SymphoniegenbergのOrchepedia

クラシック音楽を趣味とする早大OB

【読響】第687回名曲シリーズ in サントリーホール

introduction

 毎年恒例の年末の第九である。今年はフランスの「鬼才」と評されるマキシム・パスカルによる第九である。
 もはや解説は不要であろう。詳細な内容は別の記事を参照されたい。
 まずは、本日の客演指揮者であるマキシム・パスカルについて取り上げよう。

マキシム・パスカル(Maxime Pascal

 彼は現代フランスを代表する若手~中堅のカリスマ的指揮者の一人であり、「鬼才」「俊英」といった形容で語られることが多い人物である。

略歴とポジション
  • 1985年、フランス南部カルカソンヌの音楽一家に生まれ、幼少期からピアノとヴァイオリンを学んだとされている。
  • 2008年頃、作曲家やピアニスト、エンジニアらとともにアンサンブル「ル・バルコン(Le Balcon)」を立ち上げ、その音楽監督を務めてきた。
  • 欧州の主要オーケストラや歌劇場に招かれており、ザルツブルク音楽祭など第一線の現場でも活動している。2026年からベルリン・ドイツ・オペラの首席客演指揮者に就任すると報じられている。
音楽的特徴
  • 古典派・ロマン派から20〜21世紀音楽までレパートリーは広くハイドン交響曲第22番「哲学者」から武満徹ストラヴィンスキー春の祭典》に至るまで自在に指揮している。
  • とりわけ現代音楽や20世紀作品においては、音のエネルギーと構造を明晰に示しつつ、細部まで緻密にコントロールするスタイルが指摘されている。
  • ダイナミクスと間合いのコントラストが強く、音の塊を立体的に浮かび上がらせるような、劇的で鋭い表現が特徴であるとされる。
評価とイメージ
  • フランス楽壇の「期待を一身に集める存在」、「欧州の最前線で活躍するフランスの鬼才」といった評価がなされており、若い世代の中でも特に個性の強い指揮者として認識されている。
  • 企画性の高いプログラムや演劇的センスを伴うステージ作りを好み、分断された世界に光をもたらすといったコンセプトを掲げた公演も行っていると紹介されている。
日本での活動と印象

本日のプログラム

ベートーヴェン交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

第1楽章:Allegro Ma Non Troppo, Un Poco Maestoso

 例年通り、弦楽器が刻む空虚五度のトレモロとホルンの静かな咆哮によって、本年の「第九」は幕を開けた。指揮棒を排したパスカル徒手による指揮は、そのしなやかな身のこなしからは想像し得ないほど、第一主題において強靭な推進力とマッシヴな響きを表出させた。冒頭の混沌から秩序へと向かうカタルシスにおいて、この力強さは不可欠な要素である。特筆すべきは第二主題の処理だ。ここではパスカルの卓越した統率力が十全に発揮されていた。旋律は澱みなく流麗に、かつ極めて自然体な呼吸で紡がれ、木管楽器の音色は作為を削ぎ落とした純真な輝きを放つ。この静と動の鮮やかな対比こそ、彼の解釈の真骨頂と言えるだろう。
 展開部においても、その知的なアプローチは光っていた。提示部から引き継がれた独自の色彩感覚は、楽曲に現代的な新鮮さを付与している。とりわけ展開部の白眉であるフーガにおいては、弦楽セクションに注ぎ込まれた熱量が凄まじい。ベートーヴェン特有の峻厳さと勇壮さを兼ね備えたその響きは、中庸ながらも確信に満ちたテンポ設定によって、理想的な構造美を立ち上げていた
 再現部。ここでのティンパニの連打と全奏の衝撃は、まさに「当たり」と呼ぶに相応しい威容を誇っていた。ニ短調の主和音が雷鳴の如く轟くこの瞬間こそ、第1楽章における最大の求心点である。一方で、それに続く第二主題の回帰は、どこか第4楽章の「歓喜の主題」の到来を予感させるような、慈愛に満ちた音色を響かせていた点が極めて印象深い。
 終結部(コーダ)に至ると、再現部での劇的な燃焼が嘘のように、響きは明晰かつ即物的な手触りへと収斂していった。読売日本交響楽団から引き出されたこの「過不足のない、透徹した響き」は、フランス人指揮者パスカルならではの美意識の産物だろうか。情念に溺れることなく、冷徹なまでの造形美を維持したまま幕を閉じる手法に、現代的な「第九」のひとつの到達点を見た思いがした。

