風景」 (Scène aux champs)

 コーラングレイングリッシュホルン)と舞台裏のオーボエによって演奏される。コーラングレが素晴らしい響きであり思わず感動した。舞台裏のオーボエも非常に牧歌的で良い響きであった。
 東京交響楽団はとにかく弦楽器が美しかった。本当に美しく、ただその美しさに酔いしれていた。
 最後に、コーラングレによる牧歌が奏されると、4個のティンパニが遠くの雷鳴奏でるが、迫力あるティンパニだった。

第4楽章:「断頭台への行進」 (Marche au supplice)

 冒頭のティンパニの強打に圧倒。その後のファゴットであるが、本当によく響いており大変驚いた。その後の行進曲も迫力ある金管楽器が非常に神々しかった。行進曲は繰り返しなし。
 その後シンバルが登場するとバスドラムとともに重厚感と迫力が凄まじかった。シンバルが打ち鳴らされるたびに身体中の芯まで響いてきた。東響の底力を感じた。圧倒的なコーダで締め括る
 行進曲の時の金管楽器は鋭く迫力ある音色だったが、最終部のフィナーレ部分は柔らかい音色に変わった。その変化は聴いていて驚いた。第4楽章終わっても拍手はなかった。

第5楽章:「魔女の夜宴の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)

  さまざまな表情が繰り出される第5楽章冒頭。フルート等の木管楽器グリッサンドで音が下がる演奏に驚き
 やがて、鐘が鳴り、グレゴリオ聖歌『怒りの日』(Dies Irae)がファゴットとオフィクレイドで奏される。スダーンの腕に合わせて「コーン、コーン」と鳴り響いた。
 その後、さまざまな楽器が見事に調和され、暴力的なティンパニ、思わず仰け反ってしまう金管楽器。すべての楽器が「我こそ主役」のようなフィナーレは圧巻の演奏。燃える燃える東京交響楽団圧倒的なフィナーレで華々しく締め括る。
 その後の拍手の嵐は凄まじいものだった。コロナが流行していなかったら「ブラボー」の嵐だったことに違いない。
 その後、スダーンが一般参賀の際、スタンディングオベーションとなった
 まさに、最高の幻想交響曲だったに違いない!!