Introduction
概説
なんだかんだ言って今年初めての記事が2月7日になってしまった。今更「謹賀新年」という言葉は遅すぎるし、節分も過ぎたので暦上はもう春である。新年早々にインフルエンザA型に罹患して体調不良となるなんとも言えない新年の幕開けとなった。
さて、今回は「【読響】第645回定期演奏会」である。今年初めてのコンサートは2025年2月7日となった。曲は私が好きな「私の好きな交響曲ランキング」の第2位の曲である「ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調」である。
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ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調はなんと言っても最もブルックナーらしい交響曲であり、この曲がプログラムに組まれていたらブルックナー好きからしたらもはや聴きに行かなくてはならないほどの義務感に捕らわれよう。当然、私もその中の1人なのである。
そして、指揮者はローター・ツァグロゼクという指揮者である。過去にツァグロゼクは読響とブルックナー交響曲第7番を指揮している。ツァグロゼクは下記のように読響とブルックナーの演奏について述べている。
「読響とブルックナー演奏をしたいと思った決め手は、読響の演奏スタイルを作る能力と響きの構築力の高さ」「第7番の仕事の質的内容、つまり作曲技法、意味付けとそのバランスは交響曲というジャンルの中で、記念碑的なものだと思います」等々、貴重なコメントの端々から音楽に対する真摯なまなざしが感じられます*1。
そして、今回は交響曲第5番。巨匠ツァグロゼクは一体どのような音楽を繰り広げるのだろうか。
ローター・ツァグロゼクという指揮者
ローター・ツァグロゼクは1942年11月13日にドイツのバイエルン州オッティングで生まれたドイツ人指揮者である。
経歴と実績
ツァグロセクはウィーン音楽院でハンス・スワロフスキーらに学び、その後カラヤンのアシスタントを務めた。1962年から67年にかけて、スワロフスキー、ケルテス、ブルーノ・マデルナ、カラヤンから指揮を学んでいる。
彼の主な経歴は以下の通り。
- 1982年〜1986年:ウィーン放送交響楽団の首席指揮者
- 1985年〜1988年:BBC交響楽団の首席客演指揮者
- 1990年〜1992年:ライプツィヒ歌劇場の常任指揮者
- 1997年〜2006年:シュトゥットガルト州立歌劇場の音楽総監督
- 2006年〜2011年:ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の音楽監督
特徴と評価
- 現代音楽の専門家:ツァグロセクは20世紀の音楽を得意とし、デッカ・レーベルの「退廃音楽シリーズ」にレコーディングしたり、ドナウエッシンゲン音楽祭に出演してる。
- オペラ指揮者としての評価:シュトゥットガルト時代の「後宮からの誘拐」やラッヘンマンの作品の再演は常に完売し、「ニーベルングの指環」はバイロイト音楽祭以上の評価を得た。
- 精密な指揮:ツァグロセクの指揮は暗譜*2で行われ、全ての音の摂理を知り尽くしていることが明らかな指揮とされている*3。
- 伝統的なドイツ音楽の解釈:ドイツ音楽の正統派として、特にブルックナーやブラームスの交響曲で高い評価を得ている。
- アンサンブルの整然さと情熱:彼の指揮下でのオーケストラは、整然としたアンサンブルを保ちながらも、内側から熱くなるような情熱的な演奏を実現している。
- 内声の重視:ヴィオラやチェロなどの内声が常に重要な役割を果たす演奏スタイルが特徴的。
ツァグロセクは、型にはまらない奇抜な解釈ではなく、オーケストラの本質的な美しさと力強さを引き出す指揮者として高く評価されている。彼の指揮は、ドイツ音楽の伝統を守りつつ、現代音楽にも精通した幅広いレパートリーを持つ、バランスの取れた指揮者として認識されている。
ja.wikipedia.org
sonarmc.com