第2楽章:Molto Vivace

 本演奏における最大の結節点は、主部のリピートをすべて実行した点にある。これによって楽章全体のスケールが拡張され、単なる経過的な舞曲を超えた、巨大なエネルギーの循環構造が浮き彫りとなった。パスカルの音楽作りは徹底して「自然体」を志向している。そこには虚飾や過度な力み(りきみ)が一切なく、極めて風通しの良い響きが支配的だ。強靭なリズムの刻みの中でも、各楽器のテクスチュアは常に明晰に保たれ、ベートーヴェンの書法の合理性が、現代的な解釈によって見事に洗浄されていた。
 中間部(トリオ)への移行も鮮やかであった。ここでは一転して快速なテンポが採られ、音楽は清爽な躍動感を伴って駆け抜ける。特筆すべきは木管セクションの質の高さだ。首席オーボエ奏者・荒木奏一による、瑞々しくも芯のある音色は、このトリオの牧歌的な性格に気品を与えていた。そこに加わる弦楽器の流麗な運動性と、トロンボーンが提示する重厚な主題。これらの異質な素材が、パスカルのタクトのもとで有機的に融和していく様は、まさに白眉と言える
 ここでも指揮者の姿勢は一貫していた。テンポを煽って熱狂を誘うのではなく、あくまで「自然体」かつ「快速」なイン・テンポを維持することで、楽曲自体の持つ推進力を引き出している。その衒いのない疾走感は、聴き手に対して、第九という大伽藍の新たな断面を提示するかのようであった。

第3楽章:Adagio Molto E Cantabile

 ドイツ的な重厚長大なる伝統に親しんできた耳にとって、パスカルが描き出した第3楽章は、一抹の驚きを伴う新鮮な体験であった。
 冒頭の第1主題は、至極穏やかかつ伝統的な佇まいで導入される。しかし、特筆すべきは第2主題(Andante moderato)へ移行した際の変容だ。パスカルはここで、従来の「アダージョの延長」としての解釈を排し、極めて流動的なテンポ設定を採用した。これはベーレンライター版(原典版)の校訂に基づいた、メトロノーム記号を遵守する現代的アプローチの顕現であろう。かつての「深い沈潜」を期待する向きには戸惑いを与えるかもしれないが、旋律を「停滞」から解放し、音楽に真の歌を吹き込むという点において、この判断は極めて論理的である。
 もっとも、その足取りは決して無機的ではない。パスカルの精緻かつ柔軟なタクトは、読売日本交響楽団から温もりのある、慈愛に満ちた響きを引き出していた。とりわけ白眉であったのは、12分の8拍子による変奏箇所である。幾重にも重なる対旋律が一本の絹糸を紡ぐかのように滑らかに連続し、ポリフォニックな明晰さと美しさが高度な次元で両立されていた
 過度な感傷を排し、純音楽的な美を追求したこの楽章は、柔らかい残響を伴って静かに幕を下ろした。特筆すべきは、この時点でもなお合唱団が舞台上に現れていなかったことだ。

第4楽章:Presto, "O Freunde, Nicht Diese Tone!", Allegro Assai

 冒頭のプレスト。峻厳な第1楽章、躍動する第2楽章、そして天上的な第3楽章――これら三つの対極的な情景を経て辿り着く最終楽章は、聴き手の期待を最高潮へと押し上げる。パスカルがこの巨大な伽藍をいかに統括し、歓喜へと昇華させるのか。その一挙手一投足に視線が集まる。
 低弦によるレチタティーヴォは、読響が誇る重厚な低音セクションの威力を遺憾なく発揮していた。過去三つの楽章の回想を峻拒するその響きには、冷徹なまでの説得力がある。続いてコントラバスとチェロによって、静寂の中から「歓喜の主題」が密やかに提示される。一音一音が確信に満ちた足取りで進み、ファゴットヴィオラが対旋律を絡める段に至ると、パスカルの美質である「温もりのある精緻さ」が極まるヴィオラの甘美な深みとファゴットの野太い抱擁感が見事に融和し、ポリフォニックな喜びが立ち現れる様は圧巻であった。オーケストラが全奏へとクレッシェンドしていく過程では、指揮者の熱量が伝播するように、読響の自発性が一段と加速していった
 ここで特筆すべきは、合唱団とソリストの入場演出である。演奏の進行に合わせ、舞台左右から交差するように現れる視覚的な仕掛けは、静的な演奏会に劇場的なダイナミズムを付与していた
 バリトンの宣誓に続く「歓喜の歌」の爆発。新国立劇場合唱団の圧倒的な声量と、華やかな読響サウンドの融合は、まさにカタルシスの極みである。続くトルコ行進曲(Allegro assai vivace)では、テノールのシヤホンガ・マクンゴが異彩を放った。その巨躯から発せられる強靭なヘルデン・テノール風の響きは、ここ数年の「第九」演奏でも稀に見る充実度を誇る。その後のフーガにおいても、パスカルは熱を帯びつつも造形を崩すことなく、標準的なテンポを堅持することで読響の機能美を極限まで引き出した。
 「抱擁」を歌うアンダンテ・マエストーソ。トロンボーンは意外にも角の取れた、包容力のある響きを選択していた。続く合唱も、ドイツ的な剛毅さよりは、フランス的な透明感と柔軟性を内包した荘厳さを湛えている。これを指揮者の出自による美意識と捉えるならば、ベートーヴェンの普遍性に対する一つの極めて今日的な解答と言えるだろう。
 プレストからプレスティッシモへ。パスカルの熱量は最高潮に達し、合唱とオーケストラは渾然一体となって歓喜の頂点へと駆け上がる。細部のアンサンブルが多少乱れようとも構わない――そんな「逸脱の美学」すら感じさせる熱狂の果てに、パスカルは速度を緩めることなく全曲を突き抜けた。フランス的な知性と、それを凌駕するパッションが火花を散らす、出色の「第九」であった。

総括

 本演奏におけるベートーヴェン交響曲第9番》は、
年末の定型的儀礼として消費されがちな「第九」像から明確に距離を取り、現代的な知性と身体性の両立によって再定義されたものであったと言える。
パスカルの解釈は、一貫して感情過多やロマン的誇張を排しつつも、決して冷淡には陥らない。
その核心にあるのは、「自然体」という言葉で繰り返し言及される、極度に整理された音楽的呼吸である
 第1楽章では、混沌から秩序へという構造的カタルシスが、マッシヴな推進力と明晰な造形によって強固に描き出された。第2楽章では、主部リピートの完全実行によってスケール感が飛躍的に拡張され、リズムのエネルギー循環そのものが聴き手の身体感覚に訴えかける。第3楽章においては、原典版に基づく流動的テンポが、従来の「沈潜するアダージョ」像を刷新し、旋律本来の歌心とポリフォニーの透明性を鮮明に浮かび上がらせた。
そして第4楽章では、構造的統御と劇的高揚が高次元で融合し、フランス的知性とパッションが拮抗する、きわめて現代的な「歓喜」へと結実した
 読売日本交響楽団の機能美と、新国立劇場合唱団の圧倒的エネルギーは、パスカルの美意識のもとで有機的に統合され、細部の精緻さと全体の熱狂が矛盾なく共存する稀有な到達点を示した。
本演奏は、「第九」という巨大な作品が、いまなお更新可能な現在進行形の表現体であることを、強い説得力をもって証明したのである
 しかしながら、ベーレンライター版の出版の影響はやはり大きいものであり、ベームイッセルシュテットのような伝統的な演奏はもう聴けないのだろうか。来年の第九の指揮者は常任指揮者のセヴァスティアン・ヴァイグレである。これは必聴に値しよう

  • 解釈の基本姿勢パスカルの指揮は、情念過多やロマン的誇張を排し、「自然体」と高度な構造意識を軸に据えている。結果として、ベートーヴェンの書法そのものが持つ推進力と論理性が、極めて明晰な形で立ち現れた。
  • テンポ設計と原典志向:とりわけ第3楽章に顕著であったように、原典版に基づくメトロノーム感覚を尊重した流動的テンポが、従来の重厚長大的な第九像を刷新した。旋律は停滞から解放され、純粋な「歌」として再生されていた。
  • オーケストラと合唱の統合力読売日本交響楽団の機能美と、新国立劇場合唱団の圧倒的なエネルギーは、指揮者の明確な構想のもとで有機的に融合していた。細部の精緻さと全体の熱狂が高次元で共存していた点は特筆に値する。
  • 現代的「第九」像の提示:フランス的知性に裏打ちされた透明性と、それを凌駕するパッションが拮抗することで、本演奏は「更新可能な現在形の第九」というひとつの到達点を示した。年末の儀礼に留まらない、強い説得力を備えた解釈であった。