tower.jp
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本日のプログラム
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(ノヴァーク版)
第1楽章:Introduktion. Adagio - Allegro
序奏部。弦楽器のピッツィカートから始まるのだが…。恐ろしいほど最弱音であり、鳴っているか鳴っていないかわからない程度の音量による幕開けである。「ツヴァロゼクの音楽は繊細なのか?」そんなイメージを抱きながら、本日の大曲の幕を開けたわけである。もう先に述べるが今日は「今までに聴いたことのない読響の音色」が響き渡ったのである。壮麗な弦楽器の音色が初っ端から度肝を抜いた。ピッツィカートがなり終わった後の金管のコラールも大変素晴らしい音色を響かせており、教会という場所に相応しいような荘厳な音色が大変素晴らしかった。読響のことだから恐らくパワフルな音量を響かせるかと想像していたが、私の想像よりもはるかに上回る素晴らしいコラールだった。
呈示部。早速チェロの甘美な音色で第1主題を響かせた。何より、序奏部からそうだったのだが、今まで以上に弦楽器の音色が素晴らしく、よく鳴っていた印象である。どうしても、「金管楽器のスタミナが課題」となる曲であり、金管楽器が印象的な本作品であるが、今回は弦楽器が非常に印象的だったのである。第1主題のチェロの甘美な音色とヴァイオリンのトレモロが繊細な引きを持って大変素晴らしい音色を響かせていた。その後のトゥッティでは序奏部の荘厳なコラールがトランペットとトロンボーンによって壮大に奏でられており、その裏のホルンの音色も読響らしくパワフルであった。
そして、弦楽器によるピッツィカートが印象的な第2主題に入った。やはり、今回の読響は弦楽器が格段に上手かった。いつもはやや退屈になりがちな第2主題であったが、今回はじっくりと読響の弦楽器のサウンドを真正面から楽しんで聴くことができた。
流れるような第3主題に入る。弦楽器の滑らかな音色と重厚感のある金管楽器のハーモニーが印象的。ツァグロゼクは82歳とかなり高齢な領域に入る指揮者であるにも関わらず、大変若々しい音楽づくりと力強い指揮法は外見からは想像が容易ではないかと思われる。その力強い指揮になんとか喰らいつくという読響の力強さが感じられた第3主題であった。
展開部。ヴァイオリンの繊細なトレモロの部分にホルンとフルートのソロパートとなり、緊張感が高まる場面である。今回の読響は神がかった演奏をしており、このホルンの雄大な音色とフルートの繊細で高らかな音色を響かせていたのが大変印象的だった。その後は第1主題を何回か繰り返すのだが、読響らしいパワフルな演奏に加え、荘厳で重厚な音楽が繰り広げられていた。
再現部。再現部は呈示部とほぼ同様の内容であるので、繰り返しを避けるために簡潔にまとめておきたい。やはり、ツァグロゼクは大変素晴らしい演奏を繰り広げており、テンポは標準的なものから多少早い印象を受けた。とても82歳とは思えない活気あふれる演奏とパワーが全く違うものであった。「この後はどんな演奏になるのやら…」というワクワク感でこの第1楽章を聴いていた。
コーダ。多少テンポを速めて序奏部の冒頭部分を彷彿させる。ツァグロゼクと読響は引き続きダイナミックで重厚感あふれる演奏を展開し、最後のフィナーレはすでに圧倒的なものであった。
第2楽章:Adagio. Sehr langsam
第1楽章で結構な文量を書いてしまった。それほど第1楽章から充実した内容だったのである。
さて、第2楽章であるが、ツァグロゼクは緩徐楽章も大変素晴らしかった。オーボエが第1主題(主要主題)を奏でるのだが、今回も荒木先生だったのか…?(私の席からは判別できなかった)いずれにせよ、今回のオーボエも大変素晴らしい音色をしており、ファゴットもあいまった第1主題の音色は木管楽器の美しい音色が十分に引き出されており、安らぎを与えるような柔らかい音色であった。