【緻密な統率と音色美の極致】ブルックナー:交響曲第7番ホ長調を聴く(その1)

introduction

 さて、今回はブルックナー交響曲第7番ホ長調を取り上げてみようと思う。これと言った理由は特に無いのだが、2026年2月に読響の演奏で本作品を聴く予定なので、折角なので取り上げようと思ったからだ。まずは、本作品について概説的なところから始める。
 アントン・ブルックナー交響曲第7番ホ長調(WAB 107)は、彼の交響曲の中で初めて大成功を収め、ブルックナーが国際的名声を確立する契機となった作品である。

概説

構成と音楽的特徴

 交響曲は全4楽章から構成され、第1楽章と第4楽章はソナタ形式、第2楽章は緩徐楽章で第3楽章はスケルツォという伝統的な構成となっている。

  1. 第1楽章 アレグロモデラート(ホ長調:壮麗で静謐なホルンとチェロによる第1主題で始まり、三つの主題がソナタ形式で展開される。ブルックナー自身によると、この主題は夢の中で友人イグナーツ・ドルンが口笛で吹いた旋律をもとにしたという逸話が残る。
  2. 第2楽章 アダージョ嬰ハ短調):極めて荘厳で崇高な葬送音楽。ワーグナーの死の直後に書かれ、シンバルとトライアングルの一度きりの輝きが天上の光を感じさせる。
  3. 第3楽章 スケルツォイ短調:見事なリズム処理を持ち、ブルックナー特有の建築的音楽構造を感じさせる。中間部では牧歌的で柔らかい旋律が流れる。
  4. 第4楽章 フィナーレ(ホ長調: 勝利と歓喜を象徴する壮大なクライマックスで、全曲を荘厳に締めくくる。透明な管弦楽法ホ長調の輝きが、ブルックナーの理想的構築美を体現している。

 この交響曲は、ブルックナーが敬虔なる信仰の内面を音に託し、天と人との間に橋を架けた記念碑的作品であり、その穏やかで荘厳な美は、後世のマーラーシベリウスにも深い影響を与えた。

世界的名声を得た要因

 ブルックナー交響曲第7番ホ長調によって世界的名声を得た要因は、作曲的成熟、演奏面での幸運、そして聴衆に訴える人間的・宗教的普遍性の三点に集約される。

  1. 作曲完成度と様式成熟:第7番は第5番の厳格なポリフォニーと第6番の旋律美を融合させ、「構築美」と「感情表現」の均衡を成し遂げた作品だった。彼が長年積み上げたバッハ的対位法とオルガン的音響構成に加え、民俗的で親しみやすい旋律と透明な和声感が聴衆に受容されやすい要素として働いた。特に第2楽章のアダージョではワーグナー追悼の情感が高く評価され、宗教的崇高さと人間的哀感の融合が新鮮な感動を与えた。
  2. 初演の成功と指揮者の支援1884年12月30日、若きアルトゥル・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による初演が歴史的成功を収め、聴衆と批評家の双方に称賛された。続く1885年3月のミュンヘン初演(ヘルマン・レヴィ指揮)でも圧倒的成功を収め、以後ヨーロッパ各地で広く演奏される契機となる。この成功でブルックナー交響曲作家として公的に認知され、1886年にはフランツ・ヨーゼフ騎士十字勲章を授与されている。なお、本作品は、初めてオーストリア以外の場所で初演されたものであり、これがブルックナーが国際的に交響曲作曲家として評価される出発点となり、ウィーンでの評価を改めるきっかけとなったのである*1
  3. 改訂と普及への努力:弟子フランツ・シャルクは、第1楽章とスケルツォを連弾という形でフランツ・ツォットマンと演奏を紹介し、ピアノ連弾という形で紹介をしていた*2。この連弾による紹介を持ってウィーンでの反ワーグナー派による冷遇を見越し、演奏効果を高めたものであり、当時の聴衆に受け入れられる道を開いた。この版の普及によって、ブルックナーの音楽が宗派的・地域的な制約を超えて広まる契機となった。
  4. 精神的メッセージと普遍性:第7番は宗教的厳粛さの中に深いヒューマニズムを内包し、「信仰の音楽」としてのみならず「人間の生命への賛歌」とも受け止められた。その荘厳な響きと明朗な構成は、後期ロマン派の理想的交響曲像として国際的支持を得た。

 このように、交響曲第7番は、ブルックナーの独自語法が聴衆の感情に直接届く普遍的表現へと昇華した点で歴史的転換点をなした。1884年12月30日のライプツィヒ初演は、まさに「ブルックナーの世界的名声の誕生日」と呼ばれるにふさわしい日となった。

版問題

 やはりブルックナーの作品を取り上げる上では版問題を触れないわけにはいかない。ブルックナー交響曲第7番ホ長調に関する「版問題」は、主としてハース版(1944年)ノヴァーク版(1954年)の二つの校訂版を中心に議論されている。これは第8番のような全面的改訂ではなく、細部の管弦楽法や打楽器の扱いに関する「解釈上の相違」から生じた問題である。

背景:ブルックナーの自筆稿と初版

 第7番は1883年に完成し、初演後まもなく弟子ヨーゼフ・シャルクの監修で1885年に初版が出版された。この初版には演奏効果を意識した改変が加えられており、ブルックナー自身の意図をどこまで反映しているかが後世の研究で問題視された。
 ブルックナーの自筆総譜には、いくつかの追記や削除指示が残っており、そのうちとくに第2楽章の「打楽器(シンバル、トライアングル、ティンパニ)」の扱いが最大の争点となった。

ハース版(Robert Haas, 1944)

ハース版は旧全集における最初の学術的校訂版で、自筆譜を基礎としつつ、初版や修正版を比較して作成された。[1][3]ハース版では初版の内容を徹底しており、後からの変更に対して厳格な態度をとって一切含み入れない形となっている((((前掲・91頁]))。
ハースの解釈では、第2楽章のクライマックスに書かれた打楽器の追加は無効(nicht gültig)と記された紙片に基づき、これをブルックナー自身が撤回したと判断して、打楽器を削除した。
 そのため、ハース版では第2楽章の頂点が穏やかで、宗教的沈黙に包まれた印象を与える。一般に「簡素」「内省的」とされる。

ノヴァーク版(Leopold Nowak, 1954)

 ノヴァークは新全集の編集者として再検討を行い、ハースと反対の立場を取った。ノヴァークは同じ「nicht gültig」注記を他人(弟子など)が後に付け加えたものと解釈し、打楽器を有効とした。なお、1885年1月10日にヨーゼフ・シャルクが弟のフランツ・シャルク(第5番の改訂版でお馴染み)に「先日僕とフェルディナント・レーヴェはブルックナーと一緒にスコアに目を通してみた。いつくかの変更と改良のことで」と手紙を書いていることから、ブルックナー自身も改訂に関与していたものと言える((((前掲・91頁]))。
 そのため、第2楽章コーダにシンバル・トライアングル・ティンパニが登場し、輝かしく壮麗な印象となる。しばしば「荘厳で華麗」「ワーグナー讃歌の象徴」と形容される。

評価と現代の演奏傾向

 今日では、ノヴァーク版が国際的に主流であり、多くの録音・演奏が採用している。一方、ハース版を選ぶ指揮者は、宗教的静謐さとニュアンス重視を狙う傾向がある。
 ウィリアム・キャラガンらの研究によれば、ブルックナー自身は打楽器を削除する意図を示した証拠はなく、むしろ後年の第8番でさらに打楽器を積極的に用いていることから、ノヴァーク版をより作曲者本意に近いとする見解が優勢である。
 さらに近年では、ベンヤミン=グンナー・コールスベンジャミン・コーストヴェットとな新たな版登場している。現代でもブルックナーの版問題の議論は続いているようである。

ブルックナー交響曲第7番ホ長調

クリスティアンティーレマンウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

評価:8 演奏時間:約69分

第1楽章:Allegro Moderato

 提示部。静かな弦楽器のトレモロから、伸びやかで美しいチェロの音色が第一主題を奏でる。何度聴いても、ウィーン・フィルのアンサンブルは独特であり、かつ美しい音色を響かせる。複数人が同一の楽器で同一の旋律を演奏しているにもかかわらず、乱れがなく、それぞれが一つのパートとしてアンサンブルが構築されているのである。第一主題の盛り上がりは相当の迫力であり、トランペットが大きな存在感を見せつけている。美しく壮大な第一主題から、今度は軽快な木管楽器が第二主題を奏で始める。その後の弦楽器の音色も美しく穏やかである。のちに、この第二主題は展開部で形を変えて再登場する。交響曲第8番や第9番のような荘厳さではなく、非常に心地よい穏やかな場面があるのが、交響曲第7番の魅力の一つといえよう。 そして、少し愉快な第三主題に入るが、やはりティーレマン特有の独特の間合いがある。 時にフルトヴェングラーのような強烈な間合いを入れるが、本演奏はそこまでではない。第三主題では重厚感あふれる金管楽器の音色も印象的であり、ウィーン・フィル特有の柔らかさも相まって、これぞウィーン・フィルブルックナーという演奏である。
 展開部。第一主題の回想が入ると、展開部となる。木管楽器の繊細で甘美な音色の後にチェロが主題を奏でる。これが第二主題の逆行形として現れているのだ。チェロの甘美な弦の音色がしっかりと響き渡っており、一つの織り成す糸のような音色である。 クリーヴランド管弦楽団とは異なる統一性のある音色であった。
 再現部。強烈な下降音階の後に、少々不穏げな雰囲気で第一主題が再度登場する。ハ短調で始まる再現部であるが、やがては通常通りのホ長調に戻るのだが、その間にもティーレマン特有の長い間合いがあった。なかなか次の音が出てこないのだ。それにしても、弦楽器のトレモロが繊細で美しい音色を響かせる。そして、甘美で楽しげな木管楽器による第二主題であるが、この再現部第二主題は比較的長く、後半は幻想的で美しい世界が広がる。そして唐突にまた第三主題が登場するが、提示部より少しテンポが遅く、重厚感のある第三主題となっている。
 コーダ。静寂な中、チェロが第一主題のような少々切なげな主題を奏で始めると、コーダとなる。弦楽器のトレモロもよく鳴っており、弦楽器による相当な音量を感じ取ることができる。最後に幻想的な雰囲気の中でホルンとトランペットが第一主題を奏で、全合奏で壮大なフィナーレを締めくくる。 ティーレマンらしく、重厚感あふれる壮大なフィナーレである。

第2楽章:Adagio, Sehr Feierlich Und Sehr Langsam

 ブルックナー交響曲作品の中で特に人気の高いアダージョである。冒頭、ひとつの主題(主題Aとする)が奏でられるが、意外にも淡々と演奏されている印象を受けた。 もちろん、ウィーン・フィルの演奏であるため、弦楽器の美しさは言うまでもないが、個人的にはロマンをたっぷりと注ぎ込んだ主観的な解釈の方が好みである。弦楽器による美しく幻想的な世界が広がる素晴らしい演奏であり、主題Aは流れるように進んでいく。
 上下に動くような美しい主題(主題Bとする)も、また美しい音楽である。ティーレマンは意外と淡々と進めていくようで、演奏はスイスイと進行してしまう。 アダージョはテンポ次第で印象が大きく変わるが、主題Bはモデラートの性格を持つため、このテンポ感はティーレマンの選択として妥当である
 そして、この主題Aと主題Bがもう一度繰り返された後、第2楽章の頂点部(第177小節)へ向かう。ヴァイオリンの6連符と共に主題Aが奏でられる。わずかに弦楽器の音色が軽い気もするが、これが頂点部へ向かう足掛かりとなるため期待が高まる。徐々に盛り上がると、金管楽器が華々しく主題Aを奏で始めた。 ティーレマンの絶妙な間合いから繰り出されたシンバルの一撃と重厚感あるティンパニが非常に素晴らしく、圧巻の頂点部を形成した。
 頂点部が終わると、ワーグナーテューバによる葬送行進曲のファンファーレが登場する。 頂点部とは一転して暗く陰鬱な雰囲気となり、ホルンの強奏部分も相当の迫力である。 最後は、冒頭部分のように静寂な雰囲気を残して締めくくられる。

第3楽章:Scherzo: Sehr Schnell

 この楽章は野性的なスケルツォである。テンポは標準的であるが、第1楽章や第2楽章にはあまり見られない、非常に勇ましく重厚感あふれる音楽が展開される。 ブルックナーらしい少し荒々しいスケルツォ主部であるが、ウィーン・フィル特有の甘美さと柔らかさも併存した独特のスケルツォとなっている。 トリオに入る前の下降音階は、迫力がやや弱かった印象である。
 トリオは、爽やかで牧歌的な雰囲気を呈している。ティーレマンらしい独特のアゴーギクを活かした、動きのあるトリオである。 野性的なスケルツォとは一転して穏やかで爽やかな場面であり、聴き手にとってちょっとした息抜きにもなる。木管楽器金管楽器が甘美な音色で、素晴らしいトリオを展開している。