しかし、特に絶筆しなければならないのは、弦楽器による第2主題である。「なんたる重厚さと美しさ」この一言に尽きるほどの音色だった。ひょっとしたら朝比奈先生の音楽はこのように聴こえるのではないか…?そのように思わせるほどのドイツらしい重厚な弦楽器の音色に度肝を抜かれたのである。録音ではあるが、数多くの演奏を聴いてきたがこれほど素晴らしい第2主題は初めて聴いた。
そして、もう一度第1主題と第2主題を繰り返すのだが、第2楽章の中で注目すべきところは3回目の第1主題である。弦楽器が6連符を滑らかに奏でるのだが、何度も述べているように本日の読響は弦楽器が大変素晴らしい音色を繰り広げた。木管楽器が第1主題を奏で、やがては金管楽器も加わるとなんとも輝かしい頂点部なのだろうか。もうこれ以上の素晴らしい第2楽章は聴けないのではないか。そんな思いを持って第2楽章を聴いていた。
そして、沈黙時間があり第2楽章を終えた。やはり多くの聴衆が真剣に聴いていたようで第3楽章入る前の小休憩は多少雑音が多かった。
第3楽章:Scherzo. Molto vivace (schnell) - Trio. Im gleichen Tempo
野生的なスケルツォ。さすがのツァグロゼクも第3楽章の冒頭部分はテンポを遅めるのではないかと想像していたが、全くそんなことはなかった。82歳とは思えないような活気あふれるテンポで荒々しく第1主題を奏でる。そして、「Bedeutend langsamer(テンポをかなり落として)」という指示にしたがって、グッとテンポを落として重厚感あふれる三拍子を刻んでいた。
トリオは野生的な主部とは異なり、可愛らしい印象を与える。雄大で美しい演奏を繰り広げていたのだが、ホルンの音色が雄大で鳴り響いていたのが印象的だった。
そして、主部をもう一度繰り返す。
第4楽章:Finale. Adagio - Allegro moderato
序奏部。やはり第1楽章と同様にピッツィカートは聴こえないほどの最弱音で幕を開けた。この序奏部では、第1楽章第1主題および第2楽章第1主題を回想するかのように繰り返す。ここで、ブルックナーはベートーヴェンの作品を参照していたことが窺える(ベートーヴェン交響曲第9番第4楽章冒頭部)。
呈示部。チェロのどっしりとした力強く重厚感のある第1主題の音色を響かせた。その後はヴァイオリンへ第1主題が引き継がれると共に金管楽器も加わって重厚感のある力強い音楽が展開されていった。どこか朝比奈先生を彷彿させるような重厚感があったのだが、朝比奈先生のような遅さはなく、非常に活発的な第1主題が印象的だった。そして、弦楽器による第2主題であるが、やはり今回の読響は弦楽器が大変素晴らしく、この第2主題の弦楽器の音色も非常に輝かしく鮮明な音色を響かせていた。そして、迫力ある第3主題であるが金管楽器による強烈な音圧かと思いきや、非常にバランスの取れた演奏が展開されており、金管楽器のパワフルな音色を響かせながらも弦楽器によるV字的な音色もともに重厚感のある音色が響き渡っていたのである。朝比奈先生とスクロヴァ先生の音楽を足したような感覚だ(むしろその例えが正しいのかすら不明である)。
展開部。合間合間の金管楽器のコラールが第1楽章序奏部のコラールよりより一層磨き上げられたような素晴らしい音色が響き渡った。読響の金管楽器は大変素晴らしい音色をお届けするのである。それにしても、今回の読響は別な次元でよく鳴っているのである。
その後、コラールの主題と第1主題の二重フーガが始まる。ツァグロゼクは絶妙なバランスを持ってこの複雑な展開部を鮮明に力強く演奏しており、金管楽器、木管楽器、弦楽器とそれぞれのパートがまとまって聴こえたときは鳥肌がたった。テンポも晩年の指揮者に見られがちなヨボヨボとした遅いテンポではなく、標準的なテンポで力強く演奏していた。
再現部。提示部と同様に第1主題が加わるがコラール主題もそのまま用いられている二重フーガとなっている。第1主題→第2主題→第3主題と同様に再現していく。ほぼほぼ呈示部と展開部と内容が変わらず、単なる繰り返しになるので端折ってしまう。
コーダ。いよいよ終わってしまう。ここまで十分にツァグロゼクと読響のブルックナーの作品を堪能してきた。しかし、最後の最後に壮大なフィナーレが待っている。ツァグロゼクのフィナーレは一体どのような音楽が広がるのか。
最後のフィナーレに入った途端、ステージ上が一気に明るくなったような気がした。変ロ長調であるから天国のような調性(ニ長調)ではないのだが、それに類似するような神々しい光が一面を照らしたような世界が広がった。よくブルックナーの作品は「宇宙」に例えられるが、ツァグロゼクのブルックナーは「宇宙」ではなく、「神々しい天国のような教会」という言葉が相応しいだろうか。弦楽器の崇高なトレモロがはっきりと聴こえ、そして神々しく重厚な金管楽器がコラール主題などの主題を圧倒的なサウンドで鳴り響く。私はその迫力と内容に圧倒され、感情的なものが込み上げるよりも体全体が金縛りにあったような感覚で真正面からツァグロゼクのフィナーレと対峙していたようだ。82歳のツァグロゼクであるが、大変力強い指揮法でありその指揮に全身全霊をかけて喰らいつく読響は今までにはないような充実した大変素晴らしいサウンドを響かせてくれた。多分二度と聴けない読響との演奏だろう。そして、最後は和音の前にティンパニがクレシェンドをかけて力強く締め括った。
さすがはブルックナー交響曲第5番を聴きにくる聴衆なだけあって、フラブラ等は一切なし。ツァグロゼクがタクトを下すまでは5秒以上はあったのではないか。その間の時間はこの伝説的名演の余韻を十二分に楽しむ時間であった。
そして、何年ぶりかに聴いた。それは、「ブラボーの嵐」であった。サントリーホール内であんなに「ブラボー」が叫ばれたのは私自身初めてだった。
総括
当然ながら、私にとって初めてのローター・ツァグロゼクであった。
大変失礼ではあるが、ポスターの写真からするとかなりの高齢であり、オットー・クレンペラーやセルジュ・チェリビダッケのような晩年指揮者によく見られるような円熟した演奏が展開されるのではないかと予想をしていた。実際、ブルックナーを得意とする指揮者は晩年の指揮者という印象が強い(若いうちでは精々クリスティアン・ティーレマンではなかろうか)。
しかし、ローター・ツァグロゼクは違かった。上記特徴の部分で記したように「アンサンブルの整然さと情熱」「内声の重視」が充分生かされた今までに聴いたことが無いような読響のサウンドを聴くことができた。多分この先何回もコンサートに出かけると思うが、多分今日のような演奏は2度と聴くことはないかと思う。それほど充実した内容だった。
私は過去2回、このブルックナー交響曲第5番を聴いているが格別なる思いを持って聴いていた。また、ブルックナー交響曲第5番は何枚もCDを持っており、やはり朝比奈先生に叶う演奏はないのではないかと思っていたし、それで満足していた。しかし、今日の読響とツァグロゼクの演奏を聴いてしまったらもうこれに勝る演奏はないと自信を持っていえる。
巨匠ツァグロゼクのブルックナーはここにあり!!
そして、本日のコンサートマスターは日下紗矢子先生(特別客演コンサートマスター)だった。相変わらずの凜とした姿とツァグロゼクと日下先生の親密な関係から作り出されたブルックナー交響曲第5番は私の中で伝説となる名演を繰り広げたのだった。
コンサートマスターは、日下紗矢子(特別客演コンサートマスター)。日下は2008年に、当時ツァグロゼクが首席指揮者を務めていたベルリン・コンツェルトハウス管のコンサートマスターに就任し、マエストロが退任する11年まで何度も共演、名演奏を繰り広げました。ツァグロゼクの前回来日の19年2月公演でもコンサートマスターを務め、ブルックナーの交響曲第7番で大きな成功を収めました。二人が導く音楽作りにご注目ください*4。
前回のコンサート
*1:交響曲第7番 ローター・ツァグロゼク&読売日本交響楽団 : ブルックナー (1824-1896) | HMV&BOOKS online - ALT531
*2:暗譜で指揮をしたことについて下記の記事で記されているが、今回は楽譜を見ながら指揮を行っていたので全て暗譜で指揮をしているわけではないので注意を要する。