第4楽章:Finale: Bewegt, Doch Nicht Schnell

 提示部。弦楽器のトレモロから、軽快に変形された第1楽章の第一主題が登場する。ティーレマンらしい豊穣な音楽が広がる。 第一主題の後半では、ティーレマン特有の「ブレーキ」がかかるような間合いが見られる。第二主題では、第一主題の軽快さから一変して、第2楽章アダージョのような優しさが戻る。 この第二主題はかなり長い。そして、力強い第三主題が登場するが、これは第4楽章の中心となる主題であろう。ティーレマンの第三主題は、柔らかい金管楽器の音色でありながらも重厚感たっぷりで、テンポも遅めであるため、濃厚な音楽が展開される。
 展開部。第三主題が登場したかと思えば、すぐに第一主題が登場し、あっという間に展開部へと入ってしまう。爽やかな第一主題が弦楽器とフルートで奏でられた後は、ホルンの牧歌的なコラールが響き渡る。 木管の神秘的な音色とホルンの牧歌的な響きが素晴らしい。
 再現部。通常の再現部とは異なり、第三主題 → 第二主題 → 第一主題と逆行する。ティーレマンの第三主題は、力強さと重厚感が際立ち、遅いテンポが荘厳さを強めている。 第二主題に入る前の第三主題は、相当にテンポを落とし、圧倒的な重厚感を生み出している。 続く第二主題は提示部同様に穏やかで、弦楽器とホルンが牧歌的で美しい音色を奏でる。 そして第一主題が登場するが、第三主題のような力強い金管コラールが随所に入り込んでおり、ブルックナーの緻密な構成がよくわかる。 第一主題を元に頂点部を形成するが、テンポは極端に遅い。
 コーダ。静寂な中、第1楽章の第一主題が再び戻ってくる。派手さはあまりないものの、すべての楽器が昇華していくような荘厳な響きを放ち、柔らかく締めくくられる。 ティーレマンらしさが凝縮され、独自の解釈が込められた素晴らしい演奏であった。

総括

演奏の総評

 ティーレマンウィーン・フィルによるブルックナー交響曲第7番は、作品に内包された精神性とロマン的な豊穣さを、高度なアンサンブルと緻密な構築性によって見事に昇華した演奏であった。 ウィーン・フィル特有の柔らかく深みのある響きが全編にわたって一貫して保たれ、どの主題も自然な呼吸と気品をまとって立ち現れる。その音色は、ブルックナー作品が本来持つ祈りのような静謐さと、壮大な建築物を思わせる構造美を見事に両立させている。
 ティーレマンの指揮は、緩急のつけ方や独特の間合いによって音楽に有機的な躍動と重厚感を与えつつ、過度な主観に走ることなく、あくまで作品の内部に潜む力を自然に引き出している点が印象的である。 テンポ設定、金管の扱い方、弦楽器の響かせ方に至るまで、随所に彼ならではの解釈が宿り、その一つひとつがウィーン・フィルの音色と結びつくことで、他では得難い独自のブルックナー像を形作っていた。
 主題間の性格の違いが明確に描き分けられながらも、楽章間の連続性や全体の大きな弧を意識した構成が貫かれており、演奏全体が一つの巨大な精神的旅路として機能している点も称賛に値する。 壮大さ、甘美さ、牧歌性、陰影の深さといった多様な表情が、ごく自然に、そして必然性をもって連続していく。 そのため、聴き手は大きな流れの中に身を置きながらも、細部の美しさに何度も驚かされるような幸福な体験を味わうことになる。
 総じて本演奏は、楽曲の本質への深い洞察と、オーケストラの比類なき音色美とが融合した、きわめて完成度の高いブルックナー演奏である。 ティーレマンの緻密な統率とウィーン・フィルの伝統的な響きが理想的な形で結実し、作品全体に崇高な光を当てるような名演となった。

次回予告

*1:音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー⑤ブルックナー』91頁(音楽之友社、1993年)[根岸一美]

*2:前掲・90頁